超愛

性器なんて使わない

実践思想家 山田鷹夫さんの、不食 断眠に続く三作目。
この人すごぃ好き。トンデモ系に分類する人がいるけど、それは深みを知らないから。
ほとんど誰の助けも借りずに、自力でタントラの智慧に到達している感じ


彼は自分で「人間卒業」といっているが、本当に、不食、断眠を経て、神々の領域に到達したように思う。
食べてもいい、食べなくてもいい、とか、射精ではなく目を見つめあうだけでエクスタシーに到達するというあたり、まさに、タントラに説かれている境地そのものだ。
一夫一婦制の崩壊と、これに代わる新しい男女のあり方に関する考察も、ここに通じるものがある。超愛・蝶愛。すごいと思った。
 ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ
 菜の葉にあいたら 桜にとまれ
 桜の花の花から花へ とまれよ遊べ 遊べよとまれ
●一夫一婦制について

・一夫一婦制が解けない問題がそこにある。「今の相手よりも素晴らしい相手が現れたらどうするか?」という問題だ。
・性愛は根源的な、理屈を越えた力でエネルギーなのだが、それをせきとめるということは、生命の溢れるばかりのエネルギーにふたをすることになる。自然であれば生命力は性愛に溢れ出るのがふつうだからだ。だが一夫一婦制はそれはを認めない。この問題を一夫一婦制は解決できない。おとなしい人間を作るか、陰に隠れてそのエネルギーを解放するかになる。
・「不倫」という言葉のサブリミナルを拒否しよう。不倫に変わる新しい言葉を僕があなたにプレゼントする。「蝶愛」である。
・生命エネルギーは、性のエネルギーと同一である。植物の生命がその開花にあるように、花の生命は性器そのものだ。植物の花は、人間の性器である。植物界は性器の乱舞であり、生命の豊穣さに踊っている。昆虫たちも、動物たちも、闇に隠れて歓びを歌おうなどとはしない。ひとり人間だけが、その性器を闇に隠してきたのだ。
一夫一婦制を過去の遺物にする。それは所有と嫉妬という有限界の愛でしかなかった。一夫一婦制の愛とは、肉体がすべてであるという幻想下の、肉体に閉じこめられた狭い愛でしかなかった。愛はもっと軽やかで、何ものにも制限されることがなく、のびやかできらめきわたるものだ。性愛はお互いの魂を開き合うことを目的とする。

例えば、仏典に説かれる神々の世界には、嫉妬や占有がなく、そもそも、肉体を使うセックスもない。だからなのか、一夫一婦制でもない。人間が次の段階へ進化し、次元が変化しつつあるということは、SEXのあり方も、変わっていくということなのかもしれない。この過渡期、2005年に、そのことにきづいただけではなく、精神レベルの交わりに移行する体験をした彼は、すごい。
なお、彼のいう一夫一婦制の破壊という言葉は、決して、肉体的なフリーセックスの推奨や乱交を意味しているのではないことは、自明だ。そこを読み違えては、ならない。
●性愛の三大叡智「射精しない」「勃起しない」「挿入しない」

・射精しないという位置を基点として、射精を楽しみたいならば楽しむ。出さなければならない、挿入しなければならないではない。射精も挿入も、勃起も、あってもいいし、なくてもいいのだ。
・放出すれば満足というのは、幼い男性性でしかない。成熟した男性は、女性の歓びを自分の歓びとできる人のことを言う。
・無勃起挿入法 男性器を「入れてもいい、入れなくてもいい」という融通無碍さだ。こだわりのなさだ。入れなくても別の快感を得ているからこだわりがない。
・ヴァギナ・セックスは人間にとって性が快楽的な目的を持つならば不必要でもある。なぜなら、女性の膣内には性感帯がひどく乏しいからだ。ヴァギナの入口の外性器表面に性感帯が集中している事は、現代の性科学でも実証されている。性器挿入セックスはあくまでも男女の誤解であり、性愛に無知な男女の一途な思い込みに過ぎない。
・男性器を口で感じていた。私の口の中が感じる、まるで女性器になっているみたいに口の中が感じはじめた。鷹を感じさせるというより、自分が感じるからフェラチオしていた。
・男性は女性を誘って特殊な意識領域に飛ぶ。それがセックスだ。単に肉体的な射精レベルのセックスではそこに到達できない。女性がそこに着かない。女性がそこに行くまでに、男性が射精で果ててしまうのだ。射精を克服できなければ、男と女が織りなす精妙なテレーゼ・ゾーンには行けない。

男性の射精を「死」と対比するという考え方を前に教えてもらったことがあるが、すぐにイってしまうということは、すぐに死んでしまうということ。融合に到達する前の苦痛に耐えるとか、快楽に弱い自分を越えるということは、射精を克服するということ。接して漏らさず の上をいっていて、すごい。タントリストって感じ。
●仮性セックスから真性セックスへの移行

・マスターベーション的な男性のセックスをやっている限りは、女性を開くことはできない。
・女性の場合は野獣性に意識を移行するよりも、穏やかに入っていたほうがいいのだ。興奮から入るのでなく、動くことなく、穏やかなままに、見つめあうことによって高めあうほうが女性に合っている。理性という日常から入っていけるセックス
・セックスは催促の情報交換のツール。ただだれとでも、のべつ幕なしにセックスを交わせばいいというのとは違う。何人切りという男の発想と力の誇示は無意味だ。どれほどセックスをしようが、単に肉体的な快感のためのセックスでは深みに欠ける。
・最後の課題、目を見つめあうだけで(ふつうの服装のままで)いく
・これまでのセックスは簡単に言えば、いやらしいセックスが中心だった。いやらしさの中にエクスタシーを感じていた。このいやらしさはしかし、結婚などで常態のセックスになると消えてしまう。新鮮さが失われ、ときめきが失われる。日常化することによって、いやらしさが消滅してしまうのだ。お互いに許し合った関係ではいやらしさは脱落してしまう。だから燃えなくなる心理は理解ができる。
・いやらしくないアダルト・ビデオはまずない。美しいセックス、心から感動するセックスがなぜないのか。それは映像になりにくいからだ。いやらしいセックスを認めながらも、それだけではない美しいセックスが存在することを宣言したい。天使モードのセックスがいいのは、獣性の狂気に耐えられない、理性が優っている女性に最適であるということを、ここでも言っておこう。
・旧来のセックスは男性への奉仕的なセックスだった。これまでのセックスは男性のためにあった。それは勃起中心主義で、力のセックスで、レイプ的なセックスだった。射精を頂点としたセックスであって、そのためにはなによりも挿入が前提だった。だが男性中心のセックスでは和合と融合が不可能だとわかった。そこで時代は女性的なセックスに移行する。
・真性のセックスの力を無視する者と、獣性のセックスを世に蔓延させるリーダーだ。社会的に権威あるものが行う行為は是認されがちである。どちらのリーダーも、そのセックスを生きることによって、そういうセックスを世に蔓延させている。そういうセックスでいいのだと、その生き方そのもので、社会に暗示を与え続けている。

野獣性のセックスだけがセックスだという固定観念が、崩壊する。女性の社会進出や、あらゆる生活シーンにおいて、女性性の意義が見直されてきている。きっとこの流れで、女性が歓ぶセックスというものも、見直されるのだろう。その話とこれは、ぴったり符合する。
またこのテーマは、夫婦のセックスレスの問題に対する非常に重要な解決のヒントが隠されている。つまり、いやらしさを前提としたセックスだけがセックスだと思うから、結婚するとほどなくして、セックスレスになってしまうのだ。いやらしさを前提としないセックスというものを、男性が気づき、女性が勇気をもって認めることができたら、
おそらくこの問題はたちどころに解決してしまうことになる。
誰も語ろうとしないけれど、実は、本当に仲のよい夫婦というのは、そのことに気づいているのかもしれない。セクシャリティーの統合についてヴィジョン心理学のところで話されていたものも、「セックスを語れ」という話つながることからも、おそらくそれが正しいことがわかる。
●真性セックスの心得

・天は二人と書く
・セックスを語り合え セックスで一番欠けているものは会話だ。どうされたら一番気持ちがいいのかを伝え切れていない。それを言ったら相手の尊敬と愛情を失うのではないかと恐れて、自分の身体のあるがままを言えないでいる。嘘でセックスを交わしている。正直に伝えていいのだ。言わなければならない。そうしないと相手は相手の思い込みで、いつまでも間違った愛撫を続けることになる。
・愛していると言いながら、相手が濡れていないならばその愛は嘘である。
・本質は男性の意識が、女性の意識に融合して、女性はエクスタシー領域に浸入するのだ。

この人、本当に深い。
その深さに付いていける人がどれだけいるのか、ちょっと心配だけど。

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