子どもを叱る前に読む本

やる気のある子に育てるには

昨日に続き、平井信義さんの本を手に取った。
同じことが繰り返しかかれているけれど、それでいい。
私の読書は知識を得るのが目的ではない。
この人のマインドを頭にインストールして、
マスターマインドグループを構築すること、にある。


●年齢ごとの特徴

二歳~二歳半
・強いほうの母親は、申し訳ないような気がして、子どもを責めるだろう。弱い子どもの母親は、強いほうの子どもを良くない子どもだと思うかも知れない。いずれも、親たちの思い過ごしである。この時期を過ぎて三歳前後になると、しだいに仲よく遊ぶ能力が発達してくる。
二歳半~三歳
・衣服を脱いだりした時に、自分の生殖器に気がつき、それをいじることがある。「そこは大切な場所だから、きたいない手でいじらないようにね」と注意するだけでよい。もし性的な行為のうに思って叱ったりすると、子どもの心に傷を与えることになる。
・家族の者がいると、少し自分で食べた後に、「食べさせて」と要求することもある。これにたいしては、甘えを受け入れながら、自立させる工夫がいる。
・動作が遅く、かぜをひかせては – とつい手を出したくなる心を抑えて、子どもにさせることが、自立心を養う上に必要である。この年齢で手をかけられた子どもは、おとなに依存的となり、あとから自分でさせようとしても、なかなかひとりではしなくなってしまう。年寄りやおとなの大勢いる家庭の子どもに多い。
三歳~三歳半
・指しゃぶりは、眠る時だけになる。しかも、寝入る時には指をしゃぶっていても、すっかり熟睡した時にその指を口からはずしてやると、そのまま、寝ている
・自分ではできないことなのに、そしてそれを説明してやっても、ひとりでやりたがる。強情だと思われやすいが、むしろ、自主性が順調に発達していると考えるべきである。そのような傾向が見られる反面、自分でできることなのに、親たちの助けを求めたりする。何かにつけて「やって」という。「もう自分でできるでしょう」といっても、ぐずぐずしている。母親にたいして、そし傾向が強い。それは、母親との情緒的な結びつきができているからである。
・母親に自分の「赤ちゃんだったときはどうなの?」と聞いたり、その頃の話を聞くのを好む。
・ミルクを好み、これまでより量を多く飲む。
・ひとりで着替えができても、「やって!」といって、ひとりでしたがらないこともある。この時に、ひとりでやらせるか手伝うかについては、甘えを受け入れながら、できるだけひとりでやらせたほうがよい。
四歳前後
・四歳前後から、急に「おどけ・ふざけ」が多くなることを経験してきました。

これは正常の範囲であり異常ではないといいうこと。
●抑圧

・世間では親たちの言うことに従う子どもを「すなおな子」と言い、お母さん・おとうさんの中にもそう思っている人がいるかも知れませんが、そうした子どもの中には、自分の気持ちに対してうそをついている子どもが非常に多いのです。叱られることの多かった子どもは、大うそつきになってしまい、それが思春期になって悩んだり、問題を起こすことがはっきりしたからです。孫たちが私の前でうそをつかずに行動することは、その行動がかりに私にとって困ったことであっても、うれしいのです。
・威張る人とは権力的な人で、自分はえらいんだよと誇示しますが、本当に権威のある人は、その人が自覚していなくても周囲の人々から尊敬されます。本当に権威のある人は決して威張るようなことはしないでしょう。
・わが国では親の「恩」ということが強く言われてきました。親に育ててもらっていることをありがたく思え – という考え方です。子どもが本心からそう思うのならばよいのですが、親のほうでそれを強要する人がいるのです。そのような親は傲慢な心の持ち主です。
・子どもの気持ちを汲むことのできる親や保育者・教師は、しつけを急ぎません。しつけは、子どもを鋳型にはめこむことであり、それは「童心」に圧力を加えることになることを知っているからです。鋳型とは、大人であれば守る必要のある行動の型ですから、それを幼い子どもに強要すると、小紳士・小淑女ができあがり、しつけ主義の人からみますと、よくしつけのできた「よい子」のように評価しますが、実は、外側だけが輝いていて、心には子どもらしい「自由」が閉じ込められているのです。

周囲を見渡すと、抑圧だらけ。
意欲を失わせるような大人はまだまだとても多い。
私は、子どもの心を「操作」するような操作主義には陥らないように気をつけたい。
強引に「よい子」を製作するようなことは、したくない。
●自発性・自信・責任感

・われわれの「おどけ・ふざけ」の研究の第一報が活字になって手許に届きましたので、私はその教師にそれを謹呈しました。その結果、孫はその教師から全く注意を受けなくてすみました。われわれの「おどけ・ふざけ」の研究の中で、「おどけ・ふざけ」の多い子どもに「自発性」が順調に発達しており、「やる気」がさかんであることが認められました。
・それが子どもの年齢では無理だと思っても、「挑戦」する気持ちを大切にして、しばらくどうするかを見守っていることが大切です。「挑戦」は「やる気」にとっては非常に大切です。しばらく「挑戦」してみて、どうしてもできなければ「やって」と言ってくるでしょう。そのときにはやってあげることが、子どもの気持ちを受け入れることになるのです。
・子どもが食器を落として壊してしまたときに、私はどういう言葉を掛けるでしょうか。それは、「この次にはがんばろうね」です。絶対に失敗を責めるようなことはしません。そして、子どもといっしょに、壊れた食器を片づけながら、その方法を教えます。そのあと、子どもが食器を運ぶ機会を与えるようにします。自分が過去に失敗したことに成功の体験をすることによって、子どもに自信がつくからです。
・「責任」の能力は、他人に命ぜられたことをちゃんとする – ということではありません。わが国では、あの人は責任感が強い – というときには、他人に命ぜられたことをきちんとすることであるととられていますが、欧米では、自分の言動に責任をもつという場合に使われています。
・子どもは、年齢が高くなるにつれて、失敗が他人に対して迷惑を及ぼしたときには、自分から「ごめんなさい」と言い出すようになります。叱られて「ごめんなさい」を言うのとは全く意味がちがいます。その言葉が「自発的」であるからです。
・子どもたちは、散らかっていることには全く無頓着です。それは、整頓などで見栄を張らないからですし、お片づけには創造的な面がほとんどないからで、創造的な子どもほどお片づけをしないことがわかりました。
・「○○さんに叱られますよ」「○○さんに笑われますよ」とか、「お父さんに叱ってもらいますから」→こうしたしつけを受けた子どもが、「気がね」の多い人間になることがはっきりしました。つまり、絶えず他人が自分をどのように評価しているか、気になって仕方がない子どもをつくり出しているのです。
・口先のお説教は、干渉になりがちで、「やる気」すなわち「自発性」の発達に圧力を加えてしまっています。

つい最近も、子どもがヘンな顔でべろべろー 
そのかわいらしいおどけ・ふざけを叱る親をみて、びっくりした。
何がいけないのか、子どもがかわいそうになった。
挑戦させてあげる。失敗させてあげる。そして学ばせてあげる。
たったそれだけのことなのに。
そもそも、失敗というものは存在しないということを、
まず親の方が理解しなければならない。
見守り、介入すべきなのは、取り返しのつかない、再起不能な失敗だけ。
起業精神のない奴隷が多いのは、
幼少期の親の接し方に、大きな原因がある。
●その他

・世界で初めてキンダーガルデンを作ったのはフレーベルです。キンダーは、ドイツ語で子どもたちということです。ガルデンというのは「園」であり、フレーベルは花園を頭に描いたと言われています。それを、幼稚園と訳した明治の初年の人は、何と情けない訳をしたのだろうと思ってしまいます。

そこまで考えているのかどうかはわからないけど、
この点、自分の子が通うところに
「幼稚園」という名称がついていないのは、
ちょっと嬉しく思った。

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