お母さん「あとであとで」と言わないで

子どもを伸ばす上手なコミュニケーション

タイトルにどきっとして手にとった。
そうしたら、親業の近藤千恵さんが書いているものだったので、
これは読まなければと、迷わず購入。
要点がまとまっていてとっても読みやすい。
「親業」が分厚くで読めなかったという人にも
オススメ。
「あとにしてちょうだい」
「ちょっと待って」
「今はダメよ」
… これらはすべて同じ。
「あとで」は使っていなくても
「ちょっと待って」は多用してるんじゃないかな。


●その状況になる本質的な理由

・幼い子どもにとって、今が話しかけていい状況かどうかを判断するのはなかなか難しいのです。大人でさえ、その判断を誤ることはあります。
・また、大人にとって「なぜ、今」と感じるタイミングは、子どもにとっては「今だからこそ」ということも多いのです。子どもからすれば、親の関心が自分から離れている、お母さんが自分のことを忘れている、お母さんがだれかに奪われている、と不安を感じてしまうのです。そこでなんとかお母さんの関心を取り戻そうと、用がなくても話しかけたりするわけです。

これは、
ポジティブ自立に対してネガティブ依存の位置を自然につくる
ネガティブ自立に対してポジティブ依存の位置を自然につくる
という、プロセス心理学ののモデルそのものだ。
●待たせることが正しい。しつけなのだという幻想

・「言うことを聞く」とは、「話に耳を傾ける」ということです。たしかに、子どもの主張を常に無条件で受け入れてしまうのは言いなりになることであり、あまりすすめられません。親が子の言いなりになっていれば、子どもは親を見くびって言うことをきかず、だれに対しても自分の主張を通そうとし、わがままで自己中心的になってしまうこともあるでしょう。しかし、話に耳を傾けるというのは、ひとまず子どもの主張を聞いてみるというだけで、受け入れるかどうかはまた別の問題なのです。ここを混同していると、子どもの語りかけに対してかたくなになってしまいます。
・子どものためになることをいろいろとしている結果、忙しくて子どもの話を聞く余裕がなくなってしまっているのです。それでもお母さんは、子どものためになることをしてあげているのだから、最終的に子どものためになる、子どもは喜んでくれるだろう、大丈夫、と思っているかもしれません。しかし、実は大丈夫という保証があるわけではないのです。
・親としては、すぐには伝わらないとしても、きっと子どもへの思いは伝わっている、いつか感謝してくれると思っているかもしれません。でも残念ながら、子どもはそうは感じてくれません。”いつか”わかってくれる可能性も極めて低いでしょう。なぜなら「あとで」と言われた子どもは、お母さんから「拒絶」されたと受け止めるからです。
・子ども思春期に入ると、幼かったころのようには子どもの行動が見えなくなります。そのときになって、「うちの子は何も話してくれないの」と嘆く人がよくいますが、子どもは最初から何も話さなかったわけではありません。話す機会を奪われ続けたことで、話す気力をなくしてしまったのです。あるいは、親を「話をする相手」として認めなくなってしまったのでしょう。
・親が子どもの言葉を聞かなくなる一つのきっかけとして「三歳の声がわり」と表現される親子関係の転換点があります。この場合、声が変わるのは子どもではなく親の側です。

夫が妻にしていることと同じ。
家族の為に働いているのだ、稼いでいるのだ、といって、
ほとんど家族との時間を持たず、会話をしない夫に、
多くの妻たちは何を感じているのか。
それを考えれば、子どもの気持ちは自明のはず。
三歳の声変わり は 男女で言えば マンネリ化 に置き換えられるだろう。
そして、思春期のその状況は、熟年離婚と対比するとわかりやすい。

・どうも親には、子どもに事情を説明するのをはぶく傾向があるようです。事情が説明されないと、子どもはどうすればいいのか考えることができません。自分の思いをやみくもに突きつけ続けるか、「待て」という親の命令にただ従うしかなくなります。そうしたすれ違いや対立に疲れてしまうと、子どもは次第に自分で考えることをやめ、お母さんが言うとおりにだけ動く”指示待ち族”になってしまうのです。
・記号化されたことが正しいかどうか、親は解読の能力を高め、それが正しいかどうか、確認することが大切なわけです。

これも夫が妻にしなければならないことと同じ。
女の世界では、ごく普通に行間を読むし、決して「結論から言いなさい」などとは言わない。
女はそれを男にも求めてしまい、失敗する
つまり「話さなくても気づいてほしい」と、男が行間を読むことを期待し、
でも、男は、女の会話の行間を読む能力がなく、鈍感 無神経 とののしられる。
であるのにかかわらず、
子どもと接するときの母親は「鈍感」「無神経」となってしまう場合がある。
「何がいいたいの」などと、まるで男社会 ビジネスのような対応を子どもに求める。
それは、子どもにとってとても苦痛なこと。
この男性社会で女性たちは十分に苦労しているのだから、
わが子に同じ苦労をさせなくてもいいものを。
●コントロールできるという幻想を捨てる。

・「甘ったれないの」と、親としては言いたくなるかもしれません。人生の先輩として何かアドバイスしてやらなくてはという気負いや、そんな悩みに負けて弱音を吐く子どもが情けなくて、ハッパをかけるつもりで「そんなことぐらいで」というような対応をすることもあります。親は、「つらいことがあっても敢然と立ち向かえる子」「弱音を吐かずにがんばれる強い子」など、子どもに対する理想像を持っています。そこからはずれてしまったわが子を見たくないために、そして悲しい思いをしているわが子を早く立ち直らせたくて言うわけですが、すべて逆効果なのです。
・「どうして行きたくないの?」という質問は行くことを前提として問いかけで、子どもには「行くべきなのになぜ行かないのか」「行きたくないなんてわがままね」などと非難されているように受け取れ、自分の気持ちをしゃべりにくくなります。
・親が命令したり、提案したりすると、そのたびに子どもの自主性が育つチャンスを奪っているのだと心にとめておいてください。少し時間はかかるかもしれませんが、子どもが自分で問題を解決できる力があると信じ、子ども自身で悩みを解決できるようにしていくのが、子どもの自立をうながす本当の親のやさしさではないでしょうか。
・子どもが悩みを口にするとき、解決法を教えてほしくて言っているわけではなく、ただ、今の自分のつらい思いをわかってほしいとだけ思っていることのほうが多いものです。親はただ、それを聞いて理解しながら側にいることに意味があります。
・もし、子どもに「お母さんはどう思う?」「どうしたらいいと思う?」と聞かれたら、そのときはお母さんの思いを語ることが助けになることもあるでしょう。ただしそのときも、「こうしたらいいわよ」と結論に飛ぶのではなん、「お母さんはこうしたらいいかなと思うけど、○○ちゃんはどう思う?」と、子どもにボールを返していきましょう。その悩みは、子ども自身のものであり、親に奪う権利はないからです。
・子どものことを思ってかけているお母さんの言葉によって、実は子供は自分が何をすべきか自分で考える機会を奪われることになります。次第に自分で判断する気持ちすらなくしてしまう結果になるかもしれません。つまり、親に言われるまでやらなくなるのです。
・「わたしメッセージ」は、原則として子どもの行動、その行動から親が受ける影響、その影響に対する感情、の三つを子どもに伝えるにとどめ、「だからどうするか」の部分は子どもに任せます。使い慣れないうちは、つい最後に「だから静かにしてくれない?」「だまっていてくれたらお母さんすごく助かるの」と子どもへの指示を付け加えてしまいがちです。子どもが結論に到達するのを待てない、あるいは子どもが”正しい”行動を選択するかどうか信用できなくて、「ああしなさい」「こうしたら」「こうしてちょうだい」と命令、提案、お願いをしてしまうのでしょう。せっかく「わたしメッセージ」を使っていながら、こんなことをしていたら、親の言うことに従う子にはなるかもしれませんが、自分の頭で考え、判断する力は決して育ちません。「わたしメッセージ」はあくまでも「自分の気持ち」を伝える手段であって、だれかをコントロールするためのものではありません。
・「いい子ね」と言われて育った 子は”いい子”でないと受け入れられない、愛されないと思うようになり、しきりに「わたし、いい子?」と気にするようになります。今の自分の行動はいい子と思われたか悪い子と思われたか、常に相手の顔色をうかがうようになります。自分がしたいか、したくないかではなく、相手にいい子と思われるかどうかが行動の基準になるのです。これでは自分の行動について自分の中に基準を持って判断する、という自立のあり方とは正反対の育ち方をすることになります。
 いい子ね … あなたメッセージ 評価
 助かったわ うれしい 幸せ …わたしメッセージ

しつけとは、飼育や操作のことではない。
自立を支援することなのだ。
感情操作を目的としてはならない。
またこれは、
うつ病の人や自尊心が傷つけられ弱っている人に対する対応とも、
同じ話だと思う。
できない人に、なぜそんなこともできないんだ と責めても仕方ない。
やればできるというのは、できる人の視点からみた話しで、
そこには共感やラポールが存在していない。
●わたしメッセージ ≒ セルフアサーション

・「わたしメッセージ」で語りかけるということは、お母さんも一人の感情を持った人間であるということを子どもにさらけだすということです。それは、「私はあなたの気持ちを大切にすると同時に、私自身の思いも大切にしたいので、その思いをあなたに知ってほしい。そして、私の気持ちを大切に思ってくれていると信じているからこそ、そのことを私は告げたい」と、子どもへの信頼感を示す行為でもあります。この親のストレートな愛情に触れて、はじめて子どもは親の愛を素直に受け入れることができるのです。

ポイントは
「子どもに対してアサーティブコミュニケーションをすること」
なのかな と思った。

・「あなたがグズグスしていると…」「そんなにふうにだらしないと…」「さっさとしてくれないと…」こういう言い方は非常に漠然としていて、子どもは、自分のどういう行動について言われているのかわかりません。何がいけないのかがわからないと、自分の行動を変えることもできません。「着替えをせずにテレビを見ていると」「食事をするテーブルにおもちゃを広げていると」など、目の前で今、お母さんが不都合を感じている事実ひとつに絞って伝えると、幼い子どもでもすぐに理解することができます。
・わたしメッセージの3ステップ
1) 子どもの行動やことがらを、非難をまじえず事実として伝える(行動)
2) その行動が自分にどのような影響を与えているか、具体的に伝える(影響)
3) そのため自分がどのように感じているかを正確に伝える(感情)
2) の「親への影響」は「わたしメッセージ」の核とも言える部分です。ここが抜けてしまうと、子供のある行動がお母さんの気持ちに悪影響を与えている(話しかけられるとイライラする)と伝わってしまいます。これが重なると、子どもは次第に何をするにも親の機嫌を損ねないか、気にいられるかどうか、親の顔色をうかがうようになります。あるいは、親の気分だけで自分の行動が制限された(イライラするから話しかけないで)と受け取ります。「なぜお母さんがそう思うのか」の部分がはっきりすることで、はじめて子どもは納得をもって自分の行動を変えることができるわけです。

つまり、影響するプロセスを具体的にきちんと説明しないと、
その部分が「無条件に」とか「いつも」という言葉に
置き換わってしまうということだろう。
これはとても注意しなければならないポイントだ。
●よい会話

・約束の時間になったら、必ず「待っててくれてありがとう」「もうお話ししても大丈夫よ」「さっきは何だったの?」と、感謝とともに会話を促がしていきます。
・「ご本読んでほしいんだ。お母さんも少し休んでからなら、読んでもいいよ。”2″のところにある時計の針が”4″のところにきたらご本読む元気が出ると思うから、それまで待ってくれる?」

●能動的に聞くことの意義

・聞くことによって伸びる子どもの能力⑤ わかってもらおうと話し方を考えたり、親の言いかえを聞くことで、言語能力が育つ

復唱することで子どもにフィードバックがおこなわりる。
それは思考の整理になり、理知や自覚を目覚めさせることに
なるのだろうと思う。

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