カバラーの世界

ユダヤの神秘思想について、まじめに書かれた本。
西洋文明の本質を理解するには、このあたりのことを知っておく必要が、ある。
オカルト本ではない、正統な解説。

カバラーの世界

ロスチャイルド、ユダヤつながりで、
西洋における密教、ユダヤの最奥の教えについて、
知っておきたいと思った。

ほとんどの霊的鍛錬が探求者をすべてのものから遠ざけ、田舎の静かな土地に引きこもって瞑想することを要求するのに対して、ユダヤの神秘家は世俗的な活動の真っ只中で、新たな生き方を始めねばならない。すなわち「塩付きのパンを食べ、適量の水を飲み、地面に床を取り、つましく暮らし、そして懸命に学べ」である。

現実の世界で、とくに金融や商取引において天才的といわれるユダヤ人。
その彼らの文化が同時にもっているカバラーという神秘思想。
これあたりは、ゾクチェンに通じるものを感じる。

仔獅子たちは毎日精神修養を行ったが、その内でも簡単なものは「出エジプト記」第十五章の「わたしはあなたをいやす主である」という文句をテトラグラマトン(YHVH)の文字に由来する聖なる御名と組み合わせて繰り返し唱えるというものであった

ヒンドゥーにおけるあのマントラと同じだ。

カバリストの肉体の各部分も知識の宝庫である。の下から七つのセフィロトは背骨に沿って配置される天の七つの中枢に対応しているので、背骨に瞑想すれば、人間は右側が男性(活動・火)エネルギー、左側が女性(受動・水)エネルギーからできていることが判る

右の気道、左の気道、七つのチャクラ、
そしてクンダリニーの話と通じる。

カバリストのは神秘の膜を剥がし宗教的な色合いを払拭すると道家の天と地の「体」と同様、呼吸と精神集中の図そのものである。チャン教授によれば、肉体の特定の部位に精神を集中すると「その周囲の神経」が刺激されるという。脊柱は紛れもなく神経線維と電荷の樹であり、物理的なインパクトとともに心霊的な刺激も受ける。

こう表現されると、神秘体験が神秘体験ではなくなり、
疑い深い現代人の私でも疑念という自己暗示が払拭されていい。

アブラフィアは、一般的なユダヤの霊的指導者は霊的な生活と修行に対する無知を助長していると非難し、翻って文字置換法を法悦的幻視に至る手段として導入した見識ある「トルコ人」や「エチオピア人」を称揚した。またラビたちは輪廻転生の秘密を学ぼうとせず、人体の中の神聖な諸力についても弟子に教えない、とも論難している。

ユダヤの神秘思想から「輪廻」という言葉が出たのは驚きだ。

その時に得られた霊的な歓喜はあまりにも強烈で、彼は自分自身が頭の天辺から足の先まで、突如として溢れ流れ始めた暖かい油によって洗い清められたように感じたのであった。

チャンダリー、あるいは不死の甘露のことと同じ。

「静かにささやく声」を用いれば、誰にも聞かれることなく大声で叫ぶことができるこれは単なる空想ではない、実際の叫びである。これを行う場合、時には音が唇からもれることもあるかも知れない。神経を伝わった声は、また音声器官を働かせ、わずかな音を生み出すこともあるからである。この叫びは、言葉を伴わない方がより簡単である。言葉を表現したいときは、いかなる音も漏らさずに声を心の中に止めるのは遥かに難しい。だが言葉がなければ、それは遥かに簡単である。

これは、ちょっと使えるなと思った。
脳波のコントロールという意味でもそうだし、
言葉を抑制する方が、より強い感情的なエネルギーを発動する訓練にも、なる。

カバラーにおいては、神は「信仰」の対象ではなく「認識」の対象とされる。

一神教とよばれているこの西洋の文化も、
その最奥までつきつめていくと、東洋のものと、変わらないものになる。
すべては、方便なのだなぁと思った。
この他も、ヘブライ文字を象徴概念として瞑想に使うカバラのやり方も、
梵字を観想に使うチベットのやり方と、とてもよく似ている。
すべて、同じなのだ。
自分にあった、自分がのりやすい乗り物に乗れば、いい。
大切なことは、それが何であっても、とにかく乗ってみることだ。

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