旅をする木

好きな人が二人ぐらい、
星野道夫さんを推薦していた。
それで、手にとってみた。
アラスカに行ってみたくなった。

・ぼくはこの旅で、どうしてアラスカにはスイスやドイツからの観光客が多いのかがわかりました。数日前、友人とザルツブルク郊外の山に登ったのです。けれどもアラスカから来ると、ヨーロッパアルプスは箱庭のように小さく見えます。とても美しいのですが、奥行きがないのです。ホッとさせてくれる自然ですが、人間を拒絶するような壮大さがないのです。百年以上も前にアラスカを旅した人が、”若い時代にはアラスカへ行くな。人生の最後に出かけなさい” と言ったそうです。
・ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。
・昔、電車から夕暮れの町をぼんやり眺めているとき、開けはなたれた家の窓から、夕食の時間なのか、ふっと家族の団欒が目に入ることがあった。そんなとき、窓の明かりが過ぎ去ってゆくまで見つめたものだった。そして胸が締めつけられるような思いがこみ上げてくるのである。あれはいったい何だったのだろう。見知らぬ人々が、ぼくの知らない人生を送っている不思議さだったのかもしれない。同じ時代を生きながら、その人々と決して出会えない悲しさだったのかも知れない。
・人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いなから、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。
・旅を終えて帰国すると、そこには日本の高校生としての元の日常が待っていた。しかし世界の広さを知ったことは、自分を解放し、気持ちをホッとさせた。ぼくが暮らしているここだけが世界ではない。さまざまな人々が、それぞれの価値観をもち、遠い異国で自分と同じ一生を生きている。つまりそのたびは、自分が育ち、今生きている世界を相対化して視る目を初めて与えてくれたのだ。
・この土地を旅する中で、さまざまな人々に出会いながら、いつしかぼくは ”おまえはどこで生きてゆこうとしているのか” と自分自身に問われ始めていたのである。この土地にずっと暮らしてゆこうと思い始めてから、自分を取りまく自然への見方が少しずつ変わってきた。それまでのアラスカの自然は、どこかで切符を買い、壮大な映画を見に来ていたような遠い自然だったのかもしれない。でも、今は少し違う。
・寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。
・世界が明日終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植える…ビルの存在は、人生を肯定してゆこうという意味をいつもぼくに問いかけてくる。
・何よりもうたれたのは、彼らが殺すクジラに対する神聖な気持ちだった。解体の前の祈り、そして最後に残された頭骨を海に返す儀式…それはクジラ漁にとどまらず、カリブーやムースの狩猟でも、さまざまな形で人々の自然との関わりを垣間見ることができた。ぼくは狩猟民の心とは一体何なのだろうかと、ずっと考え続けていた。自然保護とか、動物愛護という言葉には何も魅かれたことはなかったが、狩猟民のもつ自然との関わりの中には、ひとつの大切な答があるような気がしていた。それはもしかしたら、狩猟生活が引き受けなければならない偶然性と関係があるのかもしれない。…狩猟生活が内包する偶然性が人間に培うある種の精神世界がある。それは、人々の生かされているという想いである。…私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくいその約束を、最もストレートに受けとめなければならないのが狩猟民である。約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえてもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。動物たちに対する償いと儀式を通し、その霊をなぐさめ、いつかまた戻ってきて、ふたたび犠牲になってくれることを祈るのだ。つまり、この世の掟であるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすますことができなければ、たとえ一生野山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのではないだろうか。人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中にとり入れることで、より深く大地と連なることができる。
・結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である

生きている実感。
決して出会えない根源的な悲しさ
自分は、どこに根をおろすのか。
殺すとはどういうことなのか。
なぜかホッとする。
温かい、それでよかったと思える、
そんな一冊だった。

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