トランプ遊びで子どもの知能はグングン伸びる


なんで今まで気づかなかったんだろうという感じ。
今読めて良かった。
実家に集まるときには自然とトランプをしてたけど、
これをもっともっとやっていこう。
そういえば、自分も小さい頃はよく二人の兄や母とトランプをした。
あれ、結構役に立ってたんだな。


トランプの遊び方の具体的なところは本をみながら楽しむとして、
主にそれ以外のところで拾ったところを。
●遊びの中で養われる自立心

・カードを「切る」という基本的な作業は、日常生活のなかでの「自立」を養います。三、四歳のときは、カードの数を減らしたり、親が少し手を貸してあげてください。また、五歳を過ぎたらすべて子どもにまかせて、うまくいかなくても見守るようにしましょう。トランプの基本的な作業は、手先の巧緻性や生活力の養成にとても効果的であることを忘れないでください。
・利き手しか使えない子どもの多くは「過保護」です。なにかといえば親が手を貸すという環境で育った子どもは依頼心が強くなり、利き手しか使わないようになってしまうのです。巧緻性を見るというのは、単に手先の器用さだけの問題ではなく、家庭のしつけを映し出す鏡になるのです。
・「ババ抜き」三歳、四歳の子どもにとって、同じ数のカードを二枚探して場に捨てるのは大人が考えている以上に難しい作業です。違う数のカードを捨てたり、三枚捨ててしまったりするのです。ただし、そこで親が手を貸してはいけません。自分で考え、自分で判断できるように、気長に教えてあげましょう。一度コツをつかんでしまえば忘れことはありません。

遊びはその準備から片づけまでも含めてすべてがセット。
ゲームそのものをするために、切る行為やそろえる行為をやってあげてはだめ。
そんな遊び方はただの過保護というもの。
友だち同士でも遊べなくなってしまう。
●勝ち負けの中で学ぶこと

・トランプをするときは相手が子どもだと思わないで、容赦なく対戦したということでした。負けた子どもは泣いて悔しがります。しかし、子どもなりに「どうしても勝ちたい」と強く思うようになり、それが集中力を育てることになるのです。もちろん子どもを負かせてばかりいてはやる気をなくして逆効果なので、タイミングを見て親が負けてあげることが必要なのはいうまでもありません。ただし、親が負けるときは、接戦の末に子どもが勝つという展開にしなければなりません。
・カードをお尻に敷いて隠す。トイレに行くといって立ち、他人の手札を見る。「神経衰弱」で、わからないようにカードを裏返して数字を見る。見たらダメといわれても、「見てない」と言い張る。こうした勝ち気すぎる子どもの無邪気な「ズル」に目くじらを立てる必要はありません。むしろ、「知恵」が成長し、「たくましい生活力」が育っている証と喜ぶべきです。ズルをしても「ダメよ」とやさしく笑ってあげましょう。うつむいて唇を噛みしめている子どもたちは、確実に成長しているのです。

このあたりのバランス感覚がわかる寛容さは重要だな。
必ずしも、常に大人扱いすればいいということではなく、優しく受け流すことが大切。
その微妙なさじ加減ができるかどうかが、大人と子どもの差なのだろう。
子ども同士である友だちとか兄弟が相手では、そういった「ズル」は絶対に許されないのだろうから
その前に家庭でどれくらいそういう学びを得ているかって、結構重要だと思う。
●その他注意点

・人数が少なかったり、小さい子どもが入るときには、Aから5までにするなどカードの数を減らして遊びましょう。
・三、四歳で「5の補数」、五、六歳で「10の補数」をやってみましょう。親が両手におはじきなどを分けて持ち、遊びながら練習すると効果的です。たとえば、10個のおはじきを左右の手に分けて持ち、右手だけ広げて「左手はいくつ?」と質問してみるといいでしょう。
・子どもと話をするときに、「あれ」「それ」「これ」といった言葉を使ってはいませんでしょうか。「ゾウの鼻は、こ〜んなで、こ〜んなふうに動くよね」このようにジェスチャーまじりに説明するのではなく、「ゾウの鼻はとても長くて、左右に大きく動くよね」と丁寧に話してあげましょう。同時に、子どもがジェスチャーまじりで話をしていたら、きちんとした言葉を使って同じことを説明してあげてください。言葉の表現力はとても重要な能力です。
・トランプでこの仲間はずれゲームをするときは、親が問題をつくるのではなく、子どもにつくらせてみましょう。与えられた問題に答えるよりも、自分で問題と答えを考えるほうがはるかに思考力を必要とするからです。
・三けた以上の数字を記憶する能力を育てるには、数の復唱、逆唱も有効です。つまり、「158」といわれたら、「158」と復唱したり、「851」と逆唱したりするのです。六歳で五ケタの復唱と四ケタの逆唱ができれば優秀です。
・小さい子は前に座らせ、大きい子は向こう側や左右に座らせるといいでしょう。大きい子はカードを正面からでなく、上や左右から見ることになるので難しくなります。「四方観察」といって、一枚の絵を前後左右から見るとどうなるかを推理する能力が養われます。
・私の経験からいえるのは、「機械的記憶力」のピークは四歳ということです。五、六歳の思考力に優れた子どもたちの多くが、「位置の記憶」や「色の記憶」を苦手にしています。つまり、パターン認識できる幼児期に、「機械的記憶力」を積極的に育てておく必要があるのです。

こう考えると、自分は小さい頃、日常生活の遊びの中で色んなことを学んできたんだなと、気づく。
だから学校の勉強では困ったことがなかった。親や兄弟に感謝しなきゃならないな。
そしてこういう楽しみながら学んでいくという工夫は、
もっともっと自分の子ども達にはしてあげたい。
●受験のこと

・ひとついえるのは、中学受験を考えるなら公立小学校でもいいということです。なぜなら、小学校は「楽しい場所」と割り切り、勉強は塾でするものと決めればいいからです。事実、中学受験をするなら私立の小学校に行っても塾には通わざるをえません。中学受験と小学校教育はまったく別ものであるというのが現実なのです。
・学習指導要領の変更によって効率に対する保護者の不信感が高まり、私立志向が強まっています。これは中学受験の場面で一番顕著に表れています。つまり、公立の中学校に対する不信です。当然の流れとして、「中学は私立へ」となり、小学校での勉強は塾が中心になります。学習指導要領に沿った勉強では、私立中学の受験問題を解けないのですから当たり前なのです。こうしたなか、子どもたちは小学校を遊び場だと思って通います。しかも、塾でおもしろい勉強をしているために、小学校の授業をつまらなく感じてしまいます。また、長い期間、しかも長時間、塾と家庭で受験勉強をすることになるのでストレスもたまります。したがって、どうしても子どもたちは担任の先生をバカにしてしまい、教室で騒ぐことになります。ところが、なかには指導力不足の先生もいて、教室で騒ぐ子どもたちを統率できないために授業にならない – これが学級崩壊の現状です。こうして、公立小学校の学級崩壊の実情を知る親は、小学校から私立に行かせようと考えるわけです。
・東大に行きたかったら中高一貫校 中学に入学した三年後に高校受験があるというのは、想像する以上に子どもの負担になっています。中学入学から六年間という長いスパンで、大学受験だけを目指すほうが合理的であるうえ、子どもたちの負担も少ない。つまり、伸び伸びとした学生時代が過ごせるというわけです。
・ただし、公立高校を「四年制」と考えれば話は別です。浪人の一年間を加えれば十分難関大学に入るだけの学力を養うことができるはずです。いずれにしても、親は「子どもの将来をどう考えているのか」という難問を突きつけられているといっていいでしょう。その中心に学校教育があるのです。

確かに。
高校受験の精神的負担なく青春を謳歌できるのは、いい。
この環境を得ることを目的に、中高一貫校を選択するというのは、賢い選択かも知れない。
ただ、その中学受験のために小学生時代の時間を勉強に充てるストレスはどうなんだろう。
どっちをとるのか。結局、どっちもとらずに一浪すれば一番いいってことなのかも?とも思う。
男の子と女の子でも同じなのか、本人がどう思うのかは、
また子ども本人とも話してみなきゃならないとは思うけど。
●その他

・そんな母の姿を見て育った私は、自然に読書の習慣がつきました。いまでも家族の話題になるのですが、小学五年生の夏休み、五十冊にのぼろうかというほどの本を読んでまわりを驚かせたのです。子供にとって親は、良くも悪くも多大な影響を与える存在です。
・幼児の遊びのなかに知的行為があることを世界ではじめて証明し、「幼児の父」と呼ばれる発達心理学のピアジェ博士は、「天才とは幼いときの柔軟性を比較的長い間保持することができた人である」と述べ、「人は誰でも天才である」と訴えました。

ピアジェは、名前だけ知っていたけどノーマークだったな。
Xも出していた名前だし、ちょっと見てみようか。