ブラジャーをする男たちとしない女

興味深い。
私はブラ男ではないが、彼らの気持ちの本質的なところは、なんとなく理解できた。
男性性と女性性を考える上で、はずせない一冊かも。

・私は剛志のこの言葉を聴いて、ドキッとした。まるで妻に女としての焼きもちを焼いているように聞こえたからだ。当たり前のことかもしれないが、男にだって、子どもと常に一緒にいて、子どもの面倒をみていたいという気持ちがあるんだ…と気付かされた。
・テレビで子どもが親を殺したり、親が子どもを殺したりといったニューズが流れる時、子どもたちはそれを表面的な罪悪としかとらえようとしない時があった。けれども、一雄は「ちがうんだよ。事件というのは、その家庭その家庭でいろいろな事情があって起きてしまうものなんだよ。だから、その背景、その裏にある事情などをよく考えることが大切なんだよ」と教えた。
・女性が常にまわりにいる環境で子どもから大人へと成長した芳文にとって、大学生・社会人になってまわりに急に女性がいなくなってしまったことは、精神的にどこかしら違和感があり、落ち着かなくなってしまったのではないだろうか。そこで、本来の自分らしさを取り戻したくて、日常に触れ合っていた女性の代償としてブラに手が伸びたのではないだろうか。
・淳にとっては、母により、それまで女性の物をはくなんてイケナイとされてきたタブーを破られた意味もあり、本当に気持ちのいい体験だった。

とくに、巻末にあるこの↓香山リカのコメントが
とても興味深かった。

「乳房」はその「去勢不安」の裏返しということなのかもしれません。自分についていない「乳房」がお母さんにはついているという強い印象として無意識の中に残ってしまったような。そして、自分にも「乳房」があったら、もっと堂々としていられたのに、自信を持って生きられたのにというふうに、「あるべきものがない」と思っている人がいるかもしれない。そういう人たちは、ブラジャーをすることで「だいじょうぶだ。ほら、お母さんと同じものを持っているじゃないか」と思うことで自信や安心感を持てるということなのかもしれません。

それが母親かどうかは別として、
倒錯願望というのは、変身願望と通じるものがあるのだと思う。
別の人格・アイデンティティを、それによって確かめるという。
それと著者の青山まりさん、
主婦やめてOLとしてながら大学受験し、25才で青学に入学。
とても努力家みたいだ。

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