子ども部屋に侵入したゲーム、ネットという麻薬!
子どもたちの笑顔を取り戻すために
子どもが幼稚園にいくようになって、
テレビの話題がチラホラ出てくるようになった。
ここで改めて、テレビやゲームの影響ついて理解しておこうと思って手に取った。
受動喫煙が問題にされているように、テレビの受動視聴の影響も早く認識される世の中になってほしいなと思う。
また少なくとも、パチンコや競馬の入場制限や、タバコにおけるタスポのように、ゲームの購入に年齢制限を設けるぐらいで、ちょうどいいと思う。
以下付箋をはったところ。
●悲惨な犯罪の増加理由
・ある調査では、小学校を終える段階で、子どもたちは八千件の殺人と十万件の暴力行為を「目撃」していると言われる。平均的なアメリカ人の子どもは、十八歳になるまでに、少なくとも暴力的なシーンを二十万回、殺人を四万回目撃するという。暴力的な映像に関して、もっと規制の甘い日本では、おそらくそれを上回るであろう。そうした体験は、すべて幼い子どもたちの心に刻み込まれ、蓄積されていくのである。
・六~八歳までの段階では、現実と仮想の区別はまだ曖昧である。だが、九~十歳頃から両者がきちんと区別されるようになり、仮想に対する批判的な眼も育ってくる。ところが、これまで述べてきたケースのように、十代も半ばになっても両者の境目が曖昧で、仮想で学習したことを、そのまま現実だと鵜呑みにしたり、現実の中でも実行してしまうことが頻発している。それは、年齢相応の現実感の発達が損なわれているということである。
・八歳の時点で、テレビをどれくらい見ていたかによって、三十歳までに犯した犯罪行為の程度を予測できたことである。三十歳の時点での攻撃性の強さは、今の時点でどれだけテレビを見ているかよりも、八歳の時点でどれだけテレビを見ていたかに大きく左右されたのだ。
・これまでに、メディアと暴力的な行動の関係を調べたものだけでも、数千の研究が行われている。それらのうち、およそ98%の研究は、メディアと暴力的行動に因果関係を認めている。そして、2%足らずの例外的な結論を導き出した研究のうち、半数以上はメディア産業から資金を提供されたものであったという。
・オペラント条件付けは、一定の刺激に対して一定の反応が起こるように訓練することで、思考や感情に影響されない、反射的な反応回路を作ってしまうのである。オペラント条件付けが成功すると、一定の刺激に対して一定の反応が即座に起きるようになる。躊躇いや葛藤が入り込む余地がなくなる。
・タブーを乗り越えるもう一つの方法は、系統的脱感作というもので、これは、脳に組み込まれた禁止プログラムを解除するのに、ことに有効である。元来は、恐怖症や強迫性障害の改善のために生み出された技法である。
・殺害に対する禁忌という、もっとも強力な禁止プログラムの解除は、このオペラント条件付けや系統的脱感作が、長期間にわたって行われた場合においてのみ達成できるのである。
既に、メディアの影響によると思われる犯罪が増えている。
安全な国といわれていた日本、自分の子どもが大人になる頃が心配だ..。
●幼少期のテレビによる影響
・事件の報道にしろ、サスペンスのドラマにしろ、人間の醜悪さ、卑劣さ、信用できなさばかりが濃縮され、強調された形で伝えられることになる。そんなことばかりが現実に起きているわけでなくても、ニュースバリューがあるものや、人々の興味を惹くものを取りそろえれば、人間やこの世界のすばらしさを伝える内容よりも、悲観的な見方になる材料ばかりが行列をなすことになる。ましてや、そうしたおぞましい内容に、小さな子どもたちまでもがさらされるのである。
・ハーバード・メディカル・スクールのアルヴィン・プゥサン教授は、子どもを暴力的な映像にさらすことは、事実上、肉体的、性的暴力や戦闘地域で暮らすことと大差がない虐待であるとし、その危険に警鐘を鳴らしている。
・幼い頃から刺激の強い映像に触れさせることは、扁桃体 – 内側前頭前野に異変を起こし、共感性や社会性に異常をきたしやすくなる危険が危惧されるのである。
・異常性愛のケースでしばしば原因として指摘されているのは、幼い頃に最初に強い性的興奮を味わったものによって、その人を生涯支配することになる性的執着が生じるということである。
・スクープ物の報道番組や潜入取材番組などでは、さらに歯止めがかからなくなっている。目の前で事故や事件が起き、箸を動かしながらその光景を眺めている。人が戦争で殺されたり、銃で撃たれたりするさまを見ながら、平気で食事をする状況は異様である。そのことにさえ、人々は無感覚となり、たいして気にもとめなくなっている。その一方で、まだ神経の感受性を保っている人々は、ニュース報道を視ていると、気分が悪くなるので、他のチャンネルに変えるとか、最近はテレビを視ると、いやな気分になるので、テレビをやめてラジオにしているという話も時々聞く。
・ワシントン大学の小児科医のチームは、一歳と三歳のときにどれくらいテレビを視たかを調べ、その子どもたちが、七歳になった時点で、注意力の評価を行った。すると、一歳、三歳の時点でテレビによく接していた子どもたちは、注意力に問題を多く示したのである。
・幼い頃にテレビをどれくらい視ていたかが、大人になってからの攻撃性だけでなく、子どもをより厳しく罰する傾向にまで影響を与えたのである。赤ん坊や幼い子どもを虐待してしまうという行為さえも、その人が意識していない暴力的な行動パターンが、脳の奥深くに植え付けられていて、理性の働きが鈍った瞬間に、それが行動に移されてしまうせいかもしれないのである。そうした暴力シーンを、その人は見た記憶さえなくても、幼い頃にそうしたものに触れれば触れるほど、衝撃的な記憶となって脳に刻み込まれてしまう。危険で、残酷な映像が氾濫している今日、お茶の間にいてさえも、幼い子どもがそうした場面を見てしまう状況におこれている。その危険性について、気にとめる人さえいい。親たちさえ、そうしたものに麻痺しているため、起こっていることの危険に気づかないのである。
・自分も知らないうちに見せられたものによって、自分の行動が支配されるということは、まったく不条理なことである。
我が家ではほとんどテレビをみない。ニュースも上記のとおり偏向された世界の状況をうつしているから、みない。歌番組が少しと、おさるのジョージぐらいだろうか。大人がみている姿を見せていない。問題は、それぞれの実家に言ったときや、外に出たとき。「子どもの前でタバコをすわない」のと同じように、早く、「子どもの前でテレビをみない」のが常識になってほしいなと思う。
●ゲームの中毒/依存性は麻薬やギャンブルと同じ
・ビデオゲームのプレイによる脳内のドーパミン・レベル上昇は、他の研究によっても追試され、その程度は、スピードのような覚醒剤やリタリン(中枢刺激薬)を投与したときの増加量に匹敵するとの報告もある。毎日長時間にわたってゲームをすることは、麻薬や覚醒剤などへの依存、ギャンブル依存と変わらない依存を生むのである。
・麻薬にしろ、アルコールにしろ、さらには、ギャンブルやゲームにしろ、嗜癖の対象は異なっていても、脳の中で依存が形成されるメカニズムは共通
・子どもにLSDやマリファナをクリスマス・プレゼントとして贈る親はいないだろう。だが、多くの親たちは、その危険性について正しく知らされずに、愛するわが子に、同じくらいか、それ以上に危険かもしれない麻薬的な作用をもつ「映像ドラッグ」をプレゼントしていたのかもしれない。実は、同じような失敗が、過去にも何度かくり返されている。最初のうち、メリットばかりが知られたため、急速に使用が広まったものの、その後、依存性や副作用の問題が表面化し、社会問題になったというケースである。そうした例としては、古くはアヘン、十九世紀末にはコカインブームがあり、戦後間もない頃に大流行したのが覚醒剤(ヒロポン)である。コカインがヨーロッパ社会に広まりだしたとき、この魔法の薬は、人々を精神的な苦痛から解放し、万人に無条件の幸福をもたらす福音のように誤解され、歓呼の声とともに受けいれられた。知識人や上流階級を中心に、大きなブームとなる。
一方、戦後ヒロポンの名で広まった覚醒剤は、打てば途端に元気になり、眠らなくても活動し続けることができる「スーパーマン」の薬として流行すると同時に、やせ薬として、女性の間でも人気を博した。一般人だけでなく、知識人や医療従事者も抵抗なく手を染めた。
そして、今度は高度に進化したゲームが、同じ過ちを犯している危険が高いのである。
・ゲームは再考の叡智を傾けて、中毒を起こしやすく設計された、一種の「合成麻薬」『タイム』誌によると、ビデオゲームにこうした麻薬的な依存性があることは、ゲーム開発者の間では公然の秘密だという。ビデオゲームは、すべてアドレナリンを出せるかどうかにかかっている。
・瞬目率 昔からある広告代理店業界の秘伝で、広告が目を惹くものであれば、人は瞬きをしなくなる。同じことで、ゲームに入り込むと、アドレナリンが放出され、瞳孔が開いて瞬目率が下がるのだ。ゲームに熱中しているゲーマーに起きることも、薬物中毒でラリッている状態に、この点も似ている。
・「時間を守って使用しましょう」という但し書きをつけたからといって、生じている被害に対する責任を逃れられるわけではない。そうした但し書きは、依存形成の仕組みをまったく無視した、無責任な弁解である。麻薬を売るのに、やりすぎるなよと言っているのと同じことである。所詮、麻薬はどんなに少量から始めようとも麻薬に変わりはなく、手を染めたが最後、悪魔の餌食となるのである。
・ゲーム依存を加速していることが危惧されるのは、携帯用のゲーム機である。絶えずやり続けられる状況は、アルコールや薬物を四六時中常用するようなもので、依存の危険をさらに高めていくことが予想される。
・テレビなどの映像メディアに視聴者が虜にされてしまう理由の一つは、「定位反応」と呼ばれる本能的な反応によると言われる。定位反応とは、急に動く視覚的刺激に対して、思わず動きを止めて、注意を凝らしてしまう一種の反射である。人間がまだ類人猿だった時代から、外敵から身を守るために組み込まれているプログラムである。ズームやカメラの移動、素早い場面転換、突然の大きな音といった技法は、この「定位反応」を誘発し、見るものを画面に釘付けにしてしまう。テレビであれ、ビデオ(映画)であれ、ゲームであれ、この生理的な反応を巧みに利用し、嗜癖性を高めている。
・親の方は、それまで何事にも集中したり、根気よく取り組めなかったのに、何時間でも熱中してやっていることを、むしろ肯定的に考えることも多い。集中力や根気がついたように思うのである。しかし、脳の中で起きている事実を客観的にみると、飽きっぽく、仕事も長続きしない大人が、ギャンブルに熱中し始めたことを喜ぶようなものである。麻薬的に作られたものにのめり込むことと、本当の根気や集中力とは意味が違うのである。
・テレビゲームをすることも、覚醒剤を注射することと同じように、ドーパミンのリリースを引き起こす。情報刺激は、物質的な刺激と同様、脳の中では、結局同じ神経伝達物質の濃度上昇という生化学的信号に変換される。情報処理システムである脳にとって、入力が物質的な刺激であろうが、感覚的な情報刺激であろうが、結局同じなのである。情報という感覚的な刺激が溢れた、この世界においては、物質異常に情報が、脳にとってははるかに有害で危険な脅威となるのである。
・ホモ・サピエンスの脳は、現実に似せて高度に加工された仮想と本来の現実を充分に区別できない。物質が情報に置換された、「情報文明」化した社会においては、物質が肉体に有毒となりうるように、情報は脳にとって物質以上の毒性を発揮しうる。さまざまな化学物質や放射能、電磁波がわれわれの肉体を脅かすように、情報が脳を脅かしているのである。
・レントゲンによって、X線が初めて発明されたとき、人々はおもしろがつて、自分の骨を映し出し、自分の身体を透かしたりした。この新発明が白血病やガンなどの恐ろしい病魔を引き起こすことが知られるようになったのは、無防備にX線を扱っていた人たちが、次々に白血病に倒れてから後のことである。人々がX線の怖さについて無知だったように、われわれも、高度に加工された感覚的情報の怖さを十分に認識しているとは言えないのである。
・ゲーム産業の側から見れば、幼いユーザーを獲得することは、末永く利用してくれる固定客を獲得することにほかならない。しかも、こうしたコアなユーザーは、ゲームの強い擁護者であり、支持者でもある。早い段階で、「洗脳」して「信者」にしてしまうようなものである。
・退屈したり、寂しくなったら、すぐににテレビをつけたりゲームをして、無聊や孤独を慰めてもらうという生活パターンは、寂しさや孤独をアルコールやドラッグで紛らわすことと同じなのである。
・ささやかな楽しみが楽しみとして感じられることこそが、幸せの本質なのである。ハラハラドキドキする興奮に我を忘れることにしか、心の解放を味わえなくなる状態は、まさに刺激中毒が起きているということなのだ。
ゲームが麻薬認定されるには、まだかなり時間がかかりそうだ。
とすると、脳に与える影響を最小にするために、ProxyなりFirewallなりをつくらなきゃと思う。
そんなツールを開発しようと思う。
●その他映像メディアの悪影響
・メラトニンの働きの一つは、性的な成熟を抑えることであるが、もう一つは睡眠を促進し、睡眠と覚醒のリズムを維持することである。つまり、夜も明るい環境で過ごす現代人の生活は、性的早熟や不眠を生じやすいと言える。
・ゲームが子どもたちの社会的成長に及ぼす影響を考える場合も、二つの影響を考慮しなければならない。一つは、ゲームで遊ぶこと自体が、子どもの心や脳の発達に及ぼす影響であり、もう一つは、ゲームで遊ぶ時間が増えることにより、子どもが友達と交流する遊びの中で、社会的なスキルを高め、共感性や他者に対する配慮や常識を身につける機会を奪うことの影響である。
●ゲーム依存しやすい環境
・幼い頃の愛情不足とゲームやネットへの耽溺が結びつきやすいと言える。この結びつきは、ネットよりもゲームで強かった。
・活発で、友達ともよく遊ぶから、うちの子は大丈夫と考えるのは、浅慮と言わざるを得ない。そういう子ほど、好奇心旺盛で、早い時期からゲームやネットなどにも興味を示し、新しい刺激に熱中し、その結果、重度の耽溺を形成してしまう危険もひそんでいるわけである。むしろ低年齢の段階で用心すべきは、好奇心旺盛で、活発で、注意が移ろいやすく、落ち着きのない子である。こうしたタイプの子は、新しい刺激を求めて、ゲームであれ、他のメディアであれ、どんどん利用をエスカレートさせやすいのである。
・偏食の激しい子では、こだわりが強い傾向だけでなく、冗談や皮肉をまともに受け取ったり、思い通りにならないと癇癪を起こしやすかったり、イライラしやすく、かっとなりやすいといったストレスに対する耐性の低さも認められた。こうした傾向ゆえに、対人関係においても柔軟に対応するのが苦手となりやすい。その分、自分の思い通りになるゲームやネットにのめり込みやすいと考えられる。
・映像的なメディアは、発達障害をもっている子に、ことに悪影響を及ぼしやすいのではないかという強い懸念
好奇心旺盛なうちの子だって、安全ではないのだということを、
理解しておきなきゃならないと、再認識した。
●ゲームによる前頭前野の機能低下
・ゲームの前頭前野機能への影響については、これまで日本で行われている研究では、使用中の脳の機能を調べたものが少数あるだけで、しかも、非常に短いタイムスパンでしか調べられていない。長期間の使用による影響こそが恐ろしいのである。
・薬品や食品による副作用や健康被害を論じるのに、摂取してもなんでもない人が100人中99人であろうと、一人の人に重篤な問題が生じれば、その薬品や食品は「安全でない」のであり、ただちに回収されるなり、厳重な管理の下でのみ使用を許可されるのである。ゲームであれ他の映像メディアであれ、それらは、脳に対する「薬品」であり「食品」なのである。
・ゲームを一日四時間以上する中学生は、小学校に上がる前にゲームを始めたという子が54%を占め、プレイ時間が一時間程度までの中学生に比べて、開始年齢が有意に早かったのである。
・落ち着きがなく注意が散漫という特徴は、前頭前野機能が未熟であることと関係している。こうした子どもは、行動を抑制するのが苦手で、衝動性や欲求をコントロールするのも苦手である。また、注意の散りやすい子は、強い刺激のものを追い求める傾向がある。・すべて昨今の若者たち全般について、散々指摘されていること : 著しくなれば「前頭前野症候群」の症状そのもの
「感情のコントロールが苦手」
「対人関係が苦手」
「人付き合いが表面的」
「友達といるより一人でいる方が楽」
「自分勝手」
「我慢ができない」
「順番が待てない」
「黙っていられず、すぐおしゃべりする」
「無気力、無関心、無感情である」
「本当は何をしたいのかわからない」
「すぐ人のせいにする」
「自分の楽しいことしかしない」
・テレビゲームを被験者にやらせて、前頭前野の活動を機能的MRIやPETによって調べた実験では、速いスピードが要求されるものほど、ゲームに熟練すればするほど、ゲームに熱中すればするほど、前頭前野の活動は低下し、視覚野などに活動領域が限局される傾向がみられた。反射的な反応が必要なゲームでは、「考える」中枢である前頭前野が関わるよりも、前頭前野の「判断」抜きに、瞬間的な反応を起こすことが求められるようになり、前頭前野を素通りした回路が形成、強化されていくと考えられる。
テレビもゲームも、暴力的なものや性的なものを避ければいいという錯覚をもっている人が多い。しかし、コンテンツだけに注意すればいいのではない。それは、良質のLSDならよいといっているようなもので、意味がない。依存性や、脳機能の低下の方も、大問題なのだ。
●メディアによる幼児化/サイコパス化
・六~八歳の子どもの特徴として指摘できる傾向 : 「全体対象関係」の失敗
1) 現実と空想の区別が十分でなく、結果の予測能力が乏しい
2) 相手の立場、気持ちを考え、思いやる共感能力が未発達である
3) 自分を客観的に振り返る自己反省が働きにくい
4) 正義と悪という単純な二分法にとらわれやすく、悪は滅ぼすべしという復讐や報復を正当化し、その方向に突っ走りやすい。
5) 善悪の観念は、心の中に確固と確立されたものではなく、周囲の雰囲気やその場の状況に左右される
・IQが高くても、眼窩上部や腹内側部の機能に問題があると、行動や感情のコントロールや共感性、社会性の部分で問題を引き起こしやすくなる。衝動的な攻撃性や無責任な行動が出現しやすくなり、非行や反社会的行動につながる場合もある。長期的には不利益とわかっていても、短期的な利益を得ようとして、それに見合わないほど大きなリスクを冒してしまう。「我慢強さがなくなったというより、我慢しようという意志がなくなったようです」
・キレやすい三つのプロセス
1) 些細な注意や言葉を、すぐ自分に対する攻撃や非難として受け取ってしまう認知の問題
2) そこで生じた嫌悪や怒りといった情動をコントロールすることの失敗
3) それによって引き起こされた暴力や暴言に対する抑制の失敗
「キレる」という特性は、前頭前野の機能の問題を反映している。(扁桃体の反応をコントロールできない)
日本人が幼児化しているという話をよくきく。それはたぶん、この国がとくに情報に甘い国であることと、メディアリテラシーが低いことが、たぶん関係しているのだろうと思った。
●その他
・生物学の原則の一つに、固体の密度が増すと、子孫を残すことや子どもの世話に無関心になり、同種間の争いや自滅的な行動を誘発しやすくなるという現象がある。
●対策
・一日三時間という時間は、年間に直せば、約一千時間だ。小学校から中学校までやり続けたら、一万時間だ。それは、小学校と中学校の九年間の授業時間を合わせたものよりも多い。大学の四年間の講義時間などは、せいぜい二千時間である。
・メディア・リテラシーを養う教育には、メディアという「食事」をバランス良く摂る習慣を身に付けさせることから、批判的に情報を受け止める技術を訓練すること、さらには、その背後にある目的や利害にまで目を向け、その情報の真価を見極める力を培うことまでは範囲に入る。
・メディア依存 そうした状況を作り出してしまう原因の一つは、ある思い込みによる。それは、退屈させることが悪いことであるという思い込みである。子どもを退屈さることが悪いことだと思ってはいけない。むしろ、逆である。子どもをほどよく退屈させることは、心の発達にとっても必要なのだ。退屈し子ども自身が何かをしようとすることが自発性の原点なのである。その萌芽を妨げないことだ。退屈した子どもは、手近なもので遊んだり、絵を描いたり、本を取り出して眺めたりするようになる。自分自身で行う試行錯誤が、子どもの主体性や能動性を育む上で大切な役割を果たすのである。
・宗教的な場所にしろ、修練のための場所にしろ、そこには共通点がある。過剰な刺激と情報から守られた静寂があるということだ。それによって、過剰ではなく、ほどよく不足した状態が生まれること。
・テレビがある生活とない生活の違いは、一日の体感時間がまるで違う。テレビがないと、一日がとても長く感じられる。いっぱいいろんなことができる。一日一日が、とても違った日に感じられる。
退屈とは何か、遊びとか何か、そんなことを思いながら、改めて、我が子の時間の使い方にいて、ながめてみようと思った。
子どもの時間の流れ方は、大人の時間の流れ方とは、違うのだ。