セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす
2020年までに、日本は、中国、統一朝鮮とともに儒教件ブロックを結成する。
The Spiritual Imperative SEX, AGE, and the LAST CASTE
この本から受けた衝撃は、言葉で表現するのが難しい。
神田さんの2022の下地にもなっている原理。
そこらの経済アナリスト・怪しげな預言者より1万倍も精度が高い未来予測。
近未来から子どもたちの将来まで、網羅されている。
これを理解できる人は誰でも深い友人になれそうだ。
中長期の未来予見の書として、とても貴重な一冊。
そして、子を持つすべての親は読んでおくべき。
子どもたちにもプレゼントしたい。
●原理と未来予見
・マルクス主義のマクロヒストリーは、最もよく知られ、最も影響力があり、その人気にしても不人気にしても、最も長く続いたものである。いまでは評判もがた落ちだが、その歴史段階の記述や未来の予測は基本的には正確で、じつは私の「カースト・モデル」の各段階ともほぼ一致している。「カースト・モデル」は、古代のヒンドゥー哲学にもとづいたものだから、これは奇妙に聞こえるかもしれない。だが、あまり知られてはいないものの、マルクスとエンゲルスは、インドのアシューラムで過ごしたことがあった。「カースト・モデル」は、マルクス主義哲学より3000年も古い哲学にもとづいているが、マルクス主義モデルのもつ欠陥はない。1940年代、50年代、さらにその後に幻滅を味わうことになった多くの元マルクス主義者が、もし「カースト・モデル」を知っていたならば、これを代替理論として、再びマルクス主義の歴史と革命の哲学に回帰していただろう。
・経済は私たちの年齢、性、あるいはカーストを決定することはない。逆にこの三つはすべて、私たちの今後の経済状況を大きく左右する。
・誰もが受け容れやすい予想など、たぶん何の役にも立たないということだ。歴史は繰り返し私たちを驚かせる。予期しないことや受け容れがたいこと、決して起こる「はずがない」と言われていたことが起こる。
・大昔には、ごく自然なこととして受け取られてきた罪悪であっても、のちの世には、人間ならば何とか抜け出せと「精神」が命じた罪悪は枚挙にいとまがない。人食い、人身御供、暴政、奴隷制、男性優位、剣闘など死を賭けたスポーツの見せ物、人種差別、帝国主義、公開処刑、魔女の火炙り等々である。
・…理性というより精神的感受性に従ったものである。人類は、精神的成熟度、感受性、自己認識のすべてにおいて、もはや奴隷制を容認できない段階に達し、「精神の命令」に素直に従った。言い換えれば、歴史のそれぞれの段階で、人間は「精神の命令」を受け、もはや前述の悪しき習慣や慣行を受け容れがたい精神的な自覚のレベルに達し、経済、政治、その他、使える手段はすべて使って、そうした悪習をすっぱりと断ち切ったのである。
・これは未来にも言えることで、私たちは、歴史上の新たな時代の「精神の命令」に従って、経済的資産を誰もが等分に受け取る保証が得られるような精神性の高い経済システムを創造することだろう。そして本書に記した多くのあり得ない予想も、現実のものとなるだろう。
決して起こるはずがないと言われていたことが起こる。
今では常識とされていることが非常識に、非常識とされていることが常識に。
そういう意味で、現在の思想的な異端児は、時代の先駆者なのかも知れない。
●性モデル(女性→男性→両性)
・陰と陽の基本的な違いは、周囲の環境、たとえば自然、他者、環境一般、さらには自分自身の身体から、どれだけ自分が離れていると感じているか、その度合いであるということだ。私たちは、個人としても人類全体としても、誰もが陰、つまり女性からスタートする。初めは周囲の環境とぴったり結びついているからだ。やがて、陽、つまり男性となる。これは心理的に周囲の環境から自分を切り離すということで、周囲から離脱するような感覚をもちはじめる。自分自身と宇宙とを分ける境界となる皮膚を境に、周囲と自分とを切り離すのだ。…陽の要素が強まるにつれ、次第に周囲からの離脱感が強まる。すると、物事をバラバラの部分に分けて考えやすくなる。
・東洋より西洋のほうが陽の要素が強い。男性的な陽の文化の極は、西洋文化の大半が軸とするエルサレムで興隆し、一方、女性的な陰の文化の極は、東洋文化の大半が軸とするベナレスに目を向けた。二つの聖地は人間文化の男性と女性の極とみていいだろう。
・東洋の宗教、習慣、性向、理念などは、今後も西方に広がりつづけ、一方、西洋の宗教、思想、習慣も、東方に進みつづけるだろう。後者には、キリスト教やマルクス主義ばかりでなく、資本主義、民主主義、科学的精神、先端技術なども含まれるが、もっと微妙なものも入ってくる。たとえば、自分の意見をはっきりと、たとえ旧来の礼儀や年長者への尊敬の念をないがしろにすることになっても、対等の立場で発言するという西洋の習慣などだ。
・女性の東洋が男性の西洋と、異文化交流という「性交渉」を行い、その結果、東西という「両親」の文化がもつ最良の部分を受け継いだ新たな世界文化が「誕生」する。これにともなう恍惚感は、人類をさらに高度な進化の段階へと向かわせることになるだろう。
この流れを理解することで、
私自身が、性格的にやや両性的な傾向がある理由が、理解できた。
そしてまた、自分で自分を受けいれられた。
どんな診断をしても、男性性と女性性がバランスしている理由が。
●両性の時代
・一夫一婦制の終焉
・今日のごく平均的な陰あるいは陽の人々とは異なり、明日の両性的な人々は、自分のパートナーから、誰かと深い関係や行きずりの関係をもったと聞かされても、たちまち嫉妬心を爆発させたり、「裏切り者」「背信行為だ」などと叫んだりはしないだろう。何らかの機会が訪れても、実際の性行動に至らない場合、私はひそかに次のような理由がすべてではないかと思っている。タイミングの悪さ、肉体的不能、そしてごく普通の警戒心。この警戒心については、場面場面で異なるが、たとえば性病や望まない妊娠、感情的に不安定な男性あるいは女性との「危険な情事」的状況に対する恐怖、無防備な身内や関係者、第三者を傷つける事態を避けたいという思い、過度の性的放縦や耽溺を抑制したい気持ち等々である。
・21世紀の性関係のスタイルは、現在の、友情を築いたり、身内の者を愛したりする場合と似通ったものになるだろう。
・両性時代の先駆けたちは、陽の時代のカップルが直面した基本的な矛盾 – 互いに深く親しみ合いたいという衝動と、さまざまな人々と性的関係を結びたいという衝動 – の調和を実現させるだろう。陽の時代の現在は、この矛盾を乗り越えられる男性あるいは女性はごくわずかしかいない。この両性の波が高まってくると、多くの人々が両性的な関係を実際に結ぼうとするだろう。
・ケン・ウィルバーは、著書『エデンから』のなかで下記のように述べているが、私の知るかぎり、成人期と両性時代との関連をこれほど巧みに表現し、また裏づけてくれるものはほかにない。…逆に言えば、成長段階と知性が低ければ低いほど、その人物は男性あるいは女性の典型的な特徴をみせる。まだ自己が未分化の状態にある動物の身体によって定義された特徴だ。最も発達した人格が示すのは、男性原理と女性原理の双方の均衡と統合で、これは精神が両性的であるということだ。一方、人格がまだ発達していない人は、それぞれの性の典型的な態度をみせる傾向が強い。
嫉妬心や独占欲の超越という意味はうっすらと理解できるのだけど、
一夫一婦制の終焉というこれは、生まれてくる子どもにどういう影響があるのか。
子どもには父親と母親が必要、という視点ではどのような解決をみるのか、
そのあたりが、まだ今の私には理解できない。
それと、ここでいっているのは、性的趣向が中性になるという意味ではないと思う。
もっと精神的なもの、例えば性格やライフスタイルや感覚、といったものだろうと想像する。
その意味で、強すぎる男性性や女性性というのは、それ自体が知的に未発達だということ。
中性的であるということは、より進化が進んでいるということなのであって、
劣等感や違和感を持つべきではないのだ。
●カーストモデル(精神と宗教→戦士→商人→労働者→精神と宗教2)
・商人カースト(拝金主義者)の目的はカネと富で、仕事は二次的なものとみる。事実、究極の拝金主義者は、仕事を一切する必要がなくなれば、それが最大の成功の証しと考える。その「哲学」は、「自分は働かず、カネに働かせよ」ということだ。だから、もしチャンスさえあれば、純粋な投資家となるだろう。これとは対照的に、労働者カースト(仕事の崇拝者)は、単なるカネや物質的な報酬を蔑む。仕事の崇拝者は、格の高い会社で、格の高い地位につき、専門的な手法で仕事をすることに満足感を覚える。その仕事で得られるカネや報酬も、そはそれでありだかい。自分の仕事の格や実力、信望を象徴するものだからだ。たしかにカネは生きるために必要だが、主たる関心は仕事そのものなのである。というわけで、労働者カーストの世界観は、昔ながらの懐かしい職人の世界観に近い。
・労働者カーストは、もはやブルーカラーの工場労働者が主力メンバーではない。いまではホワイトカラーが主力で、それゆえ支配グループとなっている。そのメンバーは、技術系出身の専門家(テクノクラート)と事務管理系出身の専門家(ビューロクラート)である。
・「労働」は歴史的進化を遂げ、鎌(農業)からハンマー(手工業と機械工業)へ、さらにはキーボードへと変貌した。このキーボードこそ、今日の労働者カーストを象徴するものだ。
・戦士たちは武器、兵隊、戦略を発展させた。それが当時の世界とカーストの力の源泉だったからだ。これと動揺に、商人たちは商売に必要な道具と技術 – 商業、貿易、海運、金融、銀行業 – を発展させた。それが同時の世界とカーストの力の源泉だったからだ。現在、労働者カーストは、まさにこれと同じ理由から、その道具と技術の発展に全力を傾けている。どの専門技術者集団と経営管理者集団が最高レベルの科学、ハイテク機器、経営管理技術の知識を確保できるかで、最強の力と最高の管理能力、最強の防衛力をもつ集団が決まる。また、こうした道具や技術、知識が全体として発展すればね労働者カーストのエリートは、ほかの三カーストを支配できるようにもなる。
・「ビューロ・テクノストラクチャー」が活躍している舞台は、主としてビッグ・ビジネスを展開する大企業であり、もはや昔の商人カーストの大立者では経営しきれなくなった大規模かつ複雑化した企業だが、その他の大多数の小企業は、いまも商人カーストが経営にあたっている。じつは、こうした商人カーストの多くは、新たに商人カーストとなった者たちで、生まれは労働者カーストの家庭だが、自らのカーストを「転換」した。他人のために働いたり、労働者エリートが経営する大企業で働いたりすることに満足できず、自分自身がボスになろうと決めたのだ。
・カースト闘争の一パターンとして、互いに争った二つのカーストは、ことにそのエリートレベルでは統合するということがあった。
・もし企業に雇われ、報酬を得ている技術者ならば、たとえその報酬が高額でも労働者カーストの一労働者というとになる。だが、自分自身がボスで、技術関係の事業を自ら展開し、その会社や事務所の所有者であったなら、その技術者は商人カーストに属することになる。だが、この線引きは曖昧になりがちだ。同じ技術者でも、商人カーストでもなければ、労働者カーストでもなく、精神・宗教カーストに属する場合もある。
・個人の要求と、規則あるいは国のシステムの現実的、ないしは想像上の利害が対立する場合、役人たちはシステムを優先する傾向がある。「私は仕事をしているだけですから」的な態度は、どんな仕事でも職業でも見られるものだ。精神・宗教カーストの人は、過激派や原理主義者の大部分を除けば、まさに労働者カーストの人が振り返ろうとしないもの – 懸念、同情、疑問 – を最優先に考える。仕事の環境がどのようなものであろうと、精神的・宗教的な人は、個々人に必要なことと、システムの規則や利害が対立した場合、前者を優先して考える。仕事に全力を尽くすのは、その内容に精神的なものが含まれ、あるいは少なくとも非精神的でない場合だろう。
・労働者カーストのシステムに精神性が欠けている第三の分野は、政治的分野だ。労働者カーストの政治システムは、公式には民主主義的で平等主義ということになっている。だが実際には、金持ちで学歴が高く、良いコネをもち、マナーを心得、活力があり、男性で、肌の色が白い市民に比べ、一般市民の政治的影響力は格段に小さい。
・そのシステムは、早期のシステムよりはましになっているものの、いまだに不平等を推し進めている。ジョーとヒロコは、モウとメアリーよりも懸命に働いているが、モウとメアリーのほうが稼ぎが良く、レベルの高い生活をし、高度の医療や教育を受けやすく、セックス、たぶん愛までも手に入れやすい。なぜなら、このシステムは、一部の人々を簡単に金持ちにさせ、残る人々を貧乏のままに捨て置くものだからだ。
・もしこのシステムの要求を満たせば – 専門知識を身につけ、地位や仕事が求めるように振る舞い、慌しく何かを得たり消費したりし、洞察や情熱、自主性や関係の深さを犠牲にし、つまり、魂を売り渡すならば – 物質的な安逸と、システムからの愛情と保護を得られるのだ。魂を売れば売るほど、得るものは多い。もしシステムの要求を満たすことができなかったり、拒んだりすれば、結局は社会の底辺に追いやられる。
・一般の人々は、戦争が起こるのは、複数の国が戦争以外の方法では解決できない問題を抱えているからだと信じている場合が多い。「カースト・モデル」を眺めれば、もう少々、深い理由が浮かんでくる。戦争が起こるのは、そうした国々の多くの人々が戦争を「望んでいる」からだ。なぜ望んでいるかといえば、彼らが精神的にも経済的にも社会的にも、まだ「戦士の時代」に生きているからだ。もしある人の頭脳がその時代を超えたら、その人はもはや戦争を望まない。
この流れを理解することで、
私自身が、どうしてガツガツした商人になりきれないのか。
また逆に、大企業のエリートコースを歩くことを望まないのか。
そして、むすろ社会起業家という言葉に強く惹かれるのか。
その意味が理解できた。
●精神・宗教カースト2の時代
・上昇カーストたる精神・宗教カーストの上層部が社会のトップ層を形成することになる。このカーストの上層部を構成するのは、伝統的な宗教の指導者、カリスマ性のあるグル、特定の宗教グループや宗派、教団、教会、イスラム教のモスク、ユダヤ教のシナゴーグなどとの密接な結びつきのない精神的指導者、さらには東洋あるいは西洋の通常の概念の神あるいは視遊興と直接的には結びつかない精神活動の指導者や教師などになるだろう。
・「商人の時代」の労働者のように、上昇する精神カーストのメンバーは、現在は尊敬もされず重視もされない。たとえば、もし瞑想にふけっていれば、労働者カースト支配の社会からは「現実逃避」とみられる。他者の尊敬を得て、言い分をまともに聞いてもらうには、精神カーストの人々としては、労働者(worker)を模倣し、労働者の振りをしなければならないということだ。これを良く示す例は、精神性志向の人々が「ワーク(work)」という言葉を「着服」していることだ。精神カーストの人々は、広範囲の心理的・身体的・精神的セラピーや訓練を行っているが、この場合も「Work」を使う。「Body Work」「Growth Work」「Inner Work」「Work on Oneself」あるいは単に「The Work」等々だ。自由主義的な精神カーストが科学技術やコンピュータ関連の用語 – これまた労働者カーストの世界観ではきわめて威信がある – を使うのも、物まねの道具立てリストの高い位置にあるからだ。こうした用語としては、「プロセス」「プログラムされた」「クォンタム(飛躍的な)」がある。精神的伝道しが自分の技術や熟練度、専門性、科学性を強調するのも、こうした模倣の一例である。
・1600年前後から19世紀までの間に、戦士は商人となった。20世紀には、商人が労働者となった。21世紀の、精神カーストの発展段階に、労働者は、精神的になるだろう。
・精神カーストの革命・発展段階が終わるのは2030年あるいは2040年頃だろうが、その頃までには大部分の労働者がこの新たなカーストに加わり、新旧二つのカーストは北半球全体で統合し、そのシステムも「精神化」されているだろう。
・現在の労働者カーストのシステムは、片や不必要な仕事をして不必要な商品を製造し、片や不必要な消費を増やすという形で、人々の生活を雑然としたもので覆いつくしている。今後、人々がやたいと望み、あるいは必要とする仕事は、その内容が何であれ、遊びや楽しみになるようなもものとなるだろう。創造的で面白く、そして精神的なもの、ということだ。
・最も先進的な国々(スカンディナビア諸国)では、収入を法的に均一化させる可能性が真剣に議論されている。仕事の内容に関係なく、誰にも同一の報酬を支払うということだ。また、一律に最低収入を保証する制度を提唱するグループがいる国々もある。
・誰もが同一の収入を得るという構想は、非現実的だという議論もあるだろう。企業家やCEOなど企業の経営陣にしてみれば、企業の利益を拡大させるために、リスクをとって難しい決断をし、必死に働いているのに、その報酬が守衛と同じというなら、どうやってやる気を維持すればいいのだろう。だが、忘れてならないのは、ここで論じているのは「精神の時代」のことであり、「きわめて」精神的で宗教的な人々に関してだということだ。現在のビジネスリーダーは、過去の時代の世界観に呼応した三つの動機のすべて、あるいはそのうちのひとつの動機に突き動かされて仕事の意欲を燃やしている。戦士に見られる極度の競争意識、商人に見られるカネと富に対する貪欲さ、労働者に見られる名声、地位、安全に対する願望だ。これが「精神の時代」のビジネスリーダーになると、この時代の労働者一般と同様、仕事に邁進する動機は宗教と精神性だろう。
・バートランド・ラッセル『怠惰への賛歌』”普通の賃金労働者が一日四時間働けば、そこそこの暮らしができるだろうし、失業者も出ないだろう”
・仕事を偶像視(労働は善)する考え方が支配的なのは、「労働者の時代」だけだ。一般的なユダヤ教では、人が実行できる最も字有用なことは「神学生」になることだ。一般的なヒンドゥー教でも、高い身分の者は、労働者ではなく、司祭者層バラモンであり、ヨーガ行者である。バラモンの仕事は聖典の習得であり、ヨーガ行者の仕事は解脱の境地に達することだ。
・健康、教育、研究、宗教といった重要なサービス業の市場は、今後も急速な成長を遂げるだろう。
・宗教市場の台頭(宗教産業) : グループが俗界の競争相手が行っていない方法で、活発に活動しているサービス市場は、「精神的な」健康と教育という、内容が重なり合う二つの領域だ。
これをみると、ますます、
社会起業家とか、ゾクチェンの実践者などはの市井の瞑想家というのは
最も時代の先を行っているのだなと、思う。
・現在では、「精神的」(スピリチュアル)と「宗教的」(レリジャス)という二つの語は、異なる概念を表している。言い換えれば、二つの語は、二つの精神・宗教カーストグループのそれぞれを指して使われる。第一の、「過去への回帰」グループは、宗教的な道を選び、そのメンバーは、既成の宗教や宗派に加わる。第二の、「現在を生きる」グループは、精神的な道を選び、基本的には、どの宗教にも所属しない個人が、内なる神と内なる声を探求する。第一の道を選んだ人々は「宗教的」であり、第二の道を選んだ人々は「精神的」ということだ。
宗教的 : キリスト教とかユダヤ教、神道、仏教など、特定の既成宗教、あるいは既成の教会や宗派を指す。ある辞書の定義「特定の信仰と礼拝の体系」と呼応する。
精神的 : 個人あるいは社会全体としての魂の成長、あるいは状態を思い描いた場合に使う。特定の信仰、教会、あるいは宗派とは結びつけない。
・大部分の「回帰者」にとって、宗教への回帰が幼年期から青春前期に味わった確実性への回帰であり、「年齢モデル」によれば、人類の歴史における幼年期から青春期の精神的発達レベルへの回帰であったからだ。この時期の信仰は、母なる大地、あるいは天上の父という親の権威像への依存だった。また、「性モデル」と「カースト・モデル」で言えば、こうした回帰者が入信あるいは再加入した原理主義者や伝統主義の流れは、きわめて陰的な「精神・宗教の時代1」の遺物であり、きわめて陽的な「戦士の時代」の遺物であり、またある程度は「商人の時代」の遺物でもあった。この「再生」という方法は、三つのモデルすべてからみても、過去への回帰だったのである。
・この道を進んだ求道者たちは、「労働者の時代」を超える段階にまでは成熟していたが、自己発見と自己認識への道を会得するには至っていなかった。内なる声、善行、性別を超越した自己の内なる神へと導かれる自分独自の方法を発見するための道筋はまだ見えなかった。「労働者の時代」から抜け出したいと望みながらも、どこに向かえばいいのか確信がもてず、道の途中で出会った原理主義、伝統主義、既成の宗教という隠れ家に逃げ込んだ。ここにはすでに定まった祭儀、宗規、戒律があった。新たな精神・宗教カーストの大多数 – 私の見積もりでは95から99% – は、この最初の道を選んだ。
・精神性と宗教を求め、新たなカーストを形成した人々が歩んだ第二の方法は、現状を受け容れながら、未来へと前進する道だった。こうした者たちは、精神的、宗教的な道を求めた者のうち、わずか1%から5%の少数派だった。彼らは既存の宗教、教会、宗派のなかに、画一的な父親像、陽的な階層、性差別といった昔ながらの矛盾を見て取った。ここで彼らが選んだのは、過去の宗教という隠れ家ではなく、「年齢モデル」と「性モデル」に描かれた成熟した両性的な未来の宗教を日常生活のなかで創り出すという方法だった。
・この第二の道は、本人以外には感じ取れない個人的なもので、特定のグループや宗教、あるいは歴史的潮流とは関係がないものだ。
・ケン・ウィルバーは、この第二の道について、最も正確かつ明瞭に描いている。彼はこの第二の道を「トランスパーソナル(超個人)」と呼び、「個人以前」の、幼年時代と過去に回帰する「第一の道」と区別している。
・こうした宗教や団体は、「第二の道」の精神的に発達した個人によって創られた。まず思い浮かぶのは、キリストや仏陀だ。こうした第二の道の人々が個々に精神的、霊的な啓発や悟りを得て、次に第一の道の人々が、その教えにもとづく宗教や団体を設立したり、参加したりした。
・日常レベルでは、二つのグループ – 宗教的と精神的 – は、どちらがどちらと区別できないほど互いに溶け合っている。
・20世紀のインドの著名な霊的指導者、スリ・オーロビンドは、こうした成長について、きわめて的確な説明を行っている。「宗教の時代は終わった。精神性が未来の宗教である」
・宗教から精神への転換は、口で言うほどたやすくはない。男性だけの力では、決して転換など起こらないだろう。
最近また、オウム本を二冊読んだ関連で、思うところ。
今の時代の流れを理解する上で、オウムの存在というのは、とても象徴的な事象だったと思える。
彼らは、労働者カーストが最も強い権力を握る、この日本において、革命をやろうとしまった。
これは、ローレンストーヴの分析からすると、絶対に失敗するパターンである。
もしこれが一つ前の戦士カーストが支配する社会であれば、いち早く「宗教革命」として歴史が作られた可能性はある。
(その意味で、北朝鮮の影響があったという推定は、信頼に値する)
また、あらゆる思想のごった煮だと批判されている事実のとおり、
また、科学者を多数抱え、労働者カーストとの融合をはかろうとしていた形跡をみると、
よい意味では、当初はニュートラルな道、第二の道を志向していたことがわかる。
しかし、それがある時点から、
年齢モデルで言うところの、思春期から青年期の強い反抗の要素、
性モデルでいえば男性の要素、カーストモデルで言えば戦士カーストの要素が強くなりすぎた。
おそらくは、これがグルイズムに色を変えた時期と同じであるはずだ。
何らかの誘導というか、力が働いたと考えることもできる。
もしかすると、密教における、母タントラ・父タントラ というところとも関係があるかもしれない。
(ただし、イスラム勢力との闘いという歴史背景(戦士カーストの要素)を持つカーラチャクラは、
それが父母両タントラの統合である という話とは分けて考えないとわけがわからなくなる。)
あの教団が、もし女性指導者に率いられていたら、違う結果になっていたかも知れない。
現状をみるかぎり、上祐のひかりの輪は、神社を崇拝する等、第一の道に回帰しているように見えるし、
家族が率いる方は、原理主義、やはり第一の道の要素をより一層強めている感もある。
次の時代にシフトできる人、第二の道を志向できる人たちは、
かの教団を踏み台・過去のものとして、既に新しいことをはじめているような気もする。
●儒教圏ブロック
・この儒教圏は、日本、中国、朝鮮などで構成される。この場合、「中国」は、中国、台湾、香港、マカオの総称として使う。これらの国や地域は、間もなく単一の中国として統一されることになるだろう。また、「朝鮮」は韓国と北朝鮮を指す。こちらも間もなく再統一され、コリア、あるいはコリョ(高麗)と呼ばれる単一国となるだろう。
・ヨーロッパとアメリカが日本を模倣すべきでない第二の理由は、労働者カーストの世界観(と、その世界観にもとづく日本および儒教圏の覇権)は、比較的短命に終わると思われるからだ。世界はすでに「精神・宗教の時代2」の革命・発展段階に入っている。この革命・発展段階が進むにつれ、私たちは「労働者の時代」を離れ、その労働と仕事中心の世界観を手放すことになる。世界は宗教性と精神性を重視するようになるのだ。
・「年齢モデル」と「性モデル」が示すとおり、「精神・宗教の時代」に優勢となる精神的な世界観と成功原則は、「成熟」と「両性」である。ここで重視されるのは、順応性や集団主義より個人主義や個人の自律性、序列分けや性差別より平等主義、権威に対しては見境なしの服従より反抗、といったものになるだろう。また、両性社会で十分に活躍できる能力も求められることになるだろう。この精神的世界観は、商人カーストと労働者カーストのそれぞれの世界観のバランスをとったもので、具体的には個人主義、強い自我、平等主義、集団内の調和、豊かな物質生活への願望、娯楽、余暇などを大切にする価値観と、チームワーク、協力、自制、他者の要望に対する敏感さ、グループ意識などを重んじる価値観とのバランスである。
・アメリカやヨーロッパが日本や儒教圏諸国を模倣するのは賢明ではないという第三の理由は、日本自身が変わりつつあることだ。すでに日本は、自国を経済超大国へと導いた労働者カーストの世界観を捨て去ろうとしてる。日本は西欧化を超えた先を目指しているのだ。さらに大きな「カースト・モデル」の鳥瞰図が示しているのは、日本がすでに完成させた労働者カーストのチームワークという特色を捨てることなく、日本に欠けていた正反対の商人カーストの特色を取り入れて融合させているということだ。これも精神的・宗教的世界観を育みつつある日本の姿勢の一環なのである。
また、自分が今やろうとしていることは、間違っていないということが確認できた。
つまりは、商人カーストと労働者カーストのバランスだ。
ちなみにこの労働者カーストからの進化(革命ではない平和的なパワーシフト)の動きは、
この日本においては、小室淑江さんという存在に、強く象徴されているように思える。
私は、彼女は、日本の首長にまで上り詰めるのではないか、という予感がある。
なおそのころの首長というのは、総理大臣という形ではなく、大統領という形になっているかもしれない。
私も、どんな形になるかはわからないけれど、そんな彼女のような人のことは、バックアップしたい。
●宗教ベルト
・歴史的にみて、現在、世界のどの国が最も進んでいるかを尋ねたとしよう。その回答は驚くべきものになる。アメリカでも、日本でも、スウェーデンでもなく、イランなのだ。この古代文明発祥の地は、「精神・宗教の時代2」のタイプの宗教革命を成功裡に成し遂げた初めての国である。それゆえイランは、第二の時代にあたる「戦士の時代」から、第三の「商人の時代」も、第四の「労働者の時代」も経験せずに、一足飛びに第五の「精神・宗教の時代2」に入った。後述するが、イランは、こうした宗教改革の総合的な舞台となる「宗教ベルト」と私が名づけた地域の核心となる国である。
・アメリカ合衆国在住のユダヤ系アメリカ人がイスラエルに大量移住
・アメリカとイスラエルの双方に住んだことがある者であれば、アメリカの主要都市より、イスラエルのほうがよほど安全なことを知っているだろうが
・ユダヤ人科学者やその他の専門家を失うことは、アメリカにとっての打撃となるだろう。これはナチスがユダヤ人科学者を国外に追放し、結局はドイツの損失となった場合と同様である。
・第二次大戦の戦中戦後、ヨーロッパのユダヤ人化学者がアメリカに移住したが、これがアメリカの経済大国への躍進の一助となったとすれば、さらに大規模な同種の移民が中東に向かった場合の絶大な効果は想像に難くない。
・東端のブロックは「南アジア連邦」で、インドがその中心となるだろう。ころの連邦の構成国は、現在の南アジア地域協力連合(SAARC)の加盟国とほぼ同じで、インド、バングラデシュ、ブータン、ネパール、パキスタン、スリランカ、モルディブである。チベットはやがて中国から独立を勝ち取るだろうから、この連邦に加わるのではなかろうか。
この未来予見は、学校でならう歴史よりも重要な気がする。
子どもたちには、いつか時期が来たらプレゼントしたい。