決断力

圧倒的強さの源泉!
直感の七割は正しい!

自分の人生やビジネスに対して
重要な気付きを改めていただいた。感謝。

それから・・
久々に将棋をやりたくなった。

●才能とは

・以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。・・・継続できる情熱を持てる人のほうが、長い目で見ると伸びるのだ。
・一つのことに打ち込んで続けるには、好きだということが根幹だが、そういう努力をしている人の側にいると、自然にいい影響が受けられるだろう。さらに、ペースを落としてでも続けることだ。無理やり詰め込んだり、「絶対にやらなきゃ」というのではなく、一回、一回の集中力や速度、費やす時間などを落としても、毎日、少しずつ続けることが大切だ。無理をして途中でやめてしまうくらいなら、「牛歩の歩み」にギアチェンジしたほうがいいと思っている。

ビジネスもコピーも同じ。流行りに乗ってやめてしまうのではなく、焦って無理をすのでもなく、着実に歩んでいこうと思う。周りの動きは気にする必要はない。それよりも、10年とか20年の長いタイムスパンでじっくりとりくむ。そしてそれができるような本当に好きなものだけをする。

 

●直感力・大局観

・人間の持っている優れた資質の一つは、直感力だと思っている。というのも、これまで公式戦で千局以上の将棋を指してきて、一局の中で、直感によってパッと見て「これが一番いいだろう」と閃いた手のほぼ七割は、正しい選択をしている。将棋では、たくさん手が読めることも大切だが、最初にフォーカスを絞り、「これがよさそうな手だ」と絞り込めることが、最も大事だ。それが直感力であり、勘である。

・年代が上がると、短時間で読む力は衰える。その代わり、年を重ねると、ただ読むのではなく、思考の過程をできるだけ省略していく方法が身につく。心臓が強くなるというか、経験をうまく生かしていくのだ。

・ハッキリいって、大山先生はは盤面を見てない。読んでいないのだ。私は先生に十局ほど教わったが、脇で見ていても読んでいないのがわかる。読んではいないが、手がいいところにいく。自然に手が伸びている。それがもうピッタリといった感じだ。まさに名人芸そのものであった。

・簡単な手を指すにも、若手は百手も二百手もと膨大な量を読んで指すことになる。一方、大山先生などはおよそ「ここではこんなあたりであろう」と、勘でパッと見当をつけて指す。それがだいたい良い手なのだ。悪い手ということはありえない。なぜかというと、パッパッと指す手には邪念が入らないから、基本的には悪くない。全体を判断する目がしっかりしているからできることだ。

・直感力の元になるのは感性である。

・感性は、どの部分がプラスに働くというのではなく、読書をしたり、音楽を聴いたり、将棋界以外の人と会ったり・・・というさまざまな刺激によって総合的に研ぎ澄まされていくものだと思っている。

田坂先生がよく話に出す大山康晴の話だ。将棋の世界だけじゃないな、と思う。ほんとうに年を取るごとに、この意味が実感としてわかってくる。この境地に至るまでの道は、、まだまだ遠い。

 

●集中力

・「子どもの集中力を高めるにはどうしたらいいですか?」とよく聞かれるが、私は、集中力だけをとり出して養うのは難しいと思う。「集中しろ!」といって出てくるものではない。子どもは、好きなことなら時間がたつのも忘れてやり続けることができる。本当に夢中になったら黙っていても集中するのだ。集中力がある子に育てようとするのではなく、本当に好きなこと、興味を持てること、打ち込めるものが見つけられる環境を与えてやることが大切だ。

結局ここ。小さい頃に好きじゃないことをたくさんやるすぎるから、大人になってから、何がやりたいのかわからないという笑えない状態に陥っている人が、多い。私を含めて。少なくとも自分の子には、好きなことを思う存分やらせたい。目が輝いている時に、それを大人の都合で中断させちゃいけない。

 

●研究方法の変化

・私も、十とか十五個のすべてについていくのは不可能なので、ある程度取捨選択をし、「これがいけそうだ」とか、「これは自分に合っている」「これは深さがある」などと、基準を絞り込んで研究している。そうしないと限りがある時間内に研究することは不可能だ。

羽生さんほどの人でも、テクニックの研究は怠らないし、しかも若い頃の「全部を知っておきたい」には限界があるとして悟り、ある程度絞り込んでいるのか。マーケティングやコピーの世界も同じ。次々と出てくる新技術やツールのすべてを抑える必要はないし、そもそもそんな時間も余裕もない。それよりは、いけそうなものに当たりをつけて深めていく方が、いい。ノウハウコレクターになるのだけは、避けよう。そして雑学王になるのだけは、避けよう。つい趣味であれもこれもと知りたくなってしまうので、改めて自省。知識よりも、実戦・実践で結果を出すことが重要なのだ。

 

●その他

・意識的に、「プレッシャーはその人の持っている器に対してかかるものだ。器が大きければプレッシャーを感じることがないはずだ」と言い聞かせている。つまり、置かれている状況がその人にとって乗り越えられるか、乗り越えられないかの瀬戸際のときに感じるのがプレッシャーなのだ。簡単に、楽々と乗り越えられるハードルであれば、ほとんど感じないはずだ。

・対局では先輩を立てて下座に座るべきか、タイトル保持者として上座に座るべきか毎局のように悩んだ。わざと時間ぎりぎりに行って相手の人に先に座ってもらったこともあった。・・・それからは自分がどんなに若かろうと未熟であろうとタイトルを持っている限りはその棋戦については代表であるのだから、それに沿った行動をしなければならない、その結果として反感をかっても仕方が無いことだ思っていた。それにしてもこのときの反感は思いがけないほど大きかった。米長先生には「(中原、谷川という)名人経験者に対して何ごとか」と週刊誌上で叩かれ、周囲には、「羽生、討つべし」との非難の声が広がっていたのである。価値観の違いと言ってしまえばそれまでだが現実にそのようなことが起こると戸惑いも大きかった。

傍から見て偉そうとか傲慢だと思われているような人の方が実はよく考えているし、謙虚だし、悩んでいる。きっとホリエモンだってそうなんだろうなと思う。羽生さんとは全然違うけど、あのときのあれは、役割を演じているという意識は強かったはずだ。

 

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