情報は1冊のノートにまとめなさい

100円でつくる万能「情報整理ノート」
情報管理のグーグル化!
情報は使い分けると使えない

自分なりアレンジしていいとこ取りすればよさそう。
とくにアイデアの発酵のところ。
一元化とはいうものの、
ライフスタイルによっては手帳と使い分ければいい。


●一元化の重要性

・こういう、普通ならそこらの紙に書いて捨てる類の「メモ」も、あえてノートに統一します。・・・普通ならお菓子の包み紙にでも書いてしまうでしょう。他愛ない話ですが、これも大事な情報の一元化です。
・100円ノート式では、こういうことは考えずに十把一絡げに詰め込んでいきます。そのことによって、メモする場所も探す場所も迷わなくて済むのです。
・どこでも書けるように、確実にペンを持ち歩く方法は、ノートにペンを付けることではありません。ペンをいたるところに用意しておくことです。

この点は、佐々木かをりさんの手帳術にも書かれていた共通の内容。
とにかく分散させずに一元管理することの重要性。
自分も、裏紙を使ったりメモ帳を使ったり、ノートに書いたり、Evernoteに書いたり、あちこちにメモを分散させたものは結局みない。
●使い分け

・自作して気づくのは、市販手帳のスケジュール欄の自由度の低さです。
・自作したほうが早いのです。パソコンに表を作成できるソフト、プリンタがあるというのは、もはや、製本以外のすべてができる状態といっても過言ではありません。
・「日記」は感想や考えたことの記録です。「行動記録」が「サッカーをした」「寿司を食べた」「腕時計を買った」という事実の記録なのに対し、「楽しかった」「おいしい」「買ってよかった」などという「心が動いたこと」が日記です。とはいっても、「行動記録」と「日記」の区別は、はっきりしておく必要はありません。
・日記には心を落ち着ける効果があります。とりあえず喫茶店にでも引きこもって、不安やイライラの原因をひとつひとつ箇条書きにしていくことにしています。負の感情をダイレクトに表現していきます。
・昨今はブログや「ミクシィ」のようなオンライン日記が盛り上がっていますが、これらは日記の代わりにはなりません。どうしても外部の目を意識するので、正直な感情を書きにくいのです。だからといって、意識しないとすぐさまブログは炎上して不愉快な目にあう。日記とブログの差は、この安心感にあるのではないでしょうか。
・50年後もミクシィはあって、過去の記述を読むことができるのでしょうか。「消えました」と言われたらどうしようもない。それがデジタルの世界です。
・他人の顔色をうかがいながら文を書いてアップすることに気苦労を感じるなら、紙にペンで書く、日記の原点に戻ってみることも考えてみてください。
・日記を付けるのは、それだけでも十分に楽しいことですが、将来的には読んで懐かしむ以外に利用価値はありません。しかし、もしあなたが将来、回顧録をまとめたり、自分の経験を活かして何かを書くとしたら、過去の日記は一気に貴重な「取材ノート」に変わります。アイデアも同じで、時間がたてば突飛すぎるアイデアが自然に見えてきたり、実現できないと思っていた企画の突破口ができたり、新しい切り口が見つかったりすることがあります。これも一種の発酵ですね。大事なのはあくまでも何も考えずに蓄積すること
・だいたい二ヶ月ぐらいの間に計六回、何らかの「ノート術」の構想を書き残しているわけです。これは、いちいち前回のメモを参照してから書いているのではなく、「このアイデアはあとで使うからメモしておかなくちゃ」と思ったことをその場で書いているので、一部、同じことを何度も書いてあったりします。
・「ネタの芽」を「ネタ」に育てるのには、コツがあるように思います。それは、ある程度の期間、「折に触れて」考えたり、わざと会話にのぼらせてみることです。

自分は、日記とかアイデアの記録をどこにもつけていない気がする。
SNSや「誰かがみるかもしれない」ものに、心情を吐露することには抵抗があるからだ。
アイデアと日記というカテゴリーについては、どちらも公開するようなものではない。
これはやはり紙の出番なんだろうな。
とくにアイデアとか企画の芽は、アクションプランナーでは唯一吸収できない種類の記録だ。
これらは、ある程度具体化して形ならないとフィージビリティ調査とか資料調査という段階にはならないから、いきなりアクションにするのは無理がある。
具体的に行動におとして「◯◯のアイデアについて考える」というのもだめ。なぜなら、アイデアは計画した時間以外の時間に突然沸き起こるものだから。
したがってこの点だけは、このノートに集約するという方法が合っているから、こっちのノート術を採用。
もちろん、そのアイデアが具体化して実行計画に落ちたら、アクションプランで管理すればいい。
それと、Evernoteだとかに、デジタルに保存したものは
何だか「生きている」感じがいないので発酵もしない感じがする。
気のせいかもしれないけれど、実はこれ重要な話かも知れない。
手書きの字というものには、その時に書いた感情が埋め込まれるのではないかと。
●その他

・そういうシステムにしておくと、こんな場合にも便利です。たとえば、断りにくい約束をやんわりと断りたいとき。本人に直面しているときは「ちょっと手帳を見ないとわかりません」と逃げて、あとで内線や電話で「やっぱり無理でした」とやる。
・僕は、歯医者や銀行の待合室では、カバンに入っている本や雑誌を読みません。そこに置いてある、ふだんなら絶対読まないような「一週間やりくりレシピ」と書かれた主婦向け雑誌や子ども向けの本などをぱらぱら読みます。ビジネスマンなら、『女性セブン』や『たまひよ』を読んでみる、ゴルフをやらないなら『ゴルフダイジェスト』を読む、女子大生なら、おじさん向け週刊誌を読んでみるとか、ささやかなことでいいのです。そうして受ける刺激は、毎週『女性セブン』を読んでいる人より大きいことだけは間違いありません。

スケジュールの話は自分をコントロールするという意味で手帳術と共通。
色々な人が書いているという意味で、やはりここは重要ポイントなのだろう。
それから雑誌の話も共通。自分が女性誌をたくさん読むのと同じ。
そんな発想・観点を自然に持っているという意味で、もしかしたらこの人と近いものがあるのかも知れない。
そういう意味で、やはりアイデア管理には、この方法けっこういけるんじゃないかと、改めて思った。

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