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女性、仕事、リーダーへの意欲
フェイスブックCOOが書いた全米ベストセラーの話題作
その「一歩」を踏み出せば、仕事と人生はこんなに楽しい

すべての働く女性、働いていた女性、これから働く女性に
読んで欲しい。…というのはもちろんですが、
むしろその周囲にいる男性こそ、読むべき本かもしれません。

●プロフェッショナルは「感情」を大切にし「プライベート」を仕事に持ち込む

・感情は男女を問わず行動の原動力であり、どんな決定を下すときも感情の影響を受けずにはおれない。感情が果たす役割を認め、それを率直に話すことができれば、私たちはよりよい上司、よりよいパートナー、よりよい同僚になれるだろむう。とはいえ、若い頃はこのことをよくわかっていなかった。プロフェッショナルであるとは、つねに自分を律し、能率の権化に徹し、プライベートと仕事をきっちり分けることだと考えていた。…私は考え方を変え、いまでは自分というもののすべてを仕事に持ち込むのはけっして悪くないと考えるようになった。月曜から金曜までをプロフェッショナルとして過ごし、週末だけプライベートな自分に返るのが正しいあり方だとは、もう考えていない。自分をそんなふうに切り替えることは、もともと不可能なのだと思う。まして自己表現が容易になり、絶えずフェイスブックで近況をアップデートしたり、さらにひんぱんに対ーとしたりするのがあたりまえになった今日では、なおのことだ。「冷徹なプロフェッショナル」の仮面をつけるより、自分の真実を語り、個人的な事情を正直に話し、感情は切り離せないものだと認めるほうが、総合的に見てメリットは大きいのではないだろうか。
・家庭と仕事の両立はむずかしいというメッセージは巷にあふれている。二兎を追えばつねにせき立てられ、ふしあわせになるだけだ、だからどちらかを選びなさい、と女性は絶えず言われる。この問題が「ワーク・ライフ・バランス」と名付けられていること自体、両者が真っ向から対立するという印象を与える。この二項対立で、誰がライフを捨てられるだろうか。となれば必然的に、ワークが押し出されることになる。
・人はよく、プロフェッショナルなら職場に家庭の事情は持ち出さないものだと言い、職場で家庭のことを話すのさえ恐れる。これでは、他人の事情を理解して助けてあげられるときでさえ、そうすべきではないと言わんばかりだ。また大半の女性は、子供のことを職場で話そうとしない。仕事と子供とどっちが大切なのか、と思われてしまうのを恐れるからだろう。だが仕事と家庭をきっちり分けることが鉄の掟になってほしくない。とはいえ、すべての職場、すべての同僚がプライベートな事情を気持ちよく受け入れ、一緒になって心配してくれるとは限らない。だが、仕事とプライベートの境界が少なくともぼやける方向に進んではいるように思う。

私も昔、20代後半までかな、著者のシェリルと同じだった。
機械論パラダイムというか、冷徹な機械のように淡々と仕事をするのが正しいと、頑なに信じていたことがあった。
そのような古い考え方は、もうとっくの昔に捨てたけど、
あの頃はチームメンバーにとても迷惑をかけたなぁと、今反省している。

●新しいリーダーシップ

・リーダーシップ研究の第一人者、たとえば『さあ、才能に目覚めよう』を書いたマーカス・バッキンガムのような人が、旧来のリーダーシップの概念に疑義を提出している。彼らは、戦略的、分析的、実力主義といったさまざまな観点からリーダーの資質を決めるやり方はもう古い、むしろ真のリーダーシップは個性や人格に由来する、と主張する。そうした個性はストレートに表現されることもあれば、うまく表現されないこともあるが、リーダーは完璧をめざすよりも自分らしくあるべきだという。これは女性にとっては朗報である。というのも、働く女性はステレオタイプの「ビジネスマン」であろうとするあまり、職場では無理に感情を抑えようとしてきたからだ。そしてたぶん男性も同じようにしてきたのだろうから、これは男性にとっても朗報にちがいない。
・いつの日か、職場で涙を流すのは悪いことでも弱さをさらけ出すことでもなくなり、単に真実の感情を素直に表しただけだと受け取られるようになるだろう。そのときには、従来はプロフェッショナルらしくないとされてきた感受性ゆたかなタイプの女性が、人間的なリーダーとして認められるようになるかもしれない。
・コリン・パウエル陸軍大将・元国務長官は、近著の中で、自分の考えるリーダーシップ像では「忙しがり屋」は認められないと書いている。「忙しがり屋」とは、長時間にわたってオフィスで働き、それが部下に与える影響をぜんぜんわかっていない輩のことである。「私がトップになったときは、プロフェッショナリズムを徹底し、つねに最高の基準を掲げる。どうしてもやらなければならない仕事があるときは、部下には徹夜も厭わないでほしい。しかしその必要がないときは、通常の勤務時間だけ働き、まともな時間に家に帰り、子供と遊んだり、家族や友人と語らったりしてほしい。本を読み、頭の中を整理し、あるいはぼーっとしてリフレッシュしてほしい。部下には、オフィスの外での生活をもってほしいのだ。私は仕事のクオリティに対して報酬を払うのであって、勤務時間の長さに払うのではない。こうしたプロフェッショナルな環境は、必ず最高の結果をもたらす」。
・親切な配慮をするつもりで「結婚しているの?」とか「お子さんは?」と訊ねるだけで、あとになってこの情報に基づいて人事判断をしたと非難されかねないというのだ。その結果、男女の性差を踏まえたうえで女性社員に手を貸したいと考える上司は、そのために差別行為に問われることになる。

今の職場では、過去の「忙しがり屋」だった自分の影はほとんどないと思う。
そしてこのパウエル氏のような考え方で、仕事もマネジメントもできている。
これはたぶん、一つには結婚をしたこと、二つには子どもが生まれたことが大きく影響している。

●思い込みの脅威

・ステレオタイプ・スレット(固定観念の脅威) 集団内の女性がネガティブなステレオタイプに気づくと、そのステレオタイプに従って行動しがちだという。たとえば、男は理数系が女より得意だとされている。すると、理数系の試験の前に自分が女であることを再認識させられるだけで、たとえば解答用紙の冒頭に性別の記入欄があるだけで、女生徒の成績は悪くなるという。
・「女性特有の詐欺師感覚」多くの人々、とりわけ女性は、自分の業績を誉められると、詐欺行為を働いたような気分になるという。自分は評価に値する人間だとは思わずに、たいした能力もないのに誉められてしまったと罪悪感を覚え、まるで誉められたことが何かのまちがいのように感じる。その分野では優秀な専門家であって、実際に高い業績を挙げているにもかかわらず、自分の能力などたかが知れている、言ってみればうわべだけのペテン師のようなものだ、そのうち化けの皮が剥がれるにちがいない、などと思ってしまう…
・女性が女性の足を引っ張るなど、考えただけでも胸が痛む。女性のこうした行為は、単に相手を苦しめるだけでは済まない。女性に対する女性の辛辣な評価は客観的とみなされ、男性による評価より信用できるとみなされがちである。言い換えれば、女性によるジェンダー・バイアスは正当なものとみなされる傾向がある。女性が女性に対してバイアスをもっているはずがない、というわけだ。だが、そうとは限らない。女性は、多くの場合そうと気づかないまま、女性を軽視する風潮を自分の中に取り込み、無意識に態度に表している。だから、女性は性差別の犠牲者であると同時に、加害者にもなり得る。
・この調査の結果を一言で言えば、男性が何らかの特徴や条件を備えている場合、そうした特長を持ち合わせていない場合に比べ、その特徴が重要な採用基準となる、ということである。一般的に女性特有とされている「家庭を大事にする」とか「子供がいる」といった特徴であっても、男性がこの特徴を備えている場合には、そうでないときより重要な採用基準とみなされる。このようなえこひいきは、女性応募者に対しては行われない。たとえば学歴について言うと、女性応募者の学歴がきわめて高い場合、そうでない場合と比べ、高学歴は重要な採用基準ではなくなる。ただし、この逆えこひいき現象は統計的に有意な水準には達していない。
・この調査では、一般に男の仕事あるいは女の仕事とされている職業で採用をする場合、採用担当者は、好ましい性が持ち合わせている可能性の高い経験や条件を採用基準に設定する傾向があることもわかったるたとえば男の仕事とされている警察署長の採用では、男性応募者に有利な基準が設定される。女の仕事とされている女性研究の教授採用実験を行ったところ、女性応募者が有利になった。他の研究でも、採用担当者は性別や人種がステレオタイプから外れる応募者がいる場合、こうした応募者に不利になるように採用基準を微妙に変えることがわかっている。たとえば、管理職の採用において野心的な応募者(有能、自信がある、目標が高い)と協調的な応募者(控えめ、和を重んじる)に適用される雇用基準を調査した。その結果、「あらゆる応募者について、協調性よりも能力が重視される。ただし野心的な女性応募者の場合には、協調性が重視される」ことがわかった。「採用担当者は差別を正当化するために、野心的な女性の強み(能力)から、このタイプの女性に欠けがちな特性(協調性)への雇用基準を変えた」と結論づけている。

「自分は関係ない」「自分はこんな思い込みはない」という人ほど危険なのが、固定観念。
どちらかというといつもあらゆる意味でマイノリティの側に立つことが多い私だけど、
だからといって、大勢に流されない保証はない。常に自己認識を改めるような謙虚な心が必要。
とくに大きくかかわるところでは、子育てにおいて、それから 採用において、
あるいは自分のセルフイメージにおいて(自分は男だから○○など)もう一度見直す必要がある。

●まだ残る性差別と男女の意識の差

・「献身的」というステレオタイプのせいで、女性は犠牲を強いられ、しかも報われない傾向がある。男性が同僚の仕事を手伝ったら、相手は恩義を感じ、何らかの形で返そうとするだろう。だが女性がそうしても、相手はあまり恩義を感じないらしい。だって彼女は人助けが好きなんだから、というわけである。フリン教授はこの現象を「ジェンダー・ディスカウント」と名付けた。女性は他人に親切にしたがっていると思われているために、安く見られているという。さらに悩ましいのは、女性がさまざまな事情から同僚に手を貸さなかった場合、評価が下がりやすいことである。これに対して、男性がそうしても何ら不利益を被らない。こうした不公平な期待の結果、女性は「やれば甘く見られる」が「やらなければ批判される」という袋小路にはまり込む。
・私は少なからぬ男性が「今日はこれから家に帰って子守りをしなくちゃ」と言うのを聞いたことがある。だが女性が自分の子供の「子守りをする」なんて聞いたことがない。ある友人は、社員旅行でチームの結束を図る一環として参加者に趣味を質問したところ、なんと男性参加者の半数が「子育て」を趣味に挙げたという。絶句するしかない。ほとんどの母親にとって、子育ては趣味ではない。花を育てるのは趣味かもしれないけれど。
・グロリア・スタイネムが慧眼にも指摘したとおり、「力をもつ者が名詞を獲得し、それが標準となる。力のない者には形容詞が付く」のである。誰だって力が劣るとは見られたくない。だから多くの女性が「女性ナントカ」と呼ばれるのを嫌い、「私は女性パイロットではなく、パイロットである(または弁護士、アスリート、社長、なんでもよい)」と主張する。もっともな主張である。みんな名詞になりたいのだ。それでも世間は、女が女であることを何かにつけて思い出させる。
・世間では、出世する女はみな独身だと考えているようだが、実際には成功した女性リーダーの大半は結婚している。フォーチュン500社のうち28社は女性がCEOを務めているが、26人は既婚者である。一人は離婚しており、一度も結婚していないのは一人だけだ。これらのCEOの多くは、「夫が育児や家事を助けてくれなかったら、そして転勤にも快く応じてくれなかったら、とてもここまでは来られなかった」と語っている。
・この研究では、「伝統的な」結婚をしている男性と同じく、「やや伝統的な」結婚(妻がパートタイムで働いている)をしている男性も、職場の女性に否定的な態度を示しがちであることがわかった。
・働く母親の40%は病気休暇と有給休暇を保障されておらず、約50%は子供が病気になっても休むことができない。
・家庭優先だとみなされれば、男も女も仕事で不利益を被るが、男のほうが払う代償は大きい。男性は病気の子供を看病するために休暇をとるか、早退するだけで不利になる。職場でからかわれるだけならまだしも、昇給や昇進のチャンスを失うことさえある。

これらの記述をみて、自分も差別の意識があったことに気づかされた。
「女医さん」という言葉を使うし、(幼稚園の)「男性教師」といったりするし、
また正直にいって、”ジェンダーディスカウント”も、少なからずしていたように思う。
具体的には、職場で献身的ではない女性に、どこか嫌悪感を感じるような、そんなところがあった。
性別の特徴を理解した上で、それを区別するのはよいかもしれない。
また、好き嫌いというのは価値観の問題だから、別に個人的に思うのは問題ないかも知れない。
けど、それを評価の基準にしては、いけない。
ただ最後のところにあるように、別に女性だけが損をしているわけではなく、
男性だから損をしている という要素も多分にある。

●女性が仕事をするために気をつけること

・完璧主義は大敵である。女性運動化グロリアスタイネム「すべてをやってのけるなんて、無理。フルタイムの仕事を二つこなせる人は一人もいない。仕事をし、子育てをして、三度三度の食事を手作りする…そんなスーパーウーマンは、女性解放運動の敵と言わざるを得ない」
・ローリーグリムシャー博士「重要なこととそうでないこととをきっちり分け、重要なことでだけ、完璧主義者になることにした」。
・私が好きなフェイスブックのポスターがもう一つある。「完璧をめざすより、まず終わらせろ」がそれだ。
・脚本家ノーラ・エフロン「きっと散らかり放題になるでしょう。でも、それもよしとしてください。面倒なことが次々に起きるでしょう。でも、それを楽しんでください。予想通りのことはまず起きません。でも予想外の驚きはいいものです。恐れることはありません。」
・直感に反するかもしれないが、自分に出された要求をすべてこなそうとしないことが、長く仕事で成功を収める秘訣なのだ、と。仕事とプライベートの両方の余地をつくる最善の方法は、意識的に選択することである。上限を決め、決めたら守ることである。

完璧をめざすより、まず終わらせろ これはとてもいい。
この言葉は、まさに人生のあらゆるシーンに、適用され得る。

●母親が働くことの育児への影響

・いわゆる専業主婦は私に罪悪感を感じさせ、ときに怖じ気づかせる。無言の非難を受けていると感じる瞬間があるし、おそらく向こうも、こちらが無言の非難をしていると感じる瞬間があることだろう。だが罪悪感や自信のなさをひとまず忘れられたときには、私は感謝の気持ちでいっぱいになる。
・子供の世話を両親がするか、他の人がするかに関しては、研究は一致して、誰がするかよりも世話の質が問題だと指摘している。子供は、個々のニーズに対する心配りと対応を必要とする。
・自分の子供時代を思い返してみると、専業主婦だった母は、呼べばいつでも応じてくれた。でも、いつも私のそばにいるとか、私が何かをするときに始終付き添っていたわけではない。私も弟妹も、近所の子たちもみんな、親の監視なしに自転車で近所を乗り回していた。両親はときおり宿題を見てくれたことはあるが、私たちがちゃんとやるか見張っていたことはない。今日では「よい母親」はいつでも子供に付き添っていて、子供が何かを必要とするときにいつでも応じるべきものとされている。比較的最近のこの現象を社会学者は「高密度育児(intensive mothering)」と名付けており、今日の文化では、子供とたくさん時間をすごす女性が賞賛される傾向にある。育児に身も心も捧げるこうした傾向からすれば、外で働く母親は育児失格と感じざるを得ない – たとえ私たちの母親世代と同じ時間を子供に費やしていても。
・どの調査も、「母親は家にいるべき」で「それが子供のために最善である」という社会的圧力は感情的なものであって、何の根拠もないと結論づけているのである。
・「母親が全面的に育児をした子供とそれ以外の人が育児に携わった子供のあいだでは、発達に何らちがいは認められなかった」と結論づけられている。認知能力、言語の理解力、社会的能力、対人関係の構築・維持の能力、母親と子供の絆のいずれをとっても、両者のあいだに差は認められなかった。両親の行動、たとえば父親が育児に協力的・積極的であるとか、母親が自律的な子育てに賛成であるとか、両親の仲がよく安定した結婚生活を送っているといったことのほうが、育児形態の二倍あるいは三倍も子供の発達に影響をおよぼすという。とりわけ注意を払う価値があるのは、次の一節である。「母親のみによる育児は、子供の発達の度合いを向上させるとも低下させるとも言えない。したがって母親が働くことを決めたとしても、子供にとって害になると感じるべき理由は何一つない」
・大多数のデータは母親の就労が幼児の発達に悪影響をおよぼさないことを示しているものの、生後一年での就労では一部の乳児に認知能力の発達遅れや問題行動が見られたという。赤ちゃんが受ける世話の質に両親が注意を払うといった配慮をすれば、悪影響は緩和される。

無言の非難をする という気持ちは、少し理解できる。
結局これは、対極にいる人を批判することで、自分の選択が正しかったという保証がほしい、安心したいという、不安の裏返し。
つまりみんな、主婦なのかWMなのか、どちらの選択をするにせよ、
どのみち「自分の選択はこれでよかったのか」と、常に不安におびえているということなのだ。
この点で、確信を持って生きている人は、たぶん少数派なんだろうなと思う。
なお、働いても子どもの影響がない とする調査には、私はちょっと疑問だ。
これは、問題ない という結論を導くためにその方向で調査した結果なのではないかという疑念がある。
とくに学力とかコミュニケーション能力よりももっと重要な「子どもの自己重要感に差はなかったか」の結果が抜けているのが気になる。
また、統計として全体を丸めてしまえば、イライラした母親と優れた保育園の保育者 を比較すれば子どもにとって優れた保育者と接する方がよいだろうと推定できるけれど、
実際には、おおらかな母親と、十分な教育を受けていない保育者 を比較しなければならない場合もあるだろう。
その場合でも差がないと本当にいいきれるのか、単純に数値で割り切れない問題があるだろう。
統計では、そのあたりが隠れてしまっている。したがってこういうものの判断は、
「私と私の子、私が通える保育環境という条件においてどうなのか」で考えなければならず、
統計などはまったく無意味であるといえる。

●家事育児を分担することの効果

・両親が子育てにかかわると子供に多大な好影響があることは、世界各国の調査で明らかになっている。過去40年間に行われたさまざまな調査により、父親が積極的に育児参加した子供は、そうでなかった子供に比べて精神的充足感が高く、認知能力もゆたかであることが繰り返し確認されている。父親がごくあたりまえの世話をするだけでもちがいは顕著に表れ、成長した子供の教育水準と経済的水準はともに上昇する一方で、非行に走る率は下がる。また、思いやりがあり社会的適性を身につけた子供に育つ傾向があるという。社会的・経済的な状況を問わず、また母親の育児参加が多いか少ないかにも無関係に、こうした調査結果が出ている。
・妻が世帯収入の半分を稼ぎ、夫が家事の半分をこなすようになれば、離婚率は半分に下がるという。
・家庭での責任を分担するカップルはセックスの回数が多い。なんだか直感に反する結果かもしれないが、妻をその気にさせる最善の方法は皿洗いをすることなのかもしれない。

前段の続きになるけれど、
そもそもこのように 父親(つまりは両親)が子育てにかかわると好影響がある という調査があるのだから、
両親がかかわらなくても(つまり母親が働いても)子どもの発育に影響がない という調査結果があるのは、矛盾だといえる。とても単純な理屈だ。
自分に都合のよいように統計を「解釈」するのは、子どもがかわいそうだ。

●チャンスを手に入れる方法

・自分にこう問いかけてください。怖がらなければ何ができる? そして、それをやりましょう。
・HPの社内調査によると、空きポストができたとき、女性は必要資格や条件を100%満たしていると確信しない限り応募しないという。これに対して男性は、60%程度満たしていれば堂々と応募してくる。このちがいがゆくゆくは大きな差になる。だから女性は、「自分はまだふさわしくない」と考えるのをやめ、「私はあれをやってみたい。きっとやりながら学んでいける」と考えるようにするほうがいい。
・2004年にメリルリンチの四人の女性エグゼクティブが月一回の昼食会を始めた。四人で集まって成果を共有し、悩みを打ち明け、ビジネス上のアイデアを話し合う。そして職場に戻ると、仲間の業績を宣伝し、賞賛した。自分の自慢はできなくても、人の自慢なら上手にできるという女性の特徴を生かしたわけである。その結果、四人は順調に昇進し、取締役や執行役員クラスに昇格している。女王蜂がいなくなって、ミツバチの群れは強くなった。

人は誰でも男性性と女性性を両方もっていて、どちらがより強いかということなのだと思う。
というか、欧米人に比べると、日本人は全体的に女性性が強いのかも知れない。
私は男性だけど、このあたりを読むと、ちょっと女性性が強いのかも知れないなと思う。
なので、このくだりは、とても参考になった。

●仕事を手に入れる方法

・最近では、チャンスがチャンスとして提示されないことも増えてきた。誰かがやって来て、自分はこれをやりたいとか、あれができるとか言う。するとそれが、その人の仕事になるのである。
・「フェイスブックで仕事がしたい。それで、初めはあなたに電話して、自分は何が得意で何がしたいかを話そうと思った。でも、それは誰でもやっていること。だから、こう質問しようと思う。あなたがいま抱えている最大の問題は何かしら。そして私にはそれを解決できるかしら」
・あなたの目標を達成するために私がお手伝いできることはありますか、と訊ねて回ったのである。すると誰もが以前より好意的に私を迎えてくれ、罵詈雑言もはるかに少なくなった。また「私にできることはありますか?」という姿勢で臨むようにしてからは、向こうも進んでお返しをしてくれるようになった。
・このときのエリック(googleのエリックシュミット)の答えは、これまで私が耳にした中でキャリアに関する最高のアドバイスだった。仕事を決めるときの基準は一つしかない、それは成長、それも急成長だ、と断言した。会社がハイペースで成長してれいば、いまいる人間がこなせる以上の仕事がどんどん湧いてくる。反対に会社が伸び悩んだり横這いになっていたりしたら、仕事は減り、人間のほうが仕事より多くなる。そうなると社内の空気は淀み、ごますりや駆け引きが横行し、士気は低下する。「もしロケットの一席をオファーされたら、どの席かなんて訊かないだろ。すぐ乗り込むはずだ」。
・職探しをするときは、準備がとりわけ重要になる。仕事を紹介してくれそうな人を探したり、人事権をもっている人に会いに行ったりする前に、まず自分がいったい何をしたいのか、はっきり理解しておかなければいけない、というものである。こうすれば、一般的な話で時間を無駄にせずに、需要のある職種や空きポストについてすぐに話を始めることができる。

これは、セールスの秘訣でもある。
秘訣というか大原則というか王道というか。
さすが。

●キャリアは「ジャングルジム・モデル」で考える

・一つの企業なり組織なりに就職し、そこで一本の梯子を上っていく時代はとうの昔に過ぎ去ったのである。キャリアは梯子ではなくジャングルジムだ。梯子には広がりがない。上るか下りるか、とどまるか出ていくか、どちらかしかない。ジャングルジムにはもっと自由な回り道の余地がある。梯子の場合、上りは一本道だが、ジャングルジムならてっぺんに行く道筋はいくつもある。ジャングルジム・モデルは誰にとってもメリットがあるが、女性にとってはとくに好ましい。これなら、就職、転職は言うまでもなく、外的な要因で行く手を阻まれたときも、しばらく仕事を離れてから復帰するときも、さまざまな道を探すことができる。ときに下がったり、迂回したり、行き詰まったりしながら自分なりの道を進んで行けるなら、最終目的地に到達する確率は高まるにちがいない。それにジャングルジムなら、てっぺんにいる人だけでなく、大勢が素敵な眺望を手に入れられる。梯子だと、ほとんどの人は上の人のお尻しか見られないだろう。
・私が言いたいのは、子育てのために仕事を辞めるのはその必要ができたとき、つまり子供が生まれたときだということである。その前ではない。まして何年も前ではない。実際に子供が生まれるまでの年月は、けっして後退りする時期ではない。前に進むべき大切な時期である。
・最も仕事を辞める確率が高い女性は、所得水準が最も高いか低いかの両極端に集中している。つまり、高所得の男性と結婚した女性化、低所得の男性と結婚した女性である。家庭にとどまる理由が両者でまったく異なるのは明らかだ。所得が少ない男性と結婚した女性の場合、保育費をまかなえるだけの仕事を見つけるのが困難だという事情がある。しかも保育日は年々増える傾向にある。所得の多い男性と結婚した女性が仕事を辞める理由はさまざまだが、重要な要因の一つは夫の労働時間の長さである。

私の周囲には、共働きとそうでない人が半々。
確かにこの所得水準でみる考え方は、そのとおりな気がする。

●メンターは探さないこと

・メンターはメンティーにアドバイス、サポート、フィードバックを与える。スポンサーは高い地位に就いている人物で、その影響力や権力を行使してメンティーを売り込む。具体的には現在の実力以上の仕事に推薦したり、昇進の後押しをしたりする。
・社会に出た多くの人がする質問「メンターになってくれませんか?」は、赤ちゃん鳥の質問と本質的に同じである。誰かがこの質問をしたら、返ってくる答えはたぶんノーだろう。正しいメンターと出会ったときには自ずとわかる。だから質問は質問にならず、赤ちゃん鳥と同じような宣言になる。「あなたがメンターだ」と。メンターになってくれる人を探し求めたり、メンターになるよう強要したりするのは、まずうまくいかない。この質問は、その場の雰囲気を台無しにする。デートの最中に「ねえ、いま何を考えているの?」と訊ねるようなものだ。
・「私がメンターになるのは、誰かに目を留め、あの子が成長するのを見届けたいと思ったときだけ」
・メンターがいくら大事だとはいえ、ほとんど初対面の人に「メンターになってくれませんか?」と頼んだところでおそらく無駄だろう。強い結びつきは、こつこつと積み重ねてきた人と人との本物の関係から生まれるのであって、それは両方が同時に感じ取ることが多い。
・メンターとメンティーの関係は、見かけより持ちつ持たれつであることが多い。もともと両者が同じ会社で働いている場合には、とくにそう言える。メンティーの側がより直接的な支援を受けられる一方で、メンターの側にも、有用な情報がもらえる、より多くの献身を引き出せる、より達成感を味わえる、など少なからぬメリットがある。

ここでも、メンターについて重要な真実を書いてくれる人がいた。
メンターを探せ とか メンターを見つけろ という風潮をつくったのは誰なんだろう。
「弟子入り」みたいな形も、今ではほとんどありえないんだろうな。
男性同士であれば今でも多少はありなのかも知れないけれど、
とくにフラットな関係を望む女性の世界では、やっぱりありえない形。

●女性が誰かと交渉するときは

・「グローバルに考えローカルに行動せよ」とよく言うが、交渉の席に着くときには「自分のことを考え全員のために行動せよ」がよい。
・指示代名詞は重要である。できるだけ「私」の代わりに「私たち」を使うといい。昇給を求めるときも「私は今年大きな成果を挙げることができました」よりは「私たちは今年大きな成果を挙げることができました」のほうが好意的に受けとめられる。
・好印象を与えつつも主張すべきは主張しなければならない。ミシガン大学学長のメアリー・スー・コールマンはこれを「にこにこキッパリ」スタイルと表現する。このスタイルを実践するときは、たびたびほほ笑む、賞賛や気遣いを示す、共通の利害に訴える、より大きな目標を協調する、対決するのではなく問題解決のために交渉する姿勢を示す、といったことが有効だ。
・さまざまな調査によると、一般に、男性のほうが女性より交渉を選ぶことが多く、その結果として多くの実りを手にしている。だが交渉の状況によってはちがう傾向も認められる。「交渉」ではなく「お願い」であれば、性差はなくなるという。また、自分のためでなく他人のために交渉する場合には、女性はがぜん力を発揮するという。

にこにこキッパリ 原文ではなんと書かれていたのかが気になる。
そしてこのNOの態度は、私もぜひ学びたい姿勢だ。

●言いにくいこを言う時のコミュニケーション

・私と弟妹は、ごく小さい頃から、口喧嘩をするたびに「お互いに相手の鏡になりなさい」と母に教えられた – いや、命じられた。つまり、反論する前に相手の言葉を繰り返し、理解したことを示さなければならない。…母は私たち二人を向かい合わせに座らせる。そして私は、妹の気持ちを認めるまでは、ロリポップの分配が不公平だったという反論をしてはいけない。相手の論点をくりかえすことで、彼我の意見の相違が明確になり、それが議論の出発点となる。誰だって自分の意見を聞いてもらいたいと思っている。そして、こちらがちゃんと聞いていることを示すだけで、誰もがよい聞き手になれるのである。
・私の見方(私の真実)があれば、相手の見方(相手の真実)がある。これを理解することこそが円滑なコミュニケーションの第一歩だ、ということである。唯一絶対の真実などまず存在しないのだから、自分だけが真実を話していると思い込んでいる人は、他人に黙れと言っているのと同じことになる。自分は自分の視点からだけものごとを見ているのだと気づけば、自分の見方を相手に無理強いすることはなくなるだろう。そして「私はこう思う」という形で、より建設的な意見表明ができるはずだ。
・「あなたは私の提案をぜんぜん真剣に考えていませんね!」と「ここ四本のメールに返事がないので、当惑しています。私の提案はあなたにとってさほど重要でなかったのでしょうか」を比べてほしい。
・相手の感情を慮ることが必要だといっても、真実を伝えるときにレトリックは無用である。オフィスでの会話は、オブラートにくるまれていたり、仮定や前提がごたごたとついていたりして、ポイントがぼやけるどころか、何を言いたいのかさっぱりわからないことがめずらしくない。他人を、とりわけ上司を怒らせるのを恐れるあまり、直截な表現を避けるからだ。
・言いにくいことを言うときには、ユーモアがすばらしい効果を発揮する。最近行われた調査では、有能なリーダーの形容として「ユーモアのセンス」が最もよく使われることが判明した。

こういう子育て、いいなと思った。
私も、娘や息子に、この接し方をしようと、思った。
これはいい。

●専業主婦が夫に求めていること

・外で働いている父親の大半は、日がな一日大人と接しているのに対し、家にいる母親は、夜になるまで大人と話すことができない。彼女の切なる願いは、夫が帰宅したら、自分のことを話し出す前に「今日は何かあった?」と訊ねてくれることだ。
・「どんな仕事があなたにとって重要か」を訊ねる調査では、40代の男性は「やり甲斐のある仕事」が最も重要だと答えることが多いのに対し、20代と30代の男性は「家庭と過ごす時間がとれるような仕事」を選ぶことが多い。この世代が年をとってもこの傾向が続くなら、大きな変化が期待できそうである。

●男性が協力をしなくなる理由

・多くの女性が、うかつな一言や不注意なふるまいで夫のやる気を削いでいるように思う。こと家事や育児となると、女性は口を出しすぎたり、厳しい要求をしすぎたりすることが多いのではないだろうか。社会学者はこれを「母親の管理者意識(maternal gatekeeping)」とか「家庭責任意識」と呼ぶ。これは要するに、「あらあら、そんなやり方じゃだめ! ちょっとどいて、私がやるから」という行動に駆り立てる意識の総称である。
・子供のことになると、父親は何かにつけて母親の様子をうかがうことが多い。だから母親の出方次第で父親は積極的に育児にかかわるようにもなれば、やる気をなくしてしまうことにもなる。母親の責任意識が強すぎて、父親に任せるのを渋ったり、やり方にけちをつけたりするようだと、だんだん家事や育児に参加しなくなってしまう。
・ある調査によると、管理者然としてふるまう妻は、より協力的なアプローチをとる妻に比べ、週五時間もよけいに家事・育児を引き受けているのである。

この管理者意識は、妻が夫に対するときの話だけではなく
母が子どもに対するときや、女性上司が部下に接するときの話 という意味でも同じ。
この手の話は、マネジメント本を何冊か読めば解決できる問題なのにと思う。
ただ、もしかするとそのマネジメント本が男性向けに書かれているから、読む気がしないのかな。
でもそれをするだけで夫が協力的になってくれるなら、こんなにいいことはない。
もったいないなぁと思う。

●その他

・2009年に行われた調査では、フルタイムで働く母親は働いていない母親に比べて余暇活動(テレビ視聴、地域の活動、社交など)に当てる時間が少なく、合計で週10時間も余暇時間が少ないことがわかった。一方、妻がフルタイムで働いている夫と、そうでない夫を比較したところ、余暇時間にはほとんど差がなかった。
・シリコンバレーでは大方の企業がそうだが、グーグルでも勤務時間は決まっていなかったし、会社で働こうが家で仕事をしようが自由だった。とはいえ設立間もない頃は、24時間ぶっ通しで働くことを奨励するような文化が根付いていた。
・よほど重要な会議でもない限り、私は敢然と退社した。そして、やっとみればできたのである。

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