ダボス会議に見る世界のトップリーダーの話術

言葉を超えたメッセージの戦い
プロフェッショナルの世界では、言葉を発する前に、勝負が決まる。
世界のトップリーダー2500名が鎬を削るダボス会議。
「戦いとしての話術」を学ぶ。

これは教科書、かな。

・体質的に声の高い人は、いる。特に、日本人には、少なくない。実は、著者もその一人であるが、声の質が高く、腹に響く声が出しにくい人間には、そうした人間なりの話術の工夫がある。
・著者自身、生来、声の質は高いが、「静かに語る」「余韻を大切に語る」ということを意識することによって、逆に、この声の特徴を活かすようにしている。
・第一は、「腹を据えて語る」ことである。たしかに、高い声で話すことは、下手をすると、その人物の「弱さ」や「迷い」、「冷たさ」や「器の小ささ」を相手に感じさせることになる。しかし、声の質が高くても、「腹を据えて語る」と、自然に、言葉が相手の「腹」に届き、結果として、「強さ」や「信念」、「温かさ」や「包容力」の印象が生まれる。
・第二は、「言葉を明瞭に話す」ことである。声の高い人間の言葉は、多くの場合、「早口でまくしたてる」ように聞こえてしまうため、聞き取りにくい。従って、適宜、「間」を取りながら話し、一つひとつの言葉を「粒」のように発することによって、言葉を明瞭に話すことである。そのことによって、言葉が相手の「心」に届きやすくなる。

言われてみれば確かに、田坂さんの声は低いとはいえない。しかし、今までそう感じたことはなかった。私も、自分の声が高いことにコンプレックスに近いものを感じていたけれど、そうか、そうだったのか、と目からウロコが落ちた。救われた思いが、した。

・日本人の問題は、「英語が流暢に話せない」ことや「欧米的スタイルでスピーチができない」ことではない。「日本人としてのスピーチのスタイル」、さらには、「自分なりの個性的なスピーチのスタイル」を持っていないことであろう。そして、何よりも問われるのは、「聴くに値する印象的なメッセージ」。
・それは、当然のことながら、「英語力」の問題ではない。どれほど「英語」が流暢に話せても、「自分なりの個性的なスピーチのスタイル」を持たなければ、そして、「聴くに値する印象的なメッセージ」を語れなければ、聴衆の評価は得られない。
・聴衆が、日本人の話者に期待しているのは、「英語が、どれほど上手いか」ではない。聴衆は、「そのスピーチが、どれほど印象的で、有益か」をこそ、期待している。

これは、Mr.Xも同じことを言っていたような気がする。そう、問題なのは、はなす中身なのだ。本当に本当に。