生きかた上手

30代もあと数年で終わろうとしている。
そんな自分は、いったいどんな40代を生きたいのか。
どんな風に老い、そして死んでいきたいのか。
それを考える上ではずせないモデルが、この人。

●長寿のためには

・75歳を過ぎてもなお多くの人が健康でいられるのは、若いときに粗食を余儀なくされたおかげであり、なおかつ、豊かな時代になってからも飽食に走らなかったからです。結果として、いわゆる生活習慣病と総称される、高血圧、脳卒中、心臓病、糖尿病、肝臓病、肺がんなどを回避できたのです。健康な長寿は、若い日からの積み重ね。好きなものを好きなだけ食べているいまの若い人たちに、私たちと同じような、健康な長寿は望めません。現代医療の力を借りても、寝たきりの長寿が関の山です。
・粗食こそが健康の基本。新老人は、その生きた証であり、新老人の長年のライフスタイルは、若い世代のモデルとなりえます。

みんな、同じことをいう。
やはりこれは、真実なのだ。
養生訓も、読んでみよう。

●子どもに死生観をどう伝えるか

・生身の体験が多いほど、感性は育ちます。機会があるなら幼い子どもを病人の見舞いや、通夜や葬儀に連れて行きなさい、と私が申し上げるのも、それが感性を育てる学習になりうるからです。
・「子どもをだめにするには、ほしいものをなんでも与えることだ」という思想家ルソーの言に従えば、いまの日本の子どもたちの行く末は推して知るべしです。
・さしあたって、小さなお子さんのいる家庭なら、ペットを飼うことをお勧めします。犬や猫、小鳥、あるいはバラを育てるというのもいいでしょう。いのちあるものに手間と愛情を注ぐ喜び、共に生きている喜びを実感できます。と同時に、失ったときの悲しみも知ることになります。生きものにはいずれ死が訪れることを、子どもはペットの死を通して学ぶでしょう。コンピュータ上のバーチャルペットが死んだときとは、受ける心の衝撃はちがうはずです。

うちもペットを買いたいな。
いまの住宅事情ではなかなか大変だけど、
自分が子どものころというのは、そういう意味で、恵まれていたんだと思う。
父母祖母に感謝しよう。

・「わかる」と「わからない」のあいだに非常に大きなへだたりがあるということを、私たちは少し考えてみましょう。自明だとは言っても、私たちおとなも、成長するうちにだんだんとわかってきたはずなのです。その道のりがあったことをすっかり忘れて、ずてにわかってしまった人間が、いまだにわからない相手に向かって、「人を殺してはいけないのは、わかりきっているじゃないか」と諭したところで、相手にわかるはずはありません。
・子どもたちへの教育は、教師がひたすら「教え込む」よりも、むしろ「子どもが自分でわかるように手を貸す」というスタンスに多くの比重を移し変えるべきだと思います。

モンテッソーリも同じことを言っている。
はれ、教え方の本質なのだ。

●医師との付き合い方

・医師に診てもらえば病気は治る、と思うのは、医療への信頼というより、むしろ過度の期待です。ないものねだりです。自分の身は自分で守るのだと考えを改めて、医療の限界をも含めて、もっと医療を学んでください。医師より先に患者さんが医療ミスに気づくということがあってもおかしくないですし、もっとあるべきだと私は思います。
・日本の医師は、国家試験さえ通れば、なかには卒後研修の経験も経ずに内科でも外科でも何科の看板を出してもよいことになっています。看板に書かれた診療科目が多いからといって、その医師の能力が高いとは必ずしも言えない。看板はあてにならないのです。
・子どもの病気については、小児科の勉強を修めた医師であるかどうかを確認すべきですが、おとなにとってのかかりつけ医は、何科を専門にしているかということよりも、自分の限界を謙虚にわきまえている医師であることのほうが重要です。

医師に不満を感じるたびに、なんど「自分で医者になろうか」と思ったことか。
六年とその後の研修医という時間を使う余裕はなくても、
もっとこう、何か防衛的に医学を学ぶ方法がないか、模索中。
例えばそれは漢方医でもいいし、人を治療することが目的ではないから、
医師免許をゴールにしない学び方だって、あるはずだ。

●ターミナルケアのあり方

・無理な延命措置さえしなければ、老いてからの死はあまり苦しまず安らかであることも、患者さんの死から学びました。死の瞬間はさぞかし苦しいのだろうと誰もが思うようですが、実際は、まだこの程度では死なないだろうというときに最期を迎えます。自分の見通しよりも2割くらい手前、8合目ですでに頂上だと知っておいてください。
・死が近くなって、意識もなく、見たかぎりまったく反応を示さない患者さんであっても、まわりの人の話し声や音楽は聞こえているのです。患者さんの耳元にささやく家族の「ありがとう」のことばは、おそらく届いています。好きだった音楽を枕元で流してあげるのも、旅立つ人の心をどんなに和ませるか知れません。
・まだ心臓が弱く打っているあいだに、つまり患者さんの意識はないけれどたしかに生きているうちに、家族や友人の方にはお別れをしてほしいとお願いします。「お母さん、ありがとう。お世話になりました」と、家族一人ひとりがお別れの挨拶を耳元にささやきます。酸素吸入などはもちろん一切やめて、ただ静かな死を共に過ごすのです。そうして訪れた平和な死は、何よりも家族にとって、悲しいけれどやさしい死として受け入れることができます。
・死が間近に迫っていて、医療の手の施しようがないのが明らかなのであれば、むしろ栄養は徐々に控えていくべきなのです。そうすれば、まるで木が枯れていくように、自然に、静かに、眠るように死ぬことができます。
・プラトンは、「長生きすることのメリットは楽に死ねることだ」というようなことを言っていますが、たしかにその通りで、老衰による自然にまかせた死には苦しみがありません。
・延命措置のために家族が病室から追い出され、ようやく招き入れられたかと思えば、「何時何分、ご臨終です」と医師が告げる。動かなくなった死体に家族が取りすがって泣く。それはあまりにも痛ましい光景です。
・大勢の患者さんを看取ってきてわかったことは、少なくとも患者さんの心臓がかすかながら打っているうちにしっかりとお別れができれば、家族は肉親の死を穏やかに受け入れることができるということです。そこに訪れた死は、なんとやさしいことかと思えることさえあります。臨終は大切な別れの儀式なのです。

父の死のときに、そして祖母の死のときに、このことを知っておきたかった。
別れの挨拶ができないというのは、とても辛いものだ。
ほんとうにここに書かれていることは同感だ。
また、チベットなどで耳元で読経をするというのは、
案外、心臓が止まっても耳だけは動いているのではないかとか、
ちょっと、そんな可能性すら想像した。
実は現代医学で解明されていないだけで。

●医師のMindset

・いまの若い医師たちは、身内の死に出会う経験をもたない人たちばかりです。
・私が尊敬する医師ウィリアム・オスラーは、「医学はサイエンスに支えられたアートである」と言いました。
・医師というもの、外界はことに、患者さんの犠牲があって腕を上げます。成功率の低い手術とわかっていても、また、自分の力量以上の高度なテクニックが要求されようとも、外科医はつねに手術に挑戦する誘惑にかられます。若い医師なら、なおさらです。「その患者さんが、あなたの子どもであったら、親であったら、愛する人であったら、それでも手術をしますか」
・砂時計の砂が容赦なくさらさらと落ちて、もう残り少なくなっている。それがターミナルの患者さんの置かれている状態です。その患者さんに医師としての私科さしあげられるものは何かと言えば、私の寿命、時間です。私のことばと心です。点滴や無益な延命措置ではありません。患者さんの減っていく砂に私の砂を足して、一緒に落ちていく。そうすれば、患者さんの心にせめてしばらくは寄り添うことができます。患者さんに捧げる時間が多ければ多いほど、私は本当の意味で長生きをしたことになります。

ここに書かれていることは、「共感」の本質だと思う。
何らかのコンサルをしたり、マーケターあるいはコピーライターとして活動したり、
あるいは仕事(=誰かを助ける行為)をする全ての人にあてはまる内容だと思う。
自分の時間 という生命を誰かのために費やすこと。
この文章を見たときに、心の中で何かがはじけた。

●その他

・30代はこうありたい、40代はこうなりたいという、できるだけ具体的なモデルを見つけなさい。そして、その人に一歩でも近づき、さらに超えるために何をすればよいか、とつねに頭を働かせなさい。
・「初めに終わりのことを考えよ」レオナルド・ダ・ビンチ
・禅の大家であり長年アメリカに住んでいらした鈴木大拙師の主治医を、私は先生が90歳のときからご臨終までの6年間務めました。
・アメリカ医学をこの目で見たい。念願がかなったのは昭和26年、私はもう39歳になっていました。そんな年齢にもかかわらず、留学した一年間は毎日身長が伸びているのじゃないかと錯覚するくらい、知的に成長しているという実感は生々しかったです。

鈴木大拙を診ていたというのは、すごい。
本当に聖路加 そしてこの日野原さんという人は、すごい人なんだ。
きっと歴史に残る医師の一人なんだろうと思う。

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