久々に、強い知的刺激を受けた。
買ったまま時間がなくて読めないままずっと本棚の隅にあったのだけど…
書かれてから12年、出版されてからでも9年ものあいだ、
このような「知っておくべき事実」を知らなかった自分が恥ずかしくなった。
そして立花隆という人の本、色々と読みたくなった。
●目にとまったところ
精神的健康さを養うために、若いうちは、できるだけ沢山の思想的浮気をするべき。
異性体験に関して、「できるだけ沢山の浮気をしなさい」なんていったら物議をかもしかねませんが、思想に関しては、そうすべきであるとはっきりいいます。浮気が足りない人は、簡単に狂うんです。簡単に溺れて、自分が溺れているということにすら気がつかないことになるんです。人間の頭は狂いやすいようにできてるんです。
肉体の健康を維持する健全な食生活のためには、一日少なくとも30品目の食品を取ることが望ましいといわれています。それにならっていえば、精神の健康を維持するためには、精神形成の方向づけを決める前に、少なくとも30種類ぐらいの思想に出会っておくべきだといいたいですね。
私は、そもそも異性は思想だと思う。異性とのかかわりが思想をつくるという部分もある。
ということは、異性体験においても、(浮気かどうかは別として)たくさんの栄養を摂取しておくべきだと思う。
成果のとらえ方の三つのフェーズ(位相)
1. 自然科学。観照者
客体世界それ自体を、それだけで自立している世界としてとらえる。
自分はその世界の外に立って眺める立場に徹し、その中には入らない。
→理学部、基礎医学、法哲学、理論経済学、歴史学、哲学、文学
2. 行動者
自己を客体世界の中に投じ、すべてを自己との関係性においてみる。
世界に対してインタラクティブにかかわっていく。
→ 工学部、臨床医学、法学、経済学、創作
3.
客体世界を離れて、自己の内部世界にどこまでも入っていき、自己の深淵の苗に小宇宙を見出し、
外部世界は内部世界に反映する限りにおいて見ていく。
→ 哲学、文学の一部、物理学の一部、精神医学、脳科学の一部
17の時、進路について考え、何を学んだらいいかと悩んだ時に思ったことと、同じだ。
自分は、このすべてをやりたいなと考えていたなぁと、思い出した。
多くの哲学者がやっているのは「「哲学」学」であり、哲学の実践ではない。
そう、こうならないようにしなければ。
我々が高校まで出学んできた物理と科学の知識は、19世紀に偏っており、20世紀の知識が欠落している。
ここで引用されている資料とその事実は、とてもショックだ。
兄から似たような話をきいたことがあるけれど、詳しく知れば知るほど、ショックだ。
自分が原始人のような文明とかけはなれた知性にとどまっている事実に、ショックをうけた。
●脳波と成長の話
デルタ波 : 生後すぐの神経回路がどんどん作られていく時期
シータ波 : 生後苦の学習で神経回路の細かい部分ができあがっていく/シナプスのつなぎかえ
アルファ波 : できあがった神経回路の日常的な活動状況
→ 40代から60代はアルファ波のパターンがいちばん安定している時期で、シータ波もミニマム。
おそらく、40にして惑わずというのは、この状態を指す。(悪くいえば頑固・保守的)
脳の中の回路が完全にできあがってしまって、あとは日常的なメインテナンス程度しか回路のつなぎかえが行われない。
逆にいうと、脳波のコントロールによって、ある程度の価値観のコントロールが可能になる、頭をやわらかくすることができるということをも意味する。瞑想や催眠との関係を考えてもおもしろい。
●脳の発達過程と感受性期、臨界期について
乳幼児の場合、病気や怪我などでたまたま眼を悪くして、しばらく眼帯をかけていると、眼帯を取っても回復不可能な弱視になってしまうことがある。一歳以内の時期に一週間以上眼帯をかけていると、永続性の弱視になるといわれている。
一方、真善美のフレームワークをつくる価値体系の感受性期は、少年期、青年期。
この時期に一番大切なのは、自分を何らかのバイアスのかかった入力の場におかないこと。
そうはいっても、そもそもバイアスがかかっていない情報など、ないのではないか。
テレビは論外としても、自然科学の世界だって、アインシュタイン信仰、デカルト教というバイアスにかかっているといえなくもないような気がする。
このあたり、この本にもあったヴァレリーが言おうとしていたことの意味が、自分にはよくわかる。
●刺激の重要性
刺激が豊かな環境で生活するほど、脳は発達する。自分の脳を知的に育てたければ、知的刺激をいっぱい自分に与えること。
・本を読むことも必要だろうし
・先生の話をきくことも必要
・同年齢の仲間と遊び、刺激を与え合うこと★←これが一番効果的
(ただし、刺激の与えすぎは神経症的な症状もおきるので注意は必要。)
一人っ子と兄弟姉妹のいる子供の違いや、寮や共同生活のもたらす効果について、考えがおよんだ。自分は三男だし、共同生活もした。これがとてもよい効果をもたらしていたことに、気づいた。
ギリシア・ローマの古代社会において、自由人たるものが、基本的に身に付けていた教養は
三学四科。(三学 : 文法、修辞学、論理学。四科 : 算術、幾何、音楽、天文学)
天文学と音楽が含まれていることが、興味深い。
●アインシュタイン
絶対静止空間を否定したアインシュタインの話は、まるで仏典の無常、相互依存と縁起の話をきているようだった。というか、それそのままだと思った。
また、
物質とは実はエネルギーであり、エネルギーとは物質である。あたかも、無から有が生じたり、有が無に転じたりするかのような、常識的な存在論からは全く考えも及ばないような現象が素粒子の世界では日常的に起きる
とか
我々は、歪んだ空間の歪みを認識できない。
というあたりも、仏典を読んでいるような錯覚に陥る。
無心論者(アセイスト)と不可知論者は異なる。
日本人は、不可知論者という知的な感じはしない。
むしろ無心論者だよな…。
子どもが大人になるということは、実は、他人というものは、自分とメンタルに全く異なった存在で、ものの見方、考え方、感じ方がすべてちがうのだということを知ることなのである。この世は異質な世界認識をしている他人たちで十万しているということを知ることなのである。
この「精神年齢の定義」については、立花隆も同じことを言っていたのだなぁと再確認できた。