エブリデイ・ジーニアス

「天才」を生み出す新しい学習法

今日読んだ一冊は、神田さんが色々なところで
紹介あるいは活用している、これ。
後書きにある通り、さらっと読み捨てる本ではなく、
教科書的に何度も読み直す深ーい一冊。
特に小学生以上の子を持つすべての親にすすめたい。

●Mindset

・「すべての大人は子どもを教える必要がある。それこそが大人の学道だからである」
・子どもは、親から学ばなければならないことと同じくらい、親に教えることを持っています。社会全体が、この事実のもつ深遠な真理に基づいて行動するようになれば、文明全体の性質を変えることも不可能ではありません。

保育園の充実を、という話が多いけれど、私は、それよりも、
育児休暇の充実の方がいいのではないかと思ってる。
子どもと接する時間、この限られた数年間は、あとから取り戻そうと思っても、取り戻せない。
仕事のキャリアで得られるものも確かにある。
子育ての中で得られるものもある。
どちらを大切にしたいのか。

●学習の原則

・天才的な才能には、物事の別の可能性を想像するという能力も含まれています。私たちにはみなその潜在能力がありますが、それは開発してやる必要があるのです。
・一つひとつの状況の中に暗示されているものを多くとらえられるようになること、または、それらが見えなくならないようにすることは、知性的な行動を支える重要な要素のひとつなのです。

すべてはここに行き着く。
あたりまえのことをあたりまえだと思わないこと。
現実は奇跡に満ち溢れている。
私が教えることなんてほとんどない。
逆に、子どもたちの新鮮な目に、学ばされる毎日。

・この先生は労働者たちに、さらに学ぶ意欲を持ってほしいと考えました。そこで彼は言いました。「もし何でも読めるようになったら、何を読みますか?」。労働者たちは、仕事で使う機械の説明書を読みたいと答えました。そこで、この先生は機械の説明書を使って授業をしました。すると、彼らはあっという間に読めるようになったのです。
・すなわち、大事なことは難しくても最初に教え、それから細部に進むべきだということです。
・私は教科書を後ろからめくり、最後の問題から始めようと言いました。私が問題に取りかかると、彼はじっと見ていました。問題を解きながら、私は関係する数学的概念をひとつずつ教えていきました。45分ほどかけてその問題を解き終えると、彼はおおむね理解したようでした。それから私は教科書の前に戻って、今の問題を解くのに使ったさまざまな解法を再確認しました。すると、教科書の内容の80%が馴染みのあるものになっていたのです。この事例は、最初に学習内容の全体像を示すと、その後の理解がいかに容易になるかを実証しています。おおまかではあっても全体像をつかめば、その教科に対する親しみが生まれ、自信が湧き、その結果、頭脳が快適に働くのです。困難がどこにあるかがあらかじめ分かっていれば、頭脳は新たな情報をすばやく吸収し、知識をたがいに関連づけ、細部をより深く理解できるようになるのです。

子どもたちのためには、学校の教科書をはじめに全学年分俯瞰させて、
必要に応じて自分で組み立てなおした方がよいように思う。
少なくとも私が小学生の頃、中学生の頃、とても無駄な勉強をさせられた記憶がある。
螺旋的に学ぶことはよいことだとは思うけど、
深く追及したいときも、学校のカリキュラムに従っている限り、
そこで好奇心を強制的に中断させられる感がある。

・文章を書くための基本ルールは教育にも当てはまります。すなわち、「説明するな。例示せよ」というルールです。子どもは身をもって体験しなければ、何も習得することができません。したがって、学習は体験的なものであるべきです。その意味で、先生は芸術家と同じ課題を抱えていると言えるでしょう。人が映画の終わりまで席に着いているのは、映画監督に命令されたからではありません。同じように、先生に命じられたからといって、授業中ずっと座っていられるはずがないのです。
・楽しいと感じるとき、学習はもっとも効果がある
・確かに学習に一時的な挫折はつきものでしょうが、無意味で苦しいストレスは有害無益です。もしあなたが、教育制度のせいで学習は難しいものだと思い込んでいるなら、インチキ商品をつかまされたようなものです。「苦しみがなければ、喜びもない」とは、スポーツマンが好んで使うスローガンですが、これは学習にはあてはまりません。学校という場には、無意識のうちに根性主義に染まっている人があまりにも多いのです。そういう人たちは結局のところ、たいして学習成果もあげられず、苦しみを味わっています。

運動なんかはとくにこれ。体で覚える。
現代では、Youtubeなんかはとても使えるツールだ。
それから、勉強をつらいものだと思う感覚をもっている大人が多いのにも驚く。
私は、学習することは好きだから、苦しいと思う大人の観念が理解できない。

●自発的な学び

・もし子どもたちが何かに取り組んでいて、それがうまく行っていない様子だったら、ここに紹介したような質問をするとよいでしょう。そうすれば、子どもたちは段取りを工夫し、もっと生産的に動けるようになるはずです。ひいては人生の目標を達成するために、今どんなことをなすべきなのか、地に足をつけて考えられるようになるかもしれません。
<効果的な質問>
 ・何をしようとしているの?
 ・その目標を達成するには何が必要だと思う?
 ・どんな手段を使って、やるつもりなの?
 ・やり遂げたとき、一番嬉しいのはどんなことだと思う?
 ・自分のやり方のどこが一番好き?
 ・もっとうまくやるためには、何が必要?
・いくら外部から秩序を教え込んでも、それが学習者の思考と一体化することはほとんどありません。学習者が自力で見つけた秩序だけが、体験に意味を与えてくれます。新しい発見をしたときの「そうだったのか!」という感動が大切なのです。ですから、先生は生徒が発見の喜びを味わえるようにすべきです。
・子どもたちは親の所有物ではないし、親の願いを叶えるために生まれてきたわけでもありません。子どもたちは自分自身の目的を持ってこの世に生まれてきました。親の務めは子どもの目的の実現を手助けし、余計な重荷を負わせないことなのです。生きるのに必要な秩序やルールは、現実との格闘によって身につきます。秩序やルールを自分の力で見いだせば、人から教え込まれた場合とは異なり、自信を持って使いこなせるのです。
・子どもが(ときには大人が)泣いたり震えたり、あるいは他のさまざまな行動で傷ついた感情を発散しようとしているときは、ただ見守っていればよいのです。それが天才を開花させる確実な方法のひとつなのです。
・しばらく「ぶらぶらする時間」を与えられた人は、やがて人生の方向を定めたいと強く思うようになります。無為に過ごす時期は、若者だけではなく、どんな人にも訪れます。大量の情報を吸収し、さまざまな体験を積み重ねると、それらを消化するための時間が必要になるのです。
・争っている両者に決まった時間ずつ、交互に言いたいことを言わせるのです。これでケンカは゛すっと効率良く解決に向かうでしょう。なぜなら、仲直りを阻んでいる主な原因は、単にどちらもまだ相手の言い分をきちんと聞いていないことにあるからです。
・話し方を覚え始めるのに、三語話すごとに大人から間違いを指摘されたり言い直されたりするのを想像してみてください。初めて表現しようとした考えがまだよくまとまらないうちに、誰かが絶えず邪魔しようものなら、いったいどうやって自分で考えることを学べばいいのでしょう?
・子どもたちは大人に何を教えてもらいたいのか 私は子どもたちの意見を知りたいと想い、自分が親になったときに自分の子どもにどんなアドバイスをしてあげたいかと、子どもたちに質問しました。あなたも自分で子どもたちにインタビューして、どんな答えが聞けるか確かめてみてはいかがでしょうか?

私がとくに注意しなくてはいけないことは、
子どもが「どの分野・どの方面に」強い好奇心を持つか、それを尊重すべきだということ。
どうしても、自分が学ばせたいことにこだわりを持ちそうになる。
子どもは、親である私とは全く異なることに興味を持つかもしれないのだ。
自分が価値を置いていないことでも、子どもは価値を見出すかもしれない。
それを、大切にしてあげたい。

●暗示・学習に対する思い込み

・潜在意識にはユーモアのセンスはないので、冗談と本気の区別がつきません。ですから、冗談で自分をけなしていると、自己評価が低くなってしまうのです。ネガティブに考える習慣は捨てましょう。
・潜在意識はユーモアのセンスが皆無なので、親しみのこもったからかいと悪口の区別がつかず、それらは全部けなされた記憶となって私たちに影響を与えます。したがって、自分を卑下ばかりしていると「私は絵が下手だ」と言ったりして、ふざけ半分で言ったその内容が本当になってしまうことが多いのです。自分や他人をけなす習慣は社会に深く根付いてしまっているため、それを断ち切る方法を身につける必要があります。
・「休み時間は終わった。さあ、勉強だ」などと言ってはならないのです。そんなことを言うと、休み時間は楽しいけれども勉強はつまらないという印象を子どもに与えてしまいます。
・自分が何かをたやすく習得できると信じていれば、実際にやすやすと成し遂げることができるでしょう。逆に、難しいと思い込んでいれば、おそらく本当に困難に直面することでしょう。ロザノフは、この暗示の原則の大切さをよく知っていました。先生が最初の授業で「きみたちにはこの科目は難しくて退屈だろう」などと言えば、学習の効果があがるはずがありません。先生がその科目はおもしろいと思っており、学習者の能力を信頼していれば、すぐに学習者に伝わります。先生が強い確信と情熱をもっていれば、学習者の知的好奇心は必ず喚起させられるのです。
・今ではよく知られているように、幼児虐待者のほとんどは、自分自身も子どものころに虐待を受けているのです。自分は平凡な人間だと心得ている人は、おまえも同程度だと子どもたちに言い聞かせるのです。たいした才能はないと自覚しているので、子どもたちにも能力の限界を教え、将来の落胆から守ってやろうとしているのです。
・どの世代も次の世代に能力の限界を教え込もうとします。この連鎖を断ち切るためには、自分が能力の限界に気づいたとき、あるいは人から指摘されたときに味わった苦しみを、まずは私たち自身が癒さなればなりません。私たちは、自分の力不足を知らされたときの痛みを思い出して泣く必要があるのです。そのためには、心の奥に古い傷が残っていることを認めなければなりません。
・あなたには、自分の人生にひどい悪影響をもたらしているような記憶はありませんか? そして、その記憶を何でもないものに変えたいと思いませんか? 例えば、子どものときに、「おまえは一生作文がヘタのままだ」と誰かに言われたとしましょう。その誰かが、あなたが愛情や信頼を抱いていた人だった場合、その記憶はあなたにとってて抵抗しがたい否定的な圧力となっていることが考えられます。そこで、その人が言ったと思ったことは実はあなたの聞き違いで、本当は「作文がとてもうまくなるよ」と言ったと想像してみましょう。音楽の効果を利用して、自分にプラスに働く新たな記憶につくり変えてしまうのです。
・こういった文章を、パッヘルベルのカノンのような穏やかな局をバックに読んでやることは、子どもにとって貴重な体験となります。自己認識を深めたり、新たな想像力を発展させたりするための基礎が築かれることでしょう。

これは、成功哲学や潜在意識について学んだ人なら、強く頷く部分だろう。
P263, P266にある、マジックマインドの文章は、秀逸。
録音して子どもと車できくのもいいかも知れない。

●感情と知性の関係

・自分の感情を余すところなく表現し、その感情を心から認めるとき、人は自分の内部や他人との関係に調和を感じます。感情を否定することは、それが自分自身に対してであっても、心に混乱を生じさせます。子どもにとって、感情を表したり認めたりするのはまったく自然なことです。子どもは、「楽しい、悲しい、怖い」といった気持ちや欲求不満を隠そうとはしません。しかし、感情を隠すことに慣れている大人は、子どもの自然な感情表現が我慢ならず、抑えつけてしまいたいと感じる場合もあります。大人のこのような感情の扱い方を身につけるにつれて、子どもの心には混乱が生じ、体の不快感を覚えたり、自分自身が日常体験とのあいだに隔たりを感じたりするようになります。
・親というものは、ある種の感情がまだ子どもの手には負えないと思い込み、それから「守る」ために自分の感情を隠しますが、これによって子どもは「感情を隠すこと」を知るようになります。
・子どもは、誰かが激しい感情を表してもたいてい不快には感じません。泣いている人がいれば、思いやりを持って優しくその人に話しかけるものです。泣くことは子どもの専売特許ですから、それについて彼らは何でも知っているのです。
・ある研究によれば、子どもは親の本音の93%までを読み取ってしまうそうです。親は、身ぶりや表情と言葉とを一致させるよう気をつける必要があります。そうすれば、子どもが希望に満ちた人生を送るのを助けることができます。
・長期記憶へと伝えられる情報はすべて大脳辺縁系を通じて処理されるので、学習はポジティブな精神状態のもとで行わなければなりません。逆に言えば、ネガティブな感情は記憶のメカニズムが働くのを妨害するのです。そのため、ネガティブな感情を抱いていると、理路整然と考えることができなくなります。
・ネガティブな感情に対処するには、悲しければ泣き、恥ずかしければ笑い飛ばし、腹が立てば大声をあげ、恐ろしければ震えるとよいでしょう。そんなふうにカタルシス(浄化)を体験すれば、思考を阻害する感情を、身体と記憶から洗い流すことができるのです。
・感情の発散は、苦痛や恐怖や悲しみから脳を解放する、癒しのプロセスなのです。ネガティブな感情に(たとえ無意識のうちにでも)影響されている限り、私たちは自分の知的能力を十分に使いこなすことができないのです。

子どもを甘くみてはいけない。
少し心理学を学んだ人に多そうだけど、操作主義に陥って、
「子どもを誘導できる」という傲慢な思いを持つのも、どうかと思う。
最後に大切なのは結局、
子どもに対する誠実な態度
子どもに対する真摯な態度
子どもに対する敬意
ということになるのだめうな。

●フィードバック

・絶対に子どもの空想を批評したり変えようとしたりしてはいけません。そんなことをすれば、子どもの信用を失ってしまいます。
・子ども時代のユニークな経験と、その子の人生に重要な役割を果たす大人たちがどんな反応を示すかが、のちの人生に大きく影響を及ぼします。大人が”想像力に欠ける反応”をすると、子どもたちは、”想像力を欠いた大人”になってしまうのです。
・子どもたちは親をじっと観察しており、親の示す反応から強く影響を受けます。親子のふれあいから、その子の運命や知性の質が少しずつ形づくられてくるのです。
・私の幼いころの一番の思い出は、本を書きたいんだと母に打ち明けたときのことです。自分で考えた物語を話すと、母はすぐにタイプライターで打ってくれたのです。自分の頭の中から生まれた物語に、母のタイプライターが永遠の命を吹き込んでくれる – これほど胸躍ることはありません。そのころ私はまだあまり字は読めませんでしたが、母ができあがったタイプ原稿を手渡してくれた瞬間、「これはぼくが書いた初めての本だ」と思ったものでした。

言葉でどんなにきれいごとを言っても、
どんなに頭でわかっている「いい親」を演じようとしても、
子どもには、大人の真意が伝わってしまう。
滲み出るふるまい・ボディーランゲージによって、それが伝わってしまう。
結局、付け焼刃の理解ではなく、心の底から自分が大切にしているものが、子どもに伝わるのだということ。

・何かを学ぶ際には、自分の行為に対して反応を得ることが重要なポイントとなります。反応が否定的なものばかりだと、私たちの学ペースは遅くなり、場合によってはそれをまったくやめてしまうこともあります。それと反対に、反応のほとんどが肯定的で、自分も適度に楽しめていれば、私たちは学び続けるものです。
・けれども、興味深いことに、学習を一番長続きさせる方法とは、反応を断続的に与えることです。ある行動に対していつも肯定的な反応が与えられていると、反応がなくなった途端にその行動はストップしてしまいます。
・実のところ、断続的にいい反応を得た人は、そうでない人の5,6倍熱心に、もしくは5,6倍長く努力することがあります。一方で、肯定的な反応を始終得ている人は、それがなくなった途端にもう成功のチャンスはないとあきらめてしまいます。肯定的な反応は、強い影響力があるが故に危険な場合もあります。
・「上手にできていますね」という言い方だと普遍的な基準を示しているように聞こえてしまいますが、「いいですね」と言えばちょうど自分の意見を述べていることになるでしょう。

ここ、自分が注意しなくちゃいけないこと。
感動するあまり、気づかないうちに、子どもを天狗にしてしまっている可能性がある。
ときには、むやみにほめないというブレーキも、大切。

・好きな人からの反応だけを信じるようにすれば、自分の人生で何が重要かを決めるのは、自分意外の何者でもないと考えることが容易になるでしょう。自分が良いと思わないアドバイスを受け入れないことは、良いアドバイスを受け入れることと同じくらい大切。
・したがって、親がどんなにはっきりした反応を示しても、それが個人的な意見でしかないことを子どもに教えておくのは、別の反応への可能性を残すという意味において重要です。肯定的な反応は、ときに否定的な反応と同じくらい子どもを誤った方向に導いたり、破滅的な影響を与えたりします。
・必ず個人的意見として述べるようにしてください。

ほめるときには、このポイントを忘れずに。
「パパはいいと思うな」
「パパはそういうの、好きじゃないな」
という具合になるのだろうか。

●親の影響と家庭環境

・ニューヨークで出版社を経営していたカプランは、四十歳を目前にしてマーラーの交響曲に夢中になり、一年間休職して音楽の勉強に専念しようと決意しました。その一年間に彼は一から指揮を学び、交響曲の中でも一、二を争うほど複雑なこの85分の作品の、すべての譜面を暗記したのです。プロの音楽家は口々にやめるよう忠告しました。にもかかわらず、カプランは中年期に新しいスキルを習得することにこだわり、とうとう見事にやり遂げたのです。今では一流のオーケストラでこの交響曲を指揮するため世界中を旅しています。
・ほとんどの人が、カプランが挑戦したような難題に成功することは自分にはできないと考えています。その確信が子どもたちに伝わってしまい、社会全体にはびこる根深い信念となっています。対照的に、すばらしい仕事を成し遂げた人は、多くの場合、幼いころからもっとポジティブな考え方に感化されてきたのです。
・窓から見えた白い大きな家がとてもステキだったので、中はどんなふうかしらとお父さんに言ったところ、「見てみたいかい?」という言葉が返ってきました。彼女が見たいと答えると、お父さんは車を道路の脇に止め、彼女をその家の玄関まで連れて行きました。そして、ドアをノックし、その家の女性に中を見せてくれるよう頼んだのです。「あのとき以来、知りたいことの答えを見つけるのは簡単だと思うようになったの」と、ノリは言います。「それから何年も経ってからよ、その家の前に “売り家” という看板が立っていたのを知ったのは
・多くの研究によると、学習の成否は学校教育によって直接左右されるわけではないのです。子どもたちの素質の開花は、何よりも家庭環境によって決定づけられるのです。家庭で形づくられた学習に対する姿勢は、例外的にすぐれた少数の学校以外には、変えることができないのです。成功した人々のインタビューを読むと、周囲の誰かがその人の教育に特別な関心を向けていたことが分かります。要するに、子どもたちが素質を伸ばしていくためには、大人がモデルを示し、一芸に秀でることの意味やその方法を伝えてあげることが重要なのです。偉人伝で子ども時代の逸話が強調されているのには、そういう理由があるのです。
・支援的で温かな環境の中で身につけたスキルは、厳しい環境に投げ出されても応用が利くのです。豊かな環境の中で自尊心を培った人は、困難にぶつかっても乗り越えることができます。困難こそ子どもを成長させると考える人がいますが、その考えは事実に反しています。意味もなく厳しい環境に子どもを置いても、なかなか実社会に向きあう方法など学べるものではありません。
・あなたの中には、あなただけの天才的才能が眠っています – 呼び覚ましてくれるのを、首を長くして待っているのです。ですから、今すぐその才能を探しましょう。あなたが本気で取り組めば、子どもも影響を受けて同じように才能を探し始める可能性もあります。

私自身がもっともっと積極的に学ぶこと。
それはペンを持つ机上の勉強だけではなく、
セミナーに行くこともそうだし、何かのスキルを身につけることもそう。
実践の中で経営を学ぶこともそうだし、運動をすることもそう。
子は鏡。最後はこのごく単純な原則に戻ってくる。

●競争よりも協力

・競争よりも協力のほうが生産的であることを示す証拠が続々と集まっているのです。協力によって得られる利益は、競争がもたらす危険や浪費よりもずっと大切です。それが世界の常識となりつつあるのです。
・競争とストレスに満ちた環境で育つと、子どもは頭の回転は速くなるかもしれませんが、生命力が乏しくなってしまいます。年長者の顔色をうかがうようになったり、遊びや友達作りの苦手な子になったりする恐れがあるのです。
・意外なことに、オリンピック選手たちは、概して競争にはあまり関心がないのです。傑出した成績をあげる一流のアスリートたちは、自分の過去の記録を超えることには熱心ですが、他人に勝つことに執着しているわけではないのです。彼らは、他の選手がどんなふうに挑んできても動揺しません。自分のやり方でベストを尽くすことだけを考えるよう育てられてきたからです。国籍を問わず多くのアスリートに共通しているのは、意外なことですが、柔軟な両親にのびのびと育てられたということです。スパルタ式の親は出る幕がないのです。
・子どもがプレッシャーに打ちひしがれそうになっているときは、みんなで協力してやればいいんだよと教えてやり、子どもとよく話し合うようにしましょう。あなた自身がプレッシャーを与えているのでない限り、やがて子どもはリラックスして行動できるようになるはずです。

オリンピック選手が「他人との競争」をせずに「自分との闘い」をしている
というこの事実は、とても説得力のある話しだ。
ほとんどの親は、兄弟や友達などの間で常に「比較」をすることで、
子どもを追い詰めている。
私もたまに、うっかりそういう発言をしてしまうことがある。注意しなくては。
自分の子には、このオリンピック選手と同じようなMindsetでことにあたるよう、伝えていきたい。

●労働と学習の関係

・命令は知性に対する侮辱であるばかりでなく、混乱を引き起こしているのです。理想的な教育法とは、何よりもまず、子どもたちがすでに知っていることを引き出してやることなのです。
・近代の学校制度は、仕事に遅刻せず、上司の指示に従い、波風を立てない工場労働者を育てることを主たる目的として整備されてきたのです。
・私たちの学習に対する姿勢は、労働に対する考え方によって決まってしまう
・ですから、学習に対する姿勢を本当に変えようとするなら、まず労働に対する考え方を変える必要があるのです。こんな労働観はもう時代遅れであり、捨て去る必要があります。労働それ自体が人間を成長させるという考えには、根拠がありません。また、どんな労働にも価値があるという考えなど愚の骨頂と言うべきです。
・不要不急の仕事にどれくらい時間を使っているでしょうか? また、子どもたちは、数分間で習得できるはずのことや、そもそも勉強する必要もないことを学ぶために、学校で毎日何時間の悪戦苦闘を強いられているのでしょうか?時間とエネルギーと才能を浪費させる労働や勉強は、無意味などころか、知性を麻痺させてしまいます。
・「アリとキリギリス」や「ウサギとカメ」のような罪作りな寓話を読んで育ったせいか、私たちは懸命に働いていないと後ろめたく感じてしまうようです。どこか労働そのものを神聖視しているところがあるのです。「ウサギとカメ」の話を、ウサギはカメに勝ったあとで昼寝をしたというふうに書き換えてみたらどうでしょうか。何もバカ正直なカメに大きな顔をさせることはないのです。何かをスピーディーにやり遂げることができるからといって、怠け者ということにはならないはずですから。実際問題、どれだけ労力をかけるかよりも、どれだけ能率的に仕事を成し遂げられるかのほうがずっと大切なのです。
・成功をおさめた人は例外なく仕事が大好きであり、仕事と趣味の区別などしていません。反対に、日々の仕事をこなすのに四苦八苦している人は、ほとんど成功する見込みがないのです。
・「今日できることは明日に伸ばすなかれ」という格言 これはまったくナンセンスな教えです。なぜなら、いつかやろうと計画していることは、たいてい今すぐにでも実行できるはずだからです。例えば、五年後のクリスマスのために今からプレゼントを買っておくこともできますが、そんなばかなことをする人がいるでしょうか? こんな時代遅れの格言に従っていたら、いつまで経っても仕事に切りがつかないに違いありません。
・明日に延ばせることは、先延ばしにしたほうがよいのです。体験的に言って、そのほうが生産性があがります。なぜなら、先延ばしにできるようなことは、たいしてやる必要がないことが多いからです。必死に頑張って早く仕上げたのに、あとになってムダな仕事だと分かった経験が、私には何度もあります。
・「やるべき価値のあることは、下手でもやる価値がある」
・ある仕事をする必要があるかどうか判断に迷ったら、いろいろな人の意見を聞くとよいでしょう。特に子どもの意見を聞くと、思わぬことに気づかされます。子どもたちは、親のしている仕事の無意味さを見抜いていて、やめればいいのにとひそかに思っていることもあるのです。

この洞察は、とても鋭く、すばらしいものだ。
私の学習に対する感覚が他の人とずれているのは、このあたりにあったんだと、納得できた。
サラリーマン根性で勉強するのは、ほんとうに不幸の道だと思う。
いつの時代の勉強だよという感じ。
東大にいって官僚になって、口八丁の政治家に使われたり、
東大にいって企業に就職して、中卒の創業経営者にこき使われるのではなく、
自分がその、秀才を使う側(言葉は悪いけど)に回るほうが、いい。

●統合学習とは

・<>は、「加速学習、最適学習、スーパーラーニング、サジェストペディア、全脳学習、ホリスティック学習」といったバリエーションでも知られています。
・加速学習は、学習のスピードアップに焦点を当てるあまり、理解度を深めることや考える力を伸ばすことを軽視する傾向があります。全脳学習は右脳と左脳のバランスを重視しますが、学習における身体の役割をなおざりにしています。私は「統合学習」という用語を選びました。この言葉は、幼い子どもの学ぶ姿をうまく表現しているからです。
・少なくともあなたの家族(あるいは生徒)とあなた自身は、時代の変化を待つことなく、今すぐ「統合学習」の利点を享受できるのです。
・映画「ベスト・キッド」を見ると、無意識の学習がどんなものかよく分かります。「統合学習」の手本としてお薦めしたいと想います。
・「加速学習」にカンニングは存在しません。また、生徒は互いに教え合うことで勉強への理解をより深めることができると、私たちは考えています。すべての生徒が最大限に学べるような授業を行なっているため、カンニングは無意味で役に立ちません。暮らす全員が、互いにどの程度の知識や学力を持っているかを知っているのに、それをごまかすことなんて不可能です。ある生徒が何かを知らなかったときには、できるだけさりげなく教えてあげればよいのです。
・私の経験では、大学教授と一時間話せば、その人の講義に数週間出席したのとほぼ同じくらいの情報が得られることが分かっています。ぐっと圧縮された内容には重要項目が目白押しで、それらは講義を聴いたあとも頭に残っているような知識ばかりです。

日本では、加速学習と、神田さんが本で広めた「全脳」という言葉があるくらいかな。
でも、統合学習 といういい方、いいなと思う。
この分野にも色々な細かい区分けがあるのか。
ベストキッド、今度みてみようと思う。

●子どものタイプ(学習型)

・教育関係者のあいだで近年関心が高まっているテーマは、学習の型についてです。今のところ、①視覚型、②聴覚型、③運動感覚型、④活字志向型、⑤集団インタラクティブ型の5つのタイプに分類するのが一般的です。どんな人のこの五類型のいずれかに分類されることになります。従来の学校では、「聴覚型」と「活字志向型」の子どもが有利に学習を進める傾向がありました。「視覚型」と「集団インタラクティブ型」の子どもはやや窮屈な思いをしたはずですが、折にふれて好みの学習活動をする機会に恵まれました。それに対し、「運動感覚型」の子どもは、学校で本領を発揮するチャンスがほとんどなかったのです。
・視覚型
絵や図表を使って教えてもらうことを好みます。耳で聞いたことも、ビジュアル・イメージに置き換えます。話をするときも表現が視覚的です。話したり聞いたり自分でやってみるよりも、見ることによって学ぶのです。このタイプの人は話しを聞きながら落書きをしていることもあるかもしれません。絵を描くと言葉でメモを取るよりも記憶しやすくなるのです。
・聴覚型
人から説明してもらうことを好みます。人の話を理解するのが得意で、言葉の響きを楽しみます。絵本を読んでもらうときも、絵を見るよりも耳を澄ませている傾向があります。聴覚型の学習者にとって、音の世界は特別の意味を帯びています。音楽的なものであるかどうかにかかわらず、音そのものに豊かな意味を感じ取るのです。
・運動感覚型
新たなことを身につけるとき、体を動かして全身で感じ取ることを好みます。この型の学習者は、ジェスチャーやダンスやポーズによって、巧みに自己を表現します。一般に「生きる知恵」に恵まれており、スポーツが得意です。このタイプは何かの「感じ」をつかむと、すぐに使いこなしてしまいます。手先が器用でバランス感覚が鋭く、道具の扱いに長けています。口よりも体が先に動きます。
・活字志向型
印刷物からたやすく知識を吸収できるので、読書が大好きです。映画よりも読書を好み、人の説明を聞くよりも本を読んで理解するほうが性に合っています。読んだことはすぐに覚えてしまい、暗誦するにしろ記述式テストに回答するにしろ、言葉で表現することを得意とします。しかしながら、このタイプは本がすらすら読めるがゆえに、活字に対する批判能力を欠いている恐れもあります。読むのが得意であればあるほど、多角的な視点で活字を読むことを覚えなければならないのです。活字志向型の学習者は、本の内容について誰かに質問したりねそれをきっかけに話し合ったりする必要があります。そうすれば、読書からいっそう大きな収穫を得られることでしょう。本で読んだことを絵や図表を使って表現しなおす方法を見につけ、広い視野からものごとを見る練習をするとよいでしょう。
・集団インタラクティブ型
ディスカッションなど人と関わる活動に参加しているとき、本領を発揮します。このタイプの人は、意見をやりとりするのが好きなのです。ですから、発言のチャンスが与えられないと、つまらなくなって居眠りをするかもしれません。集団の中で体験しながら理解を深めるタイプなので、教室よりも夕食のテーブルでの団らんから多くのことを学ぶ可能性があります。性格は外向的なので、リーダーやパーティーの花形になることもめずらしくなく、多彩な人間関係を築きます。つきあう相手を選ばないので、ときには徒党を組む、非行グループに加わるなど、逸脱した行動に出ることもあるでしよう。

NLPのVAKの区別より、さらにもっと細かくてわかりやすい!
これは、とても重要。
自分の子どもがどのタイプなのかを早めに見極めて、
それに応じた教え方をするとともに、タイプが偏らないように工夫してあげたい。
日本の学校は、このあたりの特性を完全に無視した教え方しかしないだろうから、
その悪しき環境から子どもを守るためにも。
学校教育者も、このあたり、勉強すればいいのに。

●学習に必要な三要素(インプット 統合 アウトプット)

・テレビは学習に必要な三要素のうち「インプット」しか提供できないからなのです。それどころか、「統合」と「アウトプット」のふたつを欠いているがゆえに、視聴者の思考力を奪う危険すらあります。もしテレビに「統合」と「アウトプット」のふたつの要素が加われば、強力な学習ツールとなるはずなのですが。
・ロザノフは、教育には「解読」「コンサート」「アクティベーション(活性化)」の三つの段階が不可欠であると言っています。これらは前述した学習の三要素とおおむね一致します。ただし、「インプット」「統合」「アウトプット」の三要素が学習の始めから終わりまで継続するのに対し、ロザノフの唱える三つの段階は順を追って進行するという違いがあります。何かを学習するとき、たいてい私たちはこの段階を省略しています。言ってみれば、私たちは無謀にも、全体像を把握せぬまま新しいことを学ぼうとしているのです。これからは学習の始めに解読を習慣づけたいものです。まずは教科書の目次に目を通して、だいたいどんなカテゴリーの情報が扱われているのか見きわめましょう。次に各章のまとめを読み、理解できない用語をピックアップします。最後に、教科書に出てきたさまざまな情報を「マインドマップ」にします。このようにすれば、題材はぐっと親しみ深いものになり、教科書を読み進め、その主題に対する講座を受けるとき、話の流れがよりつかみやすくなるのです。みなさん自身がこのやり方を試してみたら、子どもたちにも教えてあげるとよいでしょう。

マインドマップ、子どもが小学生ぐらいになったら教えようかな。

●五感の活用

・言葉と音楽とが相互に作用しあうと、まるで朗読者がオーケストラの楽器のひとつになったかのように聞こえるのです。私が個人教授をするときは、子ども自身に音楽に合わせて朗読してもらうこともあります。すると、読む力がぐんぐん伸びていきます。「コンサート・セッション」には、パッヘルベルの「カノン」、ヘンデルの「水上の音楽」、ベートーベンの「ビアノ協奏曲第五番・皇帝」のような曲が適しています。これらの音楽に合わせて大きな声で朗読すると、学習内容がたちまち長期記憶に刻まれていきます。また、脳が言語情報を処理するあいだ、脳の他の部分は音楽を楽しんでいます。このふたつが調和するとゆったりとした幸福感が生まれ、新たな情報に対する拒絶反応が消えていきます。幸福感は、肉体の健全な反応を引き起こすのです。

スピードランニングのバックミュージックで使われているのも、この辺の曲。
このあたりも、そろそろ子どもが机に向かう時のために用意しておこう。
自然に習慣としてアンカリングしておくのが、こつかもしれない。

●バースデー・サークル

まず全員で輪をつくって中央に誕生日の人を座らせます。輪をつくっている人たちはひとりずつ順番に中央の人に向って、「あなたが生まれてきてくれてとっても嬉しいです。どうしてかっていうと…」というように、その人の好きなところを言っていきます。「初めて会ったときは変なやつだと思ったけど、今はいいやつだと思うよ」のような発言はダメです。また、「絵が、きみの半分も上手に描けたらいいのにな…」のように自分と比べるのもいけません。しかも、その誉め言葉は心からのもので、言われた当人が本当だと思えるものでなくてはなりません。無意味なお世辞を言うための時間ではないのですから。そして、誕生日の人はみんなの誉め言葉にただ聞き惚れてください。何も言ってはいけませんよ。

これと、シュタイナー教育で行われているイメージのプレゼントをあわせると、
なんだかとてもよい誕生日ができそう。

●その他 統合学習の具体的テクニック

・怒ることをゲームとして体験しておけば、自分や他人が実際に腹を立ててもあまり気にならなくなります。怒りの感情そのものは、誰かを傷つけることはなく、やがて自然に解消するものだと分かるようになるからです。また、怒りは誰にでも生じる一時的な状態であり、自分に向けられた攻撃ではないという見方もできるようになります。
・言葉のセリフはなく、数と音だけを用います。数は、1〜100までを順番に数えていきます。これによって、演じる人たちは次のセリフを忘れることがなく、すきっとのどの辺りを演じているのかもすぐに分かります。ふたりとも100になるまでに仲直りをしなければならないと知っているので、相手の次の行動を互いに予測し合うことができます。

これは、家族、それから中のよい友達同士でやらせてあげたい。
友達は、のってくれる人、いるかな。

・家族全員が、言葉以前の思考を用いて問題を建設的に解決するようになると、コミュニケーションは徐々に親密さを増していきます。話し言葉を重視しすぎて、シンボルの役割を軽視する社会に住む人々は、付き合いが表面的になる傾向があります。
・子どものために「骨組みストーリー」をつくるときは、文と文の間に十分なスペースをとり、そこに子どもがあとから自分で文を書き入れられるようにしておきましょう。
・このやり方は絵を描くのと似ています。細かい部分にてを入れる順序をまったく気にする必要がなく、自分が満足いくまで物語の中を行ったり来たりすることができるのです。それでは、この方法で子どもに物語を書かせてあげましょう。
・目隠しトレーニング 助けるのは本人が頼んだときだけとします。
・家庭によっては、夕食時の会話が、どれだけたくさん自分の話を聞いてもらえるかのコンテストになっている場合があります。どんなに幼い子どももも含めて、家族一人ひとりは同じ時間、もしくは少なくとも同じ回数だけ、発言する機会を持つ必要があります。
・[グッド&ニュー]は、夕食時の会話のきっかけとして最適です。その日、もっとも楽しかった出来事や大切な出来事について話すことは、家族に前向きな一体感をもたらすことでしょう。

遊びとしてし取り入れられたらいいなと思う。
たぶん学校ではやってくれないから、家で。

・「何か見落としているんじゃないかと、どうしても不安になるんです」と、あるワークショップの参加者が言いました。「だから、最初から順に一言ももらさないで読むほうが好きなんです」「それなら、国会図書館に行ってごらんなさい」と私は言いました。「すべてのものを読むのは、とうてい不可能なのです。それなら、わずかな本の内容を全部つかもうとムダな努力をするより、より多くの本の大まかな内容をつかんだほうがいいと思いませんか?」
・子どもに「マインド・マッピング」を教える際には、堅苦しい説明のあとに強制するのではなく、家族と一緒に楽しみながら体験させるのが良い方法です。例えば、休暇の計画を立てるときに、家族一人ひとりの提案を「マインド・マップ」に書きこんで行くのもよいでしょう。

フォトリーディングとマインドマップは、
子どもたちの最低限の統合学習の基本スキルになるだろうな。
これを知っている子と知らない子では、ヘタしたらIQに50ぐらいの差が出そう。

●その他

・「ビジネスで重要な二つのルールとは、人の欲しがっているものを提供することと、自分の好きな人とだけ商売することです。これが分かるまでには、長い時間と数々の手痛い経験が必要でした」この教訓を家庭で学ぶことができれば、その後の長い人生できっと役立つことでしょう。
・私がこの本に出会って感じることは、教育と家庭、そして経営の融合が起こっているということです。いままでは、会社が成長するためには、家庭は犠牲にされても仕方ないという考えがありました。ところが現在は、家庭で成功することなしには、会社でも成功できないことが明らかになっています。
・天才児は帝王切開で生まれる率が高い – (母親が高齢だということも一因でしょうが)帝王切開で誕生したことに不全感を覚えるために、より強い自己表現を通じて達成感を得ようとするからではないか?
・音階は12ありますが、それらを使って「メリーさんの羊」程度の複雑さの局がいくつできると思いますか?なんと、およそ10の27乗もの数の曲をつくることが可能です。これは、地球上のすべての人が毎分違う曲を10万年歌い続けても、全部歌い終ることのできない数です。

タイトルとURLをコピーしました