ママ、ひとりでするのを手伝ってね!

モンテッソーリの幼児教育
子どもがもつ大きな可能性を引き出し、自主性や他人への思いやりをはぐくむために、
親はどうすればよいかを、豊富な実例で分かりやすく説明します。

とくに、p166からの「大人の生活を邪魔する子ども」というところで、
大人の生活の秩序と子どもの好奇心をどう両立すべきかについて触れられたところ、
このジレンマに対する答えともいえるところがとてもすばらしい。
自分が悩んでいたところも、まさにこれ。
100円ショップというのは、子どもにとってはパラダイスなのかも知れない。


■その他メモしたところなどを以下に

子どもが大人に求めている手伝いとは、「自分ひとりでできるようになる」ことへの配慮なのです。
大人が幼い子どもの体を押しのけて、手早く、自分の気のすむようにしてやったとき、子どもの心を押しのけていたのです。人格に浴びせた侮辱は必ず復讐されるといわれていますが、手も体もまだ思うように使えない小さい子どもを無力な者と錯覚して、子どもに代わってやってしまうことは、子どもの人格を侮辱したことなのです。
人間が三歳までに得る知識は、大人がその後の60年間、一生懸命努力して獲得する量に等しいといわれています。ですから、三歳までの身辺の環境は、その人の生涯に影響を与えることになります。
子どもは何度も経験しながら感覚を洗練していきます。ですから、「一度したら、もう分かったでしょ」などといわないで、子どもが心ゆくまで味わっているのを見守ってやることがたいせつです。
人間がなにかに上達するためには、自分の全力を出し切ること、しかも、自分の力の限界を超えて120%の力を出し切ろうとすることがたいせつです。
手のひらと大脳とが発生学的に同じ胚葉からできている子どもが手のひろにでこぼこを感じていることが、同時に大脳にも刺激が与えられている
大人だけに、この世で「しなければならない仕事」があるのではありません。子どもにも、自分の成長のために「しなければならないこと」があるのです。
周りにいる大人が、子どもが自分で体を使い、心を働かせてしようとしていることを、妨げたり、とり上げたり、せかしたり、ほったらかしたりしたことが原因で5つの代表的なケース
・大人がせきたてる
・大人が先どりする
・大人が中断させる
・大人が肩代わりする
・ほったらかす
大人の仕事と子ども仕事とのちがいは、子どもは報酬を望まないことです。子どもは自分の成長という使命をひとりで成し遂げなければなりません。だれも子どもからこの苦労を引きとって、彼の代わりに成長することはできません。
子どもには次の四つの共通の特徴がある
・水を扱いたがる
・もって行ったり、もって来たりしたがる
・開けたり、閉めたりしたがる
・切ったり、破ったりしたがる
子どもたちはいつも「鼻を垂らしている」と注意されるか、大人から無理にかんでもらうかでした。それは子どもにとって屈辱だったのです。ところがモンテッソーリ先生は「ぼくでも、かめる」ように、分かりやすく、ゆっくりと、はっきりと、鼻のかみ方を教えてくれたのです。だから子どもたちはうれしくなって拍手したのでした。
大人は子どもに教えるのに、とかく口うるさくします。しかし子どもには、言葉による訓戒や教示はほとんど役立たないことを肝に銘じて知るべきです。とくに、動作をして見せる際に、「こうして、次にこうやって・・・」などと説明することは禁物です。そうすると子どもは大人の口を見て手先を見なかったり、説明を耳から聴きながら目を動作に集中することが難しくなったりします。
近代の教育学が「自由」を唱えながらも「放任」との明確な区別をすることができなかったのは、環境の果たす役割を充分に考慮し、自由を保証する環境を研究史、つくらなかったためといえます。
「子どもだから」とか「壊すから」といって、イミテーションやプラスチック製品ばかり与えてはなりません。むしろ本質に敏感な時期にいるからこそ、ほんものを使うことがたいせつなのです。
子どもの周囲にあるおもちゃや教材はあまり多すぎてはなりません。多すぎると、子どもの精神は散乱し、次から次へと気移りがし、何をしても中途半端になります。
モンテッソーリは、「子どもが変わる」現象を「正常化」と呼び、それは、大人の回心とか改宗、治癒とか覚醒に匹敵する精神現象だといいます。

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