妻とはできないこと

「家庭も一番、彼女も一番」… 男はみな嘘つきなのか、正直なだけなのか?
フツーの男たちの心と体に関するルポルタージュ


●セックスレスになる理由1 – 母性

妻とのセックスで自分を解放することは、男たちにとってはどうやら非常にむずかしいようだ。妻との間で、自分が心から解き放たれたセックスができないのには、さまざまな理由がある。まず、妻をひとりの生身の女としてより、「子どもの母親」という目で見てしまうため。そこには当然、ある種の敬意が働く。妻個人に対してもだが、子どもを産み育てている「母」なるものへの敬意という側面もあるだろう。男性にとって「母なるもの」は偉大で決して冒さすべからざる存在だ。セックスというのは、ある種の「劣情」をともなうものだから、「母なるもの」として妻をみるようになってしまったら、当然、肉欲はタブーに近い。

劣情によらないセックスというものが存在するのかどうか。それが鍵のような気がする。ここで少し、タントラ、合一のヨーガについて思い出した。

妻は子どもの母親であると同時に、自分の母親的存在でもある。だからすべてを委ねてしまえる半面、すべてを牛耳られたくないという気持ちも、心のとろこかにある…。

「包み込まれる」という母性ではなくて、「支配される」という母性を感じてしまうとき、逃げ出してしまいたくなるのかも知れない。それは、女性性の肯定的な部分と否定的な部分、神話における女神と魔女の、魔女の部分を、女性の中に発見してしまうときなのかも知れない。「すべてを牛耳られたくない」というひと言がよくその意味を表している。
●セックスレスになる理由2 – 刺激の欠落

妻とそういうことをすると、日常生活に影響を及ぼすのではないかという危惧もあるんです。自分の性的嗜好は、非日常的な環境だからこそ満たされるものだとも思う。… 日常と非日常はあくまでも分けておきたい。そうでないとおもしろみはないんじゃないでしょうか。

気恥ずかしくなってしまうから、臆病になって刺激それ自体を避けてしまう可能性もある。

その息抜きがオレの場合、かつては風俗だったんだろうと思う。だけど、今は風俗のように金を出せば与えられるもので満足するんじゃなくて、自分が攻めに回って獲物を獲りたい欲求にかられている。攻めて獲った獲物のほうが大きく感じられるしね。

逆にいうと、妻に対して「チャレンジ」する機会がなくなってしまうことの意味は大きい。この辺は「RULES」にもかかれていたことだ。多くの男性に共通するところだと思う。

彼に言わせれば、口を使うかどうかが大きな分かれ目になるのだとか。… 同じ状況なのに、片方では腹が立って、片方ではエロスを感じるって変だなと自分でも思ってるんだけど。… それが妻でない女性だと急にエロティックに思えるのは、彼女の「恥ずかしいところ」を見てしまったという喜びにつながるからではないか。

お互い、起き抜けのぼさぼさ髪を長い間見続けているわけだし、もう「秘密」がない関係なのだ。裸にならずにセックスする夫婦が多いのもうなずける。「相手を知りたい」気持ちが失せているわけだ。

知らない部分、隠された部分がなくなってしまうと、興味を失う。それどころかネガティブな印象すらうける。

きみとはセックスが合いそうな気がする→普通のセックスじゃなくて、もっといろいろなことをしてみたいと思わないか→セックス依存症。麻薬中毒と同じ状態へ

極端に反対側に触れ、強すぎる刺激を追求しすぎると、依存/共依存の関係に落ち込み、麻薬の禁断症状と同じ状態を感じるまでにもなり得る。これは密教的には「地獄」と表現できる。

オーガズムはそもそも「小さな死」という意味

「刺激の本質」とは何なのか。そのことについてもう少し深く考えてみる必要がある。絶頂までのプロセスを、神話の法則に当てはめると、とても大きな気づきが得られる。この、絶頂=死 ということは、非常に重要な鍵だと思う。
●セックスレスになる理由3 – 自己肯定感が得られない

実はつきあっている女性からエネルギーをもらっていると話す男性は案外多い。大きな商談の前には、必ずつきあっている女性のもとへ行くと話してくれた男性もいた。芸術家によくある「女神信仰」のようなものが、ごく普通の男性たちの心の中にもあるものなのだろうか。ピカソが、つきあう女性が替わるたびに画風が変わったように、男性は女性に何か仕事上の、もしくは生きていく上でのインスピレーションやエネルギーを見いだそうとするのだろうか。

今や風俗店は、男性の自信を回復させる場所だという話もある。それだけ男性が性に対して自信を失っているともいえるだろう。

男性は、セックスにおいて本質的には、女性から「自信」とか「セクシャリティーのエネルギー」を得たいと願っているのかも知れない。タントラ的にいうなら、実はそのためには射精をする必要すらない。達成感や支配欲求を満たすために射精という行為を本能的にしているだけだとすると、もし別の形でそれを得られるなら、射精は不要になる可能性もある。
女性は、どうなのだろうか。セックスにおいて求めるものが、男性性とは違うのなら、その違いを理解することで、風俗の意味も、浮気の意味も、全部いっぺんに理解できそうな気がする。

妻との間には刺激がないんですよ。セックスって何か刺激があって、欲情して、それによって行為に結びつくわけでしょう?

だが、これほどまでに男性の「性」が複雑でメンタルなものであるとは、私自身もわかっていなかったし、おそらく多くの女性たちがわかっていないのではないかと思う。

もしかして、女性は、欲情しなくてもセックスができるのだろうか?求められることによって欲情を「男性から喚起される」ということがあり得るなら、そもそもこれは男性と女性の感じ方の違いなのだ。「話を聞かない男・地図を読まない女」と同じように、これは構造の違いなのかも知れない★
●セックスレスと性欲と浮気の仕組み

四十歳を越えた女性が、セックスの相手を探すというのもむずかしい。… ペニスに頼らずに楽しめる方法を見つけていこうとするのがいちばん前向きな考え方ではないのだろうか。

それはもしかしたら男女関係の究極かもしれない。だが、究極の自由な関係を求めた、あのサルトルとボーヴォワールでさえ、それは決してうまくいかなかったと言われている。ボーヴォワールは、奔放なサルトルの女性関係に内心、非常に嫉妬していたという話もある。「完全に自由な男女関係」というのは、実在するものなのだろうか。

これは、はじめて知った。サルトルに対する見方が、少し変わった瞬間。

「人生経験で培ってきた知性や理性は、恋愛には役に立たない」という言葉が重い。人を恋する思い、その複雑な感情は、自分でコントロールできる範疇を越えるものなのだと改めて思う。

そんなの当たり前だ。そもそも感情や情動は、知識でコントロールするものではない。ほとんどの現代人は、欲求のコントロールの方法を学んでいないのだから、これができないのは当たり前といえば当たり前だ。
コントロールしたいと思っているのかどうかも疑問だが…もしそれを望んでいる人が多いなら、ちょっと考えてみるのもよいかも知れないなと思った。

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