人生がときめく片づけの魔法2


片づけとは人生に片をつけること。
前作に続いて、良書。
そこらの成功哲学本より断然いい。


●片づけとは自分と向き合うこと

・私が本当に欲しかったもの、それは家族と過ごす時間だったのです。
・モノは自分の分身です。でも、モノがなくなっても、思い出や記憶は永遠に残るのです。自分の持ちモノと真剣に向き合い、ときめくモノを残したのなら、あとはそのモノたちをいかに大事にしていけるか、そのモノたちとどれだけ素敵な時間を過ごせるか、それだけを考えていけばいいんだと思ったら、これからの毎日がとてもあたたかくて、楽しいことにあふれているような気がして、心が軽くなりました。だからやっぱり、一日でも早く、モノの片づけは終わらせてください。これから過ごす一日でも多くの日が、大切なモノと大切な人たちに囲まれた、ときめく一日になりますように。
・皆さんが最後に必ずおっしゃるのは、「もっと早く、写真の整理をしておけばよかった」ということ。二十代のお客様でさえ、そういいますし、私自身、「もっと早くやっておけばよかった」と痛切に思うのです。今からでもけっして遅くはありません。できれば、老後ではなく、二十五歳を過ぎたら、思い出品はなるべく早く片づけるべきです。これまでの人生に片をつけ、これからの人生がときめくために・・・。
・「付き合っている人との関係にモヤモヤしている人」の片づけの特徴としていえることがあります。それは、「未処理の書類が多い」こと。
・そもそも出会いがない人は、古い洋服や書類がたまっていることが多いといえます。付き合っている人がいてもその関係がスッキリしていない人は、残しているモノの扱いがおろそかになっていることが多いような気がします。人との関係はモノに表れるし、逆に、モノとの関係も人との関係に表れるのです。
・モノの片づけが本当に終わると、次にやりたいことや、自分がするべき仕事が必ず見えてくるので、はっきりいって、人に文句をつけているヒマなどないはずなのです。
・片づけをして、ときめくモノだけに囲まれるようになると、モノ一つひとつに対して敏感になっていきます。

人生から無駄を排除していった先で、もっとも大切なことに気づく。
頭ではわかっていたけど、それを心の底から、実感として理解できる。
形から入っていって心を統御していくというこれは、
東洋では当然のように行われてきた、伝統的な修行のようだ。
自分の人生、なんだか曖昧でノイズばかりを引き寄せていると感じるのなら、
まずは身の回りに物理的に存在しているモノをどうにかするのがよさそうだ。
●ときめく の意味

・ときめくというのは、「うっとりする」とか「かわいい」とか「ワクワクする」というわかりやすい魅力だけではありません。素朴なデザインに「安心する」とか、機能が豊富で「便利」とか、なんとなく「しっくりくる」とか、生活していくうえで「役に立ってくれている」というのも、「りっぱなときめき」なのです。
・そもそも、本当にときめかないモノであれば、はじめから残すか捨てるか迷うことなどありません。「ときめかない、でも捨てられない」という状況になったとき、結局答えは三つだけです。それは昔ときめいたけどお役目が終了しているモノか、今もときめくモノのはずなのに感じとれていないか、ときめきとは無関係に捨ててはいけないモノか。ちなみに三番目に含まれるのは、保存しなければならない契約書類や印鑑、喪服や礼服、冠婚葬祭用のグッズ、勝手に捨てるとトラブル必至の家族や他人のモノなど。

モノに対するときめきの感度を上げるということは、
人生に対する感度というか、宇宙とつながる感覚というか、そういうものと
深くつながっているのだろうなと思う。
すべては心の現れ。
現象はすべて自分が創りだしたものなのだから。
片づけを極めることで、悟っていけるような気もする。
現代ならではの所作のヨーガという感じ。
●マニュアルではなくてときめきを重視

・矛盾しているように感じるかもしれませんが、キッチンはシンプルを目指さなくてもいいと、私は思っています。キッチン用品売り場を歩くときの、あのなんともいえないワクワク感。キッチンは無理にシンプルを目指さなくてもよいということです。大事なのは、モノの収納場所が把握できていること。それさえクリアできていれば、ギュッとモノが詰まったキッチンを誇りに思ってよいのです。自分がそこで料理をしていると、それだけで幸せを感じられる。そんな自分流のときめきキッチンを目指してほしいと思います。

これは女性向けにかかれているから、キッチンについてそう書かれているけれど、
ワクワクするものがキッチンではなく別のものに向かう男性に置き換えてみれば、
当然また別の解釈があることが、理解できるはず。
杓子定規にしかとらえられないマニュアル人間ではなくて、
こんまりさんのいうところの本質を理解できれば、それでいい。
●掃除との違い

・片づけは自分と向き合う行為、掃除は自然と向き合う行為 「掃除」と「片づけ」。いっしょくたにされがちな二つの言葉ですが、まったくの別モノです。この重大な事実を知らずして、部屋がきれいになることは永遠にないでしょう。
・モノが増えたり散らかったりするのは100パーセント、自分の責任。自分がモノを買ったり、譲り受けたりしないかぎり、モノが勝手に増殖することはありません。要するに片づけは、自分と向き合う行為といえます。これに対して「いつの間にか知らないうちにたまっていく」のが汚れです。ホコリなどの汚れが徐々にたまってしまうのは、いわば「自然の摂理」です。つまり掃除は、自然と向き合う行為といえます。
・いつの間にかたまってしまう汚れを取り除くためには、掃除を定期的に行うことが必要となります。だから毎年、年末という決まった時期に行うのは、「大片づけ」ではなく「大掃除」なのです。では年末、大掃除に集中するためにはどうすればいいのでしょう。それは、「片づけ祭り」を終わらせておくことです。
・ちなみにお寺の修行には、掃除はあっても、片づけはありません。片づけは、モノを残すか捨てるか判断したり、モノの定位置を決めたりするため、どうしても思考が必要です。一方、掃除は手さえ動かせば、無心になってすすめることができます。

掃除のほうが、より深いというか、片づけの先にあるものなのかもしれないな。
お寺に修行に行く人たちというのは、出家をしている時点で、
すでにもう片づけに相当する部分は終わらせてきている。すべてを捨てて。
そう考えると、現世でものの多い生活をしているという時点で、
かなり覚醒からは遠いということが、言える。
また別の観点として、「汚れがたまりにくい片づけ」ということの意味も、
これと結びつけて考えると、奥が深いような気がする。
●理想

・「自分の理想の暮らしがそもそも思いつきません」という方もいらっしゃるはず。そういう方に私がおすすめするのが、「自分の理想の一枚」探し。
・ある程度一気にさまざまなお部屋を見ていったほうが、「全体的に白っぽい部屋に反応しているみたい」とか「テイストというより、観葉植物が置いてあるかどうかがポイントなんだな」というふうに、自分のピンとくるポイントがわかりやすいのです。図書館や書店に行ってインテリア雑誌を集め、ババッとひと通り見てみましょう。理想と思える一枚を手帳に貼ったり、デスクに飾ったりして、いつでも見られるようにしておくのもおすすめです。

ソースであるとか、理想を現実化する諸々の方法論と通じるのは当然というべきか。
すべては自分が引き寄せているのだから、
その、すでに引き寄せられた結果からきれいにしていくというこの片づけは、
とても意味があるし、効果的だというもよくわかる。
そして片づけ以外にも、同じような方法論は、ある。
例えばそれを、モノではなく肉体におきかえた場合は、ヨーガになる。
少し抽象度があがるけど、人間関係やコミュニケーションに置き換えることも可。
●マイスペースの重要性

・要するに場所はどこでもいいし、狭くても小さくてもいいのです。自分だけが管理する「マイスペース」を持つことの効用は計り知れません。

昔の日本人でいうと、神棚や仏壇がこれに相当したのだろうなと思う。
今は、そのようなものがある家は減ってきているし、
情報も価値観も多様化しているから
必ずしも神棚や仏壇でなくてもよくなった、ということ。
●服をたたむのがすべきの基本

・ポイントは手のひら。もしあなたが、指先だけでササッとたたんでいたら、今すぐ手のひらを使ってたたむことを試してみてください。人の手のひらからは、あたたかいハンドパワーが出ています。その熱を押し当てると、洋服の繊維はふんわり立ち上がって、生地がピンとのびてきて、本当に紙みたい。まさに折り紙感覚で洋服を扱えるうになるのです。
・このとき端と端をぴったり合わせるよりも、少し内側にズラして重ねましょう。
・かける収納か、たたむ収納かで迷ったら、「かかっているほうが、うれしそうな感じのするモノだけかける」のが正解です。
・下着の扱い方とその人自身からにじみ出る雰囲気ほど一致するものはありません。その正確さたるや、名刺の肩書きや外出着のテイストなどとは比べものにならないほど。
・「子どもが散らかし放題で困っているのですが・・・」というお客様の話を聞くと、たいていはおもちゃの片づけから必死になって身につけさせようとしているケースがとても多いのですが、実はこれは正しい方法ではありません。おもちゃは素材も種類も多く、カテゴリー分けもむずかしいので収納自体が複雑になりがち。一方、洋服は、カテゴリー分けが比較的簡単で、しかも毎日必ず使うモノ。たたむことさえできれば、引き出しの定位置に戻すのは難なくできてしまうので、毎日の片づけの習慣がつきやすいというわけです。何よりも、洋服をたたむことを通して、「今日もあたたかなくしてくれてありがとう」「守ってくれてありがとう」という気持ちをモノに対して伝えていくことは、たんに使ったら元に戻すこと以上に、片づけの本質をお子さんに伝えることができると思うのです。

上の娘が片づけ上手なのは、服をきれいに畳むことと関係があったのか。
これを読んで、そんなことを改めて思い直した。
下の息子についても、そろそろ服をたたむこと、教えても良いかもしれないな。
●玄関

・靴の場合は、男性のモノも女性のモノも、なんとなく「土台を支える」という意味で同じ性質のような気がします。だから、単純に大きくて重さがかるあ男性の靴は下、女性の靴は上としたほうがバランスがよいのです。
・玄関が散らかっているおうちは、どの部屋も散らかっていると考えて間違いありません。玄関を片づけるうえで一番に意識するべきなのは、ズバリ風通しです。私がおうち全体の片づけを考えるときは、風の通り道を意識します。玄関から入ってきた風がおうちのどこを通って抜けていくのかを確かめ、その通り道には余計なモノを置かないのが鉄則です。玄関がごちゃごちゃして靴が出しっぱなしのおうちは、家全体が息苦しそうなのです。
・玄関は、ときめくモノを大量に飾るより、風通しを意識したほうが素敵な感じになる気がします。好きなモノをめいっぱい飾るのは、ほかのお部屋のためにとっておきましょう。
・私のビニール袋のストック法はこう。ビニール袋をババッとたたんで小さくしたら、洋服と同じ要領で、立てて並べて、箱に入れます。これだけです。たたみ方も適当で、結ぶ必要もありません。ポイントは、必ず箱のような「かたいモノ」に収納すること。箱の大きさも、ティッシュの箱の半分サイズくらいで十分。

確かに、少し玄関にものが増えてきて、思い感じがする。
風通しも、必ずしもよいとはいえない感じだ。
ちょっと考えなくては。
●水回り

・水まわりのびちゃびちゃ対策 洗面所に、手を拭くタオルとは別に、水滴を拭くタオルを設置するだけ。すでに実質れている方にとっては「なあんだ」ということかと思いますが、このような生活の知恵はお客様から教えていただくことが、私自身、とても多いのです。
・タオルの場合、「選んで使う」というより「順番に使っていく」ことが一般的なので・・・
・ボトルの上のほうにペラっとついた「消臭!」などと書いてあるシールは当然ながら即、撤去。しょっちゅう使う除菌シートや洗剤くらいならパッケージのシールごと剥がしてしまうのもアリです。

確かに、混ぜるな危険 とか 子どもが間違って飲んだりしそうなものを除けば、
パッケージのシールは予備のものも含めていらないはず。
これはストックしているティッシュだって同じ。
さっそくこのあたりは実際にやってみようと思った。
●その他収納の工夫

・包み終わったおさいふを専用の箱に入れ、フタをし、引き出しの一角に収納したら、「おやすみなさいませ」とあいさつをして完了です。ハンカチは、お財布がぐっすり休めるためのおふとん代わり。
・ふるい携帯ストラップ、カギにつけきれないほどあるキーホルダー、もう髪につけることはないモチーフつきのヘアゴムなど。こういったモノは、洋服がかかっているハンガーの首の部分にひっかけてしまうのが一番お手軽です。
・片方になってしまったピアスをプスッと刺すと抜群にかわいくなります(飾りとしても細いネックレスかけとしても)
・小さなモノをいくつか飾りつけたい場合は、トレーや敷物を敷いてその中に収めるようにすると「まとめて一個」になるので、ごちゃごちゃした感じになりません。
・「紙袋+お清めの塩」処分法は、ぬいぐるみや写真のほか、アクセサリーや遺品など、なんとなく「気がこもっていそうなモノ」を手放す際に応用できます。

財布を大切に扱うこと、飾りを活用すること、トレーにまとめること などなど、
すぐできる工夫はたくさんある。やっみてよう。
そして、もしかするとこういうことというのは、マーケティングのそれと同じように、
スキルを一個一個学ぶのではなくて、マインドセットさえ理解できれば
勝手にどんどん生み出されていくことなのかもしれない、とも思った。
逆に言えば、いくらテクニックを真似ても、ダメだということ。
こんまりさんが、Xと似たような言葉「片づけはマインド」と話していたのが、
とても印象的。この人は本物だという証なのだろう。

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