戦略マネジャー8つの心得
21世紀、戦略は最高のアートになる。
情報化の嵐が「戦略の進化」を加速する時代。
いまマネジャーに求められる新しい思考スタイルとは?
Amazonの書評で、田坂さんのことを
「現代の諸葛孔明か」と書いている人がいた。自分も、そう思う。
こういう人こそを本物の参謀というんだろう。
メタレベルの戦略。
すごい。
●原則・経営者の心構え
・戦略の前提の部分は「予測」の領域ですが、戦略の中核の部分は「意志」の領域だからです。すなわち、戦略を検討するプロセスにおいては、「こうなるだろう」という予測が重要な役割を果たしますが、ひとたび戦略を実行するプロセスに入ると、「こうなるだろう」ではなく、「こうしよう」という意志が重要な役割を果たすのです。
・ビジネスは、それがビジネスであるかぎり、かならずきわめて現実的な苦労や困難に直面します。問題は、どの苦労を選ぶかなのです。自社の限られた経営資源を、どの戦線に投入するかなのです。
・ビジョンとは「何が起こるのか」が見えていることであると述べました。ししかし、それは、「いかなる出来事が起こるかが予測できている」という意味ではありません。もしそうであるならば、それは「ビジョン」ではなく、「プレディクション」(予測)と呼ばれるべきものです。では、ビジョンとは何でしょうか? それは、「いかなる物語が起こるかが予見できている」という意味です。
・それ以外のいかなる役割をアウトソーシングしてもかまわない。しかし、それだけは絶対にアウトソーシングしてはならない「究極の役割」が、この「ビジョンを語る」ということなのです。なぜならば、これからの時代は、「先の見えない時代」だからです。そして、経営者やマネジャーの役割は、「見えないものを見る」ことだからです。
・「見えないもの」が見えているということ。それが、リーダーというものの究極の役割なのです。そして、「見えないもの」が見えたならば、リーダーは、それを信念を持って語らなければなりません。誰よりも強い信念を持って語らなければなりません。もし、リーダーが強い信念を持って語るならば、そのビジョンには、「言霊」とでも呼ぶべき力が宿るでしょう。
・ビジョンこそが、この世界を変えていく。そのことを、誰よりも深く信じていなければならないのです。
見えないものを見る。
逆に言えば、これだけをやれば、あとは
積極的にアウトソーシングしてもいいのかも知れない。
それが、私のようなゲリラスタイル向き。
●落とし穴・誤った戦略
・「雪道論」この都市銀行や地方銀行に支配的に存在している「戦略音痴」とも呼ぶべき文化は、いまだに日本の多くの企業や業界にも根強く存在しているのです。そして、それこそが、いま日本の産業界が直面している最も深い危機でもあるのです。
・「成功の鍵」という考え方や、「ベンチマーク」という考え方の前提には、無意識に「抜き去り」の戦略思考が潜んでいます。
・我が国に面白い現象があります。それは、いまだに多くの企業が、「対面の幻想」を持っているということです。すなわち、顧客と直接に顔を合わせてやり取りをする「対面」のサービスこそが「ハイタッチ」なサービスであるという思い込みがあるのです。しかし、これは明らかに「幻想」です。なぜならば、顧客の立場に立つならば、たとえ「対面」であっても、詳しい商品知識も持たず、高度な接客技術も持たない店員に対応されることは、決して「ハイタッチ」ではないからです。これに対して、たとえ「対面」ではなく「ネット」によるやり取りであろうとも、商品に関する詳しいナレッジと、顧客に対する親切なマインドを持った担当者が対応するならば、そのサービスは見事に「ハイタッチ・サービス」になるのです。(48時間以内に詳しい商品知識を持った専門の担当者が懇切丁寧なショッピングアドバイスをメール提供するノードストロームの例)
このあたり、前の職場の戦略そのものだ。
戦略がほとんどないような企業で、やっとのことでこしらえた戦略が、それだった。
気をつけよう。
●重層的な目標
・ある戦略について社内合意を得ていくとき、こうした「重層的な目標」を明確に語っておくことがきわめて重要です。
・「重層的な戦略を準備する」ということです。それをしなければ、どれほど決断力のある経営者やマネジャーでも、「戦略的反射神経」を発揮することはできません。
・「一発勝負に賭ける」といった思考方法は正しくありません。「一の矢が外れたら、二の矢。二の矢も外れたら三の矢」と、「したたか」に考える思考方法が求められるのです。
・一つの矢で、いくつもの的を射る
決断力や覚悟という言葉、決して「賭け」ではない。
無意味なギャンブルをすることは、勇気があることではない。
そのあたり、間違ってはならないな。
●未来予見
・「事業が軌道に乗るまでに、早ければ一年、長ければ三年かかるでしょう」→ いちばん短い期間である「一年」という数字は、「最も楽観的な数字」として述べているのではなく、「まずは、とにかくベストを尽くしてそれを達成する」という覚悟として答えているわけです。また、「三年」という数字は、「最も悲観的な数字」として述べているのではなく、「それよりも遅れたならば、戦略そのものを見直す」という覚悟として答えているわけです。
・マラソンなどの陸上競技においては、こうした「先回り」をすると、ただちにルール違反で「失格」となりますが、ビジネスの市場競争においては、こうした「先回り」の戦略をとることはルールで禁じられていません。いや、そればかりか、現代の市場においては、ルールそのものをプレイヤーが決めることさえできるのです。では、ここで述べる「先行ランナーがこれから走っていく方向」とは何でしょうか? それは、「次なる主戦場」です。
マウスイヤーの時代に、これを生かさない手はない。
自分はどこに先回りするべきなのか。
大規模資本がすぐに参入してこれないところに先回りする。
主戦場の移行が早すぎて何度か失敗した。
その失敗を教訓に、次の次を、見なければ。
●進化
・「進化」ということの本質は、「機能分化」と「機能統合」のプロセス
・生命においては、こうして進化にともなって機能分化が進み、機能特化が進む一方で、文化し、特化した各機能を全体的に「統合」する機能が生まれ、発達してくるのです。それが中枢神経系や内分泌系などの役割です。そして、こうした生命的な理は、実際の生命においてだけでなく、いま生命的システムとしての性質を強めている現代の市場においても共通に現れてきます。こうした「自然の理」は、「市場の理」においても共通に現れてくるのです。
かつて田坂さんの 進化とは多様化である という言葉に感動した。
そして、多様化だけではなく、機能統合が同時に起こるという事実認識に、
改めてまた、感動した。
管理しようと意図する必要はないのだけれど、
中枢機能は、不要になるわけではない。
●意図的な創発
・「創発戦略」とは、「偶然任せの戦略」ではないのです。それは、「偶然性のマネジメント」なのです。
・偶然に任せているようで、明確な意志を持ち、意志に従っているようで、偶然を積極的に生かす。そうした「偶然性のマネジメント」こそが、「波乗り」の戦略思考の要諦であり、「創発戦略」の真髄なのです。ちなみにこのことをアメリカにおける「複雑系のマネジメント」研究者たちは、「Intentional Emergence」(意図的な創発)と呼んでいます。そして、この「意図的な創発」を促がすために大切なものが、「Recipe Sence」(レシピ感覚)であるとしています。
レシピ感覚。
これは、ワクワクに身を任せて方法論を深く考えないという
夢実現の方法論とも通じるものがあるなぁ。
●戦略と戦術
・上から下に向かって、「ビジョン」「戦略」「戦術」「アクション」を決めていくという思考スタイルを、我々は無意識にとってしまうのです。これは、実は、我々の思考スタイルが「機械論パラダイム」と呼ぶべきものに影響を受けてしまっているからです。たとえば、我々が「機械」をつくるとき、まず「コンセプト」を明確にして、「基本設計」を行い、ついで「詳細設計」に落としたうえで、「組立製作」を行います。
・経営者やマネジャーは、「まず戦略を決めて、そのうえで戦術を決めよう」といった「古い発想」にとらわれてはなりません。
・戦略さえ正しければ、戦術はどのようなものを用いてもかまわないという発想がありました。無意識に戦術というものを、戦略というものに比べて価値の低いものと見る発想があったのです。しかし、これからの時代には、経営者やマネジャーは、戦術というものの持つ意味を深く理解しなければなりません。これからは、それは、戦略を実行していくための単なる「手段」ではないのです。それは、戦略を進化させるための優れた「方法」になっていくのです。
・「行動とは、最も洗練された認識のスタイルである」という言葉がありますが、その言葉通り、実際に戦術を実行して、現実の市場に働きかけることこそが、その市場を深く理解するための最良の方法なのです。ある戦略の妥当性を検証しようとするならば、その線りゃんを具体的な戦術に展開することによって、市場の現実に働きかけてみなければなりません。
・戦略思考とは、まさに「矛盾のマネジメント」に他なりません。大胆に創造性を発揮して、固定観念に縛られない戦略的な打ち手を考えることができるとともに、慎重に現実性を考慮して、期待願望に流されない戦術的打ち手を考えることのできる人材が求められるのです。そして、そうした「矛盾した二つの能力」は、一人の人材が併せ持たなければならないのです。
・これからの時代に求められる戦略思考とは、「生命論的パラダイムの戦略思考」に他なりません。すなわち、それは、意志のままに機械を操るような「機械論パラダイムの戦略思考」ではありません。戦略というものを、局所的展開は偶然の流れに委ねつつ、全体的方向は明確な意志によって導くという思考スタイルが求められるのです。
・「戦略的自由度を高める」ということは、決して「明確な決断をしない」ということや、「具体的な行動をとらない」ということを意味していません。もし、ある経営者やマネジャーが、そうした受動的な姿勢や傍観者的な立場をとるならば、「理論的自由度」は残りますが、「戦略的自由度」はむしろ減っていきます。
ソフトウエアの世界ですら、ウォーターフォール型の開発手法以外の、
スパイラルやextreme programingなど、様々な方法論が生まれている。
それなのに、生きた人間が主役の
コミュニケーションやマーケティング、マネジメントの世界の方で
いまだに機械論的な発想で戦略と戦術を直線的に考えていてはいけないんだ。
Jayも言っている、テストテストテスト それも、この話だ。