3時間で「専門家」になる私の方法

ITジャーナリストの情報収集・整理術
インターネットの登場で、情報はすべて「すぐ手の届くところ」にある。

2007年に書かれたことは要考慮だけど、
いまだに新聞とネットの価値・使い方の違いが
わからないよう人は、読んでおくべきかな。


●ブログやネットコンテンツと新聞の違い

・新聞 記事の文体は、あくまでも第三者的な視点で書かれています。でも実はその主語は隠されていて、記者の側は「われわれ」を主語として、この記事を書き上げているのです。しかしこの新聞社のスタンスは、1990年代以降に休息にほころびを見せるようになってきました。多くの人たちが、さまざまな場所で、「マスコミはわれわれの意見を代弁していない」と違和感を表明するような事態が起きてきたからです。つまり「われわれ」が分断され、人の数だけ「わたし」があるような状況になり、みんなを「われわれ」とひとくくりにするのが難しくなってしまったのです。
・しかし新しいブログの世界では、書き手の側は、どのブロガーも拠って立っているのはあくまでも自分自身で、「わたしが正しいと思ったことを、正しいと書くのだ」「わたしが間違っていると思っていることは、間違っていると容赦なく書く」という「自分のロジック」にしたがってブログを書いているのです。だから新聞の記事が比較的正論に終始していることが多くて物足りないのに対し、ブログは身も蓋もない圧倒的な本音で書かれているケースが多いのです。逆にブロガーの誰かがマスコミの記事のように、牧歌的な正義感を盾にしてタテマエなどを書くと、かえって批判されてしまうというような逆転現象が起きています。
・言ってみれば、その分野の関係者たちがミーティングをしているまさにその部屋に同席して、議論の中身を生々しく聴くことができる
・そして、人々のさまざまな思考や議論を仲立ちにして、わたしたちは自力では絶対にたどり着けないような知見を得ることができ、さらにはその分野の全体像を、人々の思考や議論をベースにしてダイレクトに受け入れることができるようになります。つまり前者はまさにセレンディピティであり、後者はクオリアなのです。

新聞やテレビといったメディアと比較することで、
読まれるブログを書くにはどういうコンテンツにすべきかが見えてくる。
かなり尖っていていいということ。
誰を怒らせることもないコピーでは、
誰を感動させることもできない、という平さんの話と同じ。
敵を作らない八方美人の文字を並べるのではなくて、
恐れずにいいたいことを言うべし。
●新聞記事の特徴

・「長い記事を中心に読む」新聞の場合、300文字から600文字程度の記事は短信扱いで、論評や分析はほとんど含まれていません。一方で1000文字を超えるような長い記事であれば、何らかのオピニオンや論評が行われている可能性が高いのです。
・新聞にありがちなオフィシャルな見方、ごく客観的な見方ばかりが書かれている記事を読んでいても「そうか、そうだったのか!」とはたとひざを打って納得する、という場面はほとんど起きません。

●ハブ情報を探す

・会社名や資格名など具体的な固有名詞がたくさん書かれています。こうした固有名詞がたくさん書かれている記事は、情報収集のプロセスの中で、ある種の「ハブ」の役割を果たすことになります。
・この思考の流れが発性できたのも、はてブ利用者の一人が長谷川先生のコラムに「格差社会」というタグを付けてくれたからでした。言ってみればわたしは、自分では決して思いつかなかった思考を、この匿名でどこの誰かもわからないはてブ利用者の助けによって認知することができたのです。これこそは、セレンディピティ以外の何ものでもありません。
・「はてなブックマークがもの凄い勢いで衆愚化していっている」

はてなとかソーシャルブックマークの価値がいまいちわかってなかったけど、
そのあたりのことが、今更ながら、この人の記事で理解できた。
まあ、何でもめんどくさがらずに使ってみるもんだってことだな。
●その他

・実際には「今後子どもが欲しいと考えている女性」のうち約8.4割が、子供が3歳になるまでは常勤で働きたくないと考へてゐるのである。つまり彼女たちが求めてゐるのは、保育所や社内託児所の充実ではなくて、むしろ2人の子供を産み育ててゐる5、6年の間、一家が安心して暮らせるだけの賃金を夫から得られることの保証なのだある(長谷川三千子)

これは本題とは関係ないけど、
そうそう、と思ったところ。

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