お母さんとの対話
いたずら、おどけ・ふざけ、けんか、反抗も大事な経験です。
おさえつけないで見守るおおらかな心が子どもを成長させるのです。
おおらかに見守ってあげて―お母さんとの対話 (企画室の子育てシリーズ 20)
子どもとの向きあう上で、この人から学ぶことはとても多い。
この本は特に、母親たちとの対談という形で、
平井さんの生の声が伝わってくるので、さらにわかりやすい。
●ゆっくり = 子どもの本質
・さらに余裕をみて三十分前にスタートしなさいって。ゆっくりゆっくりしているのが子どもの本質なんです。私なんかは、パッパッと手際よく行動するのは子どもじゃないと思ってるくらい。その点でも、やっぱり全面的におおらかなお母さんになってほしいんですね。子どもというものはゆっくりゆっくりしているもので、そういう子どもの本質を受け入れることのできるお母さん、ながめていられるお母さんになってほしいと思う。
急かすんじゃなくて、必要な時間をもっと多く見積もって、前もってはじめればいい。
時間に追われていきている現代人には、こんな単純なことができない。
私も、すべて15分ぐらいは余裕をみるように、考えよう。
●環境の工夫
・安全な遊び場のないところでは、遊びはできませんよね。私は、次の時代を考えれば、ゴルフの練習場を子どもたちのために提供してほしい – と叫びたいんです。結局、友達遊びの現状を見ると、幼児では保育所か幼稚園ですね。昔のような、隣近所の路地遊びみたいなものがみんな消えちゃっているわけだから。遊べない子というのは、結局、保育所や幼稚園で遊べないっていすことが根本なのね。
・私がよかったなあと思うのは、結婚してから、月に一回は必ず二人で出かけてね、外で食事をしたんですね。その時に、子どもをおばあちゃんに預けとくのだけれど、
・同じ屋根の下だけれども、息子夫婦とは玄関も食事も完全に分離しています。そうしないと、やっぱりむずかしいね。ヨーロッパなんかはいっしょに住まないのが前提で、住んでいても全く分離されていて…
・お母さん方が子どもをさびしがらせないように、いろんな配慮をしたっていうことがあってね。非常におもしろかったのは、おやつをほうぼうに隠しておくんですね、たとえばふとんのなかとか本棚とか。すると子どもが学校から帰ってきて、一生けんめいに探すわけ。これは「お母さんはどこへ隠したんだろう」という思いが子どもにあって、おもしろい工夫だなって思ったね。なんか、そういう配慮をするってことは非常に大切なことだと思うの。それを夫婦ですることができればいいんですがね。
遊び場の問題は、本当に痛感。
この本が書かれた頃はまだましだった。
車社会になってしまい、また不審者が増えた病んだ時代では、
子どもたちだけで近所で遊ばせる という
私たちが子どもの頃に当たり前だったことができなくなってしまった。
私たちの頃は、4歳ぐらいなら、親の目の届かないところで遊んでいたように思う。
でも今のこの時代、親と離れて近所で遊ばせるのが、怖い。
●しつけは必要?
・親を批判することは、親不孝のように思えますが、自分の子どもをよく育てるためには、非常に重要な意味を持っています。それは、親といえども決して完全な人格の持ち主ではないからです。むしろ、ずいぶん不完全な人間が親になっていると言ったほうがよいでしょう。親になってからでも、自分の親を批判してほしいのです。とくに、自分の子どもからいろいろな問題をつきつけられた時に、そのことを考えてみてほしいのです。
・親たちがきちっと挨拶をして、モデルになっていれば、思春期に杯ってよい大人になりたいと思うようになると、ちゃんとするようになりますよ。その点で、形式を急がないことですね。小さい時にきちっとしつけを受けていた子どもが、思春期になってやらなくなる例は少なくありません。それは、しつけを受けたことに対する反発があるからです。
親の見得や世間体でしつけをしたり、
自分がそのように育てられたから というだけの理由でその意味も考えずに真似したり
何も考えていない親って、本当に多い。
自分も、そうならないように、したい。
●わるいこと?
・私は、何よりも子どもがいきいきとしていて、自発性の発達が順調であることを望んでいるのですが、そのような子どもは、タテ社会の基準からすればハメを外していると見られちゃうんですね。社宅などでは、いきいきとしている子どもは非難されるでしょうが、そのような子どもが中学生、高校生になると頭角を現すんですね。ですからお母さんは、非難をされても腹を据えていることが必要ですし、耐えられないようでしたら引っ越すよりほかに方法がないですね。子どもの将来を考えれば…。
・ゲゼルの研究のすばらしいところは、子どもは右に揺れ左に揺れながら発達していくという考え方を確立したことなんですね。つまり、いたずらがはげしい時期があるかと思うと、おとなしい時期があり、反抗の著しい時期があるかと思うとすなおな時期がある。 – といった具合に発達するというものですし、子どもの行動の正常範囲を広くとったことですね。
・わるいことをしたら叱れ – と言う人が多いのですが、子どもはわるいことを絶対にしない – つまり、私は性善説に立っているんです。だから子どもが楽しんでいることは、それが「いたずら」であっても、「おどけ・ふざけ」であってもいっしょに楽しんでしまうわけ。子どもが楽しんでいることを、いっしょに楽しめるお母さんになってほしいんだなあ。それには、しつけをしようとする気持ちを取り除く必要がありますね。
・砂場なんかで、子どもがほかの子どもにちょっかいを出すの、あれは反応を見てるんだよ。いろんな反応が出くるから。ですから、見尽くして、それでおしまい。卒業して消えていくんです。それを親がおさえたりすると、頭打ちになって卒業できないわけよね。やっぱり私は卒業するまで「待つ」、そういう育て方が一番いいと思う。
・日本の文化のなかで、すごくおもしろいと思うのは、能の間に狂言が入るでしょ。あれはもう、ほんとにからかい、おどけ、ふざけでしょ。やっぱり、能のような非常に厳粛なもののなかに、ああいうふざけたものが、どうしても必要なんだね。マジメ人間には、その精神が欠けているんだな。
自分の子が内気な子だった場合に、
力の強い子のいたずらによって精神的に深い傷を負うようなことがないのか、
そういうケースをどう考えるのかだけ、少し疑問は残る。
子どもは子どもの社会で解決を見るというのは、平和だっひと昔前の時代の話。
精神的なゆがみをもつ子が増えた現代では、
それが力の強い子であったり、使う言葉の多い少し年上の子であったりする場合、
そのまま放置して解決をさせるというのが、果たしてよいのかどうか、疑問に思う。
打たれなれていない純粋な子が、子どもの容赦ない悪意にさらされた場合、
深い傷を負う。トラウマになり得るだろう。
そのような意味では、ある程度の年齢になるまでは、
例えばシュタイナーやモンテッソーリを理解しているような、
ある程度意識の高い親や環境に育つ子の中に守られている方がよいかも、
というのが私の結論でもある。
学歴以外で私立を選択する親は、
もしかすると、そのあたりのことを考えているのではないだろうか。
●幼稚園の選び方
・私がお母さん方に言いたいのは、よく見ていてね、子どもの遊びを大事にしている園に入れなさいっていうこと。今、園児が少ないから、お客さんを大事にしますから。それからね、”いつも仲よく”なんていう園に入れたら、けんかする子はわるい子になっちゃうから、これはやめなさい。あと、小学校に入ってから困らないお子さんにしますっていう園は絶対にやめたほうがいいと、まあ、そういうふうなよい園の選び方の指導を、今僕はしているわけ。まあ、とにかく子ども自身が作り出した遊びを大事にして援助してくれる、そういう園に入れれば、子どもたちもよくなる。今度、”援助”という言葉に変わったんですよね、”指導”をできるだけなくして。
・私は、子どもの自発性の発達を援助するためには、宿題を全部なくしてほしいと願っているんです。そして、宿題の代わりに、自分で考え出した課題について調べてみてほしいという注文をするとよいと思います。自発性の発達にとって必要な自己課題の発見と自主学習(自学)を大切にするわけです。教師から与えられた課題をいやいややったり、お母さんに手伝ってもらったりするのでは、ほんとうの意味での勉強ということには結びつきませんからね。
今の幼稚園は比較的ましな方ではあるけれど、
それでも、まだまだ「指導」的名な姿勢が多いように思う。
いくらいい幼稚園があるといっても、絶対数が少なすぎる。
はっきりいって、通う距離のことを考えると、選択の余地が少なすぎるんだ。
仕事をしていなかったら、幼稚園に通わせずに自分だけで育てたっていいなと思ったぐらい。
それは、できなかったけれど。