ソウルメイト

「運命の人」についての7つの考察

結婚・離婚・ソウルメイト・浮気・性欲・婚外恋愛…
これらについて考えたい時に最適の一冊。
愛情や結婚を「相性と運」の問題だと誤解して嘆いているような人は必読。
そうじゃなくて、愛情は「意志と決断」の問題なのだ
ということがかかれている。同感だ。

●ソウルメイトのタイプ

・ソウルメイトは、これら六つのパターンの、どの形ででも現れます。そして、絶妙のタイミングで登場するよう、今この瞬間にも、どこかに潜伏しながら、その機会を待っているのです。
・かつて親子であった場合には、今回の人生でも当時の関係が再現されて、まるで親子のような保護・依存関係の恋人どうしになります。
・かつて同性の親友であった場合には、今回の人生でも当時の関係が再現されて、まるで同性の親友のような、あまり性を意識しない関係の恋人どうしになります。
・かつて恋人どうしであったが、どちらかが相手を、時空を越えるトラウマ(心の傷)が残ってしまうほど、深く傷つけるようなひどい方法で振ってしまった。そのため、人生を終えた後に大いに反省し、「今度は自分が同じような方法で振られる」か、「今度こそ相手を深く愛して大切にする」かの、どちらかの方法で罪を償おうとして、今回も異性として出逢うように計画しておいた。このような関係の場合には、どちらか一方が異常なほど献身的にふるまい、相手に尽くすような恋人どうしになります。

仮にこのとおりだとすると、娘とは、恋人同士だったような気がする。
また、トラウマのために生まれてくる関係、あちこちにありそうだ

●ソウルメイトかどうかの判断

・人間は何歳になっても、たとえ結婚しているとしても、時空を超えて深い韓系にあるソウルメイトに出逢ってしまったら、その瞬間に恋に落ちます。その恋愛感情は、「抑えるべきかどうか」という議論や考察の対象にすることさえもできないほど、そもそも「抑えられるはずがない感情」なのです。むしろ逆に、もしも抑えることができる程度の感情しか生じないなら、その相手は、単に「好みのタイプの異性」だというだけであり、時空を超えて深い韓系にあるソウルメイトではありません。
・恋人を欲しておらず、好みのタイプでもないにもかかわらず、なぜか恋に落ちてしまうような、理解不可能な感情を引き起こして現われる場合 もしもこのような相手が現われてしまったならば…その相手こそ、まさに、今回の人生の範囲内では説明できない、時空を超えた深い関係のソウルメイトであるに違いありません。「なぜ、自分が、この人と結ばれてしまったのか、理屈では説明できない」とか、「この人に出逢うまで、こんなタイプの異性には興味がなかったのに」などと、首をかしげてしまうような相手ほど、逆説的に、「なぜなら、ソウルメイトだからである」という理由しか、考えられないのです。

妻はやはりソウルメイトなんだろうなと、つくづく思う。
そして妻以外に、抑えることができない感情をもつ人なんて、会ったことがない。
過去に付き合った人はいたけれど、そのどれもが、
どこか冷めた目でみている自分を感じていた。

●恋と愛(の定義)

・辛く悲しい失恋ほど、大きく深い意味のある、価値の高い貴重な体験であることは、間違いありません。いたい失恋の危険を嫌って、安全策ばかり取っていては、自分の愛の水準を高めるチャンスを敬遠することになり、かえって、「赤い糸の人」に出逢える時期が遅くなってしまうかもしれないのです。
・恋とは、相手が持つ所有物(容姿・性格・才能・富・仕事・家柄などの属性)に価値を感じて一時的に高揚する、「相手に受容されたり相手を支配することによって、相手と一体化したい」と願う感情である。
 愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意志と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。
・「愛」は「決断、意志、能力に支えられた行為」です。「恋」とは違って、単なる「感情」ではありません。「感情」というのは、自然発生的に生まれるものであり、一時的であって、永続性は保証されません。したがって、「あの時には好きだったけど、今はもう、好きではなくなった」という時、私たちは、「恋」という感情について語っているのです。

ところで、十分な愛の中に生きていながら、
それでも、それとは別に恋を望んでしまう人も多いと思うのだけど、
それはいったいどう解釈すればよいのだろう。

●ツインソウル

・しばしば誤解されますが、ツインソウルだからといって、性格や、趣味や好みや主義主張などの価値観まで、一致しているわけではありません。それらの多くは、生まれた土地柄や家庭環境、両親の教育や出身校での体験、そして出逢ってきた友人や恋人たちなどの諸要因によって、生まれた後に形成してきたものであり、生まれる前から持っていた「魂としての個性」を、直接的に反映したものではないからです。
・夫婦のどちらか一方、あるいは夫婦の双方が、よほどの心の支えが存在しないと乗り越えられないような、大きな課題や使命を持って生まれていくこともあります。その課題や使命が、あまりにも過酷なものであるために、せめて自分の分身であるツインソウルを伴侶として、その挑戦を支えてもらうのです。別個のソウルメイトどうしによるプロジェクト型の夫婦と違って、ツインソウル型の夫婦は、放っておいても深い信頼関係で結ばれているため、かえって、プロジェクト型の夫婦よりも、より困難な試練や逆境に挑戦できるだけの、しっかりした土台を備えているというわけです。
・なお、しばしば、「愛する夫(妻)と、死んだ後にも必ず逢えるのでしょうか」「あの人と、また夫婦になれるのでしょうか」などと質問されますが、死んだ後には元の一つの魂に戻るだけですし、また何度でも二つに分かれて生まれていくことができますから、「また逢えるのだろうか」という不安を抱く必要さえもありません。「また逢える」どころか、一緒に融け合って、一つになるのですから。

ここを読むと、安心できる。
死別に対する寂しさであるとか不安は、もつ必要がないんだなと、思えるから。
仏教的な空の理論によっても同じ話になるわけだけど、
なぜかこちらの方が安らかな思いに満たされるのは、なぜだろう。

●結婚

・「人生のその時期に夫婦になる必要がある相手」だからこそ夫婦関係になるのであり、その「必要性」の中身は、多種多様です。かつての人生で受けた恩を返すことであったり、自分に足りないものに気づくことであったり、ある仕事を共に進めるためであつたり、ある子どもを産んで育てるためであったり、その夫の母親(姑)に出逢うためであったり、その相手に先立たれる体験をするためであったりと、さまざまな理由があって夫婦になるのです。したがって、結婚相手というのは、「その相手とならば、最も深く愛し合える」という理由で選ぶというよりも、「その相手との関係を通じて、どうしても学ばなければならないことがある」という理由を中心にしながら、選ぶことになります。そのため、結婚というのは、すべてを解決してくれる「ゴール」ではなく、むしろ、そこから新たな課題が次々と生じる、「スタート」地点にすぎないのです。特に、プロジェクト型の結婚の場合には、まさに、「結婚という学びのプロジェクト」の、スタートにほかなりません。
・ソウルメイトの観点からみると、結婚には、「プロジェクト」型の結婚と、「ツインソウル」型の結婚があり、それぞれ、次のような違いがあります。
・愛し合っている人と、愛を継続させるためには、相手の時間や感情を独占したり、相手を自分の思い通りにコントロールしようとは、思わないことが大切です。いくら愛し合っていても、いかに相性の合う人であっても、たとえ心の奥でいつもつながっていても、たとえツインソウルであるとしても、ひとりの人間として、その人は「自分とは別の人」だからです。その人は、魂のレベルで一心同体であり、自分を最も理解してくれている人かもしれませんが、それでも「人間」としては、自分と同一人物ではなく、自分の所有物でもありません。

うちの場合で言えば、
私の父と母は、プロジェクト型だろうなと思う。
姑に会うために生まれてきたような感じ。
また、結婚はゴールではなくてスタートだ、という話は、
よくきくし実感もしているところだけれど、
ソウルメイトという時間スケールでこれを考えると、
さらにその意味が、深まるというか、重味を増す感じ。
私にとっての学びは、何だろう。

●浮気

・特に、男性にとっては、男として生きることを選んだ人生で与えられる、大きな修行課題のひとつが、「性欲をコントロールする」という無理難題です。人生のあちらこちらで、ついつい性欲に負けてしまいそうな「試練」の瞬間が、男性たちを、虎視眈々と待ち受けています。(実は自分で計画しておいた試験問題なのですが…)

この部分、ちょっと考察が浅いような気がする。
少し、科学的ではない。
正直なところ、もう少し突っ込んだ話が読みたかった。
精神論と道徳で終っている感じがする。

●結婚しないという人生

・「今回の人生では結婚しない」と決めている場合には、ツインソウルとして二つに分かれることはしない状態で生まれてきますし、過去の人生で何度かプロジェクト型の夫婦として生きたようなソウルメイトたちとも、遠く離れた外国で暮らすなど、一度も接点がないままで人生を送ることもあります。しかし、ソウルメイトのきずなはきわめて強いため、結婚という形で生活することはないとしても、人生の何処かで、恋人、親友、親子、兄弟、あるいは困った時になぜか助けてくれる通りすがりの人などといった形で、少なくとも一度は出逢って、無意識のうちに旧交を温め、「今回は別々の道を歩むが、どこにいてもがんばって人生の修行を乗り越えよう」と、明に暗に激励し合うことが多いようです。
・そのほか、たとえば、「今回の人生では、世のため人のために果すべき大きな使命を持って生まれたため、それに専念できるよう、結婚生活のしがらみからは解放された状態で生きる方が望ましい」という場合にも、独身のままで一生を送ることが「きわめて順調」だということになります。(特に、医療・福祉・教育・環境などの仕事に従事するよう計画して生まれる場合に、このようなパターンが多いようです)しかし、そのような場合でも、やはり深い関係のソウルメイトは身近なところに生まれて、同性の親友として(異性だと恋愛関係になってしまうため)、たがいに独身のままで過ごす人生を、ともに助け合いながら生きることが多いのです。「結婚」というのは、この世の法律的な出来事にすぎないため、特に「籍」を入れなくても、たとえ同性どうしであっても、人生の多く、あるいは大切な時期を、一緒に生活したり助け合ったりすればかまいません。
・いずれにしても、結婚については、「する方が効率的に学べる」とか「しない方が法律的に使命を果たせる」などの緩やかな制約はあっても、「絶対にしなければならない」とか「断じてしてはならない」といった、厳格な制約はありません。
・大切なのは、それらの貴重な体験を通じて学び、自分を高めていき、やがて「愛するということは、ふさわしい相手選びの問題ではなく、自分自身の精神的成長の問題なのだ」ということに気づくことなのです。

兄たちは、結婚をしていないし、その兆しすら見えない。
今生では、結婚しない人生を選択しているのかも知れないし、
もしかするとどこかに、ソウルメイトに出逢うチャンスが待っていて、
まだその時ではない、というだけなのかも知れない。
自分ばかり結婚して、という負い目に似たような意識が少しあったのだけど、
もしかすると、どちらでも、いいことなのかも知れない。
いずれ、なるようになるのだから。

●離婚

・もしも、相手が、自分との結婚の解消を望むなら、そしてそれが真剣であるなら、さわやかに別れてあげるしかありません。いったん心の離れた相手を、何らかの方法で形の上だけ拘束しても、お互いにとって、幸せな未来は望めないのです。特に、妻や夫が、ほかの人を本気で真剣に愛してしまっている場合には、もう元には戻れません。たとえ、徹底的に法的な手段を駆使して、離婚を阻止したり延長しても、それは単に「形だけの夫婦関係」を維持することであって、たがいの幸福には結びつきません。
・もしも今の結婚相手に大きな不満があるならば、そして相手がその不満点を改善する努力をしてくれないならば、ほかに本気で真剣に愛せる人を求める権利は、持っているはずなのです。結婚は牢獄ではないのですから、その結婚相手とでは幸せでいられないと確信した人が、真の幸福を求めてほかの人を探す権利までは、否定することはできません。
・この意味で、結婚の誓いというのは、「どんなに辛いことや嫌なことがあっても、どれだけ我慢しなければならなくても、いかなる事情が生じても、絶対に撤回しない」という、不合理で非現実的な誓いではなく、「この相手と、たがいに男女関係を高めていく努力をして、実際に良好な関係を維持できる限りは、結婚という形を継続します」という、合理的で現実的な誓いであるべきなのです。
・私たちが、ほかの誰かに対して確約できるのは、「刻々と変化しながら生じてくる、その時点での『今』という瞬間において、あなたと私の関係のために、最善だと思える選択をいたします」というのが限界であって、「結婚」についても、その範囲内で誓うことしかできないはずです。相手にとっても同じ条件であり、相手に対しても、これ以上のことを求めることはできません。
・親が幸せそうな顔をしていないという事実は、子どもにとっても、幸せなことではありません。暗い顔で夫婦生活を続けるよりも、離婚することによって、明るい顔で生活できるようになるならば、その方が、子供のためにもなるのです。

成功者の多くが夫婦仲睦まじいという話があるけれど、あれは神話なのだろうか。
そういう離婚シナリオを選んで生まれてきても、成功する、という人もいるはずだから
確かに神話なのかも知れない。
まあいずれにしても、この話は、気が楽になるというか、
多くの女性にとっては、自由になれる解釈だろうな。
なお、別のところで書かれていたけれど、
単なる浮気と、好きな人ができた場合の話は全く別な解釈になっている。
ここは、本当に、もう愛情がなくなってしまった場合の話。

●ソウルメイト認識が変えるもの

・若者たちの間に、「ソウルメイト」という概念が正しく広がっていけば、それは、かつての日本で頻繁に使われていた、「縁」という概念の、形を変えた復興を意味していると言っても、過言ではありません。
・かつての日本が、「縁」というキーワードによって結ばれた共同体であったように、今後は「ソウルメイト」という言葉によって、各人が周囲の人々との「不思議な縁」を意識しながら生活する、新しくて古い共同体社会が現れるのではないかと期待できるのです。そのような共同体社会では、「縁」あるいは「ソウルメイト」を意識することによって、「袖すりあうも他生の縁」という言葉通りに、人々が積極的に助け合いながら生きるようになるでしょう。ここでいう「他生」とは、まさに、人生と人生をつなぐ、ソウルメイトの概念を語っているのですから。
・したがって、「縁」や「ソウルメイト」の概念を信じる社会では、「この人と出逢ったということは、この人と自分との関係には何らかの意味があるはずだ」と考えるのが、当然の習慣でありマナーだということになります。その結果、「こんな人、自分には関係ないや」と無視することはできなくなって、困っている人を見捨てるわけにはいかなくなるのです。かつての日本は、まさしく、そのような形で人々が助け合う、「縁で結ばれた共同体」だったのではないでしょうか。

確かに、この面では、ソウルメイトに関する概念は、とても役立つ。
ただ、若者に広がるのは、彼らに興味がある男女の恋愛に限っての話。
男女の恋愛を超えたところの縁にまで、この概念を拡張して理解できるかどうか、
そこに興味をもってもらえるかどうか、それが、一つの壁なんだろうと思う。

●その他人間関係

・その人に悪口を言われたからといって、自分という人間の価値が本当に減ってしまうわけではなく、自分の人生の価値が本当に失われるわけでもありません。その人に言われた悪口など、自分の人生全体の仲では、取るに足らない、どうでも良いことにすぎないのです。誰に何を言われようとも、自分から見た自分自身がしっかりしていれば、それで良いのです。もしも、誰かにケンカを売られたとしても、徹底的に無視して、放っておきましょう。あなたがケンカを買ってしまうと、相手の思うツボなのです。そして、それは、人生の罠でもあるのです。そのような場合に、平然と受け流すことができるようになれば、あなたはその試練を乗り越えて、問題を解いたことになります。一度解き方がわかれば、もう今度は、たとえ似たような問題が現れても、簡単に解けるようになるでしょう。
・私は、「他人に対して期待しないで、自分に対して期待しよう」と心に決めていますので、他人の言動に落胆することは、ほとんどありませんが、それでも、何年かに一度くらいは、「この人の言動は、どうしても受け入れられない」と、とんでもなく頭にきてしまうことがあるのです。そのような相手に対しては、私はその日から、しばらく交流を絶つことにしています。うっかり交流してしまうと、どうしても、その相手に文句を言いたくなり、言ってしまうと相手を傷つけ、言わないでおくと自分のストレスになるため、いずれにしても状況が悪化するからです。
・ある人との過去の嫌な思い出を「隠す」(マイナスのままで見えなくする)のではなく、きちんと「価値づける」(プラスへと転化させる)ことによって、記憶が入った心の引き出しの中を、プラスだらけにしてしまいましょう。

確かに、一つの試練、STUDYとして考えれば、
それが終わってしまえば、どうでもいいことになる。
「こんな問題にかかわってる暇はない」と思うなら、
早くそれを解いてクリアしてしまうことだ。

●仕事について

・「職場に使いこなされている人」と、「職場を使いこなしている人」との違いは、心の奥の深い部分に潜む価値観、つまり潜在意識の違いです。
・「職場に使いこなされている人」に共通する特徴は、「人生の意味や自己の存在意義に関する明確な意識を持っていないため、とりあえず、職場内で名声を得て出世し、人の上に立ったり多くの給料を稼ぐことを、人生の目標としていること」です。したがって、事実上、職場や仕事そのものが、人生の目標であると言えるでしょう。
・「職場を使いこなしている人」の共通点は、本人が自覚しているかどうかにかかわらず、人生の目的を「自分らしさ(identity)の追求」においており、職場や仕事を、そのための道具・手段として位置づけていることです。この種の人にとっては、「いかにして自分らしい人生、自分らしい毎日を送るか」ということが日々の行動指針であり、それを実践するために、目の前の職場や仕事を通じて得られる知識・情報・人脈・経験などを、最大限に活用しようとします。
・仕事とは、宇宙に向って、自分という魂の存在を主張する、大チャンスなのですから。

確かにこれはとてもよくわかる。
目標を見失いがちになると、(意識から薄れると)、
現象が、だんだんと会社(取引先)の都合のいいように動いてしまう。
つい最近も、それを実感した。
だから、それが完全に根付くまでは、
毎日、毎晩、毎朝、確認するということが大切になる。(マインドセット)
現象を動かす力というのは、結局のところ、
自分の人生では、自分が主役であるという確固たる意識、自負。
誰にも主役・主導権を渡さないための、明確なイメージの力
なのだと、思う。

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