新時代の「捨てる」生き方入門
持たない頼らない執着しない
この人って悟ってるんじゃないかな、と思う。
●本音で生きる
・「フレームを言う」ことの継続は、周囲との折り合いをつくり出していくことだ。
・そうやって厄介な圧力との折り合いをつけていく作業を、自分で繰り返していこう。だんだん人生のストレスが軽減されていくのを感じられるはずだ。
・「フレームを言う」とは、つまり「本音で生きる」ことだ。
ホリエモンくらい潔くアサーティブに生きられたら・・といつも思っていたけれど、
彼だってやるべきことをやっているということなんだな。
●モノ
・所有する喜びと、獲得する喜びを混同してはいけない。
・僕たちは所有よりも共有を選ぶ方がいい・・・というより、選ばざるを得なくなっていくと思う。そんな時代に、本当に求められるのは、何をしたか? 誰と出会ったか? どんな面白い意見を語れるか? という個人の経験値だ。
・思い出の品を捨てられないという人は結局、ヒマなのだ。いまという時間に集中して、熱中できるものに取り組んでいたら、過去を思い出すことなんか、ないはずだ。やりたいことに全力を尽くせていないから、思い出などに思考が奪われる。
確かに。
こんまり流の片付けなんかでも、思い出の品のところが最難関だと読んだ気がする。
情緒がどう、ということではない。
このスピード感でミッションとビジョン理解して生きている人にとっては
そんなヒマはない、というのが正直なところなのだろう。
決して誇張ではないと思う。
●ビジネスの人間関係
・ビジネスで望ましいのは、セミドライな関係だ。仕事として相手には尽くすが、互いに寄りかからない距離がベストだと思う。
・僕は経営者時代、社員に対して、会社に忠誠心や結束力を求めることはなかった。また、同僚と友人になる必要はないとも思っていた。大事なのは、会社が働き手それぞれにとって、好きな仕事ができる場として機能しているかどうか。不満がないなら仕事を続けるし、そうでなくなったら辞める。シンプルでいいのだ。
・やりたいことを進めていくのに、利害関係と気持ちの方向性が合致していれば、とりあえず一緒にビジネスする関係は築ける。
・人の人格や能力に合わせて、自分のやりたいことやプランを説明するのが、すごく嫌なのだ。昔風の表現をするなら、口でいちいち言わないでもわかる勘のいい人とだけ、一緒に働いていたい。「ついてきていいけど、邪魔になって協力してくれないなら、どっかへ行って」と言うのが本音なのだ。
・僕は会社経営者時代を含め、人をクビにしたことはほとんどない。「切り捨てる」というのは、同じラインで仕事をしなくなったり、呼ばなくなるだけだ。辞めていったり、僕はら離れるのは、向こうの意志にすべて委ねてきた。
・あいつは俺が育てた! みたいな自慢をするおじさんは、多いと思う。あれは格好悪いよね。それこそ、過去の関係を捨てられない証拠だと思う。頑張ってうまくいく人は、誰が上司だろうと、必ず頑張るのだ。
今、職場の人間関係で、なかなか部下に苦しんでいるところだったので、
この言葉はとても大きなヒントになったように思う。
自分がメンターやコーチとして接すると決めた場合には別かもしれないけど、
そうでない場合は、この感覚で、いい。
●その他の人間関係
・「はじき出してやろう」「はじき出されないようにしよう」と必死な人たちに、何としてでも好かれたいのか? 僕は、まっぴらだ。「はじき出してやろう」としてくる人など、遠慮なく捨ててほしいと思う。誰が誰を嫌おうと、何を考えようと、あなたの人生には関わりがないのだ。それに気づいたら、好かれたくもない人のことなど捨てよう。「相手が自分をどう思っているのか」「どうしたら意見が合うのか」と、悶々と考えることに人生の時間が奪われるなんて、あまりにももったいない。
・自信のない人、他人のせいにするクセのある人は、「世間では」とか「日本人は」とか、巨視的な立場の意見を言おうとする。
・長い付き合いの友だちが何十人もいる、と自慢げに言う人がいたら、僕は要注意だなと思う。同じ価値観に固まって生きていて、思考も知識もバージョンアップしていない可能性が高いからだ。
・友だちをリセット – 。私にはできないという人もいるかもしれないが、そんなことはない。むしろ、いま大事にしている友だちや仕事仲間に、何かが縛られていないか? 見つめ直してみるといいと思う。
・僕には仲間とか身内とかいう考えがない。たとえ長年の信用があったとしても、いらなくなったら、もういらない。
・人間付き合いの基本は、是々非々であるべきだ。100%の信用が保証された人なんて、肉親でも存在するわけがないのだ。いると信じていたら、人間観がおこがましいと言わざるを得ない。人とは、どれほど複雑で多面的か、という想像力が欠けている。
ここも、これは仏教的な感覚に近いなと思った。
この人は情の世界を超越している。