神様に選ばれるただひとつの法則

人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」

自己PRやプロパガンダに関する本。
今までモヤモヤしていた、マーケティングとPRの決定的な違い、
それが理解できたことは大きい。
最後の鍵という感じ。


●商用PRと政治/宗教PRの違い

・プロパガンダが宣伝力ならば、選挙PR、宗教PR、商業PRのすべてがプロパガンダに当てはまります。
・日本の選挙PRは非常に遅れていました。やはり戦前のプロパガンダに対する反発でしょう。しかし、宗教PRだけは、戦後の”去勢”を免れました。したがって、日本の宗教PRのレベルは世界的に見てもヒケをとらず、その手法も先進的です。グローバル・スタンダードからみても遜色は全くありません。
・政治PRと宗教PRはそんな生易しいものではありません。ある人物がその候補者に投票したり、その宗教の信者になりたいと、絶対に思っていなくても、こちらから働きかけることによって、投票したり、信者になるように持っていくようにPRしなければならないからです。商業PRは消費者が最初から買いたいと思っているものを買わせる。一方、政治PRと宗教PRは最初はそう思っていない人に投票したり、信者になるように仕向けなければならないのです。
・いわば選挙PRとは候補者による有権者への”啓蒙活動”なのであり、迎合型とは明確に区別すべきなのです。

顧客の気持ちに共感、トランスして悩みを解決したり欲求を満たすのがビジネス。
プロパガンダは、迎合ではなく啓蒙だということだが、それはたぶん、リーダーシップを意味する。
しかし、Jayは、マーケティングとはリーダーシップだと言った。
結局のところ、ホンモノのマーケティングなら、プロパガンダとなんらかわらないのかも知れない。
つまり、リーダーシップに基づた確信によって、啓蒙と提供がイコールになるようなもの。
それこそが、自分がやりたいことなのだったのだと気づいた。
自分が躊躇していたのは、これが理由だと、気づいた。
ただ悩みや欲求を煽ったり気づかせたりして提供するものだと、やる気がでないのだ。
たとえ悩みを解決したり欲求を一時的に満たしてあげても、
それが本質的に顧客のためにならないという感情が、自分のマーケティング意欲をそいでしまっていた。
本質的に顧客のためになるような提供ができれば….
たぶん自分にも、できる。
●プロパガンダの重要性

・公開討論会で重要なのは相手候補に議論で勝つことではなく、あくまでも候補者としての自分の高感度を有権者に高めるアピールをすることです。そこが「ディベート」と「ディスカッション」の違いなのです。「ディベート」は議論で相手に勝たなければなりませんが、「ディスカッション」はどの候補者が観客に好感度を与えるかが勝負なのです。
・人を説得、納得させるのには、”交渉術”以上に”聴衆”へのプロパガンダが重要となってくるのです。交渉術は、その限られた空間内でしか通用しない場合が多いからです。決定権者が一人である場合を除き、参加者=有権者と考えれば誰に向けてメッセージを送り続けなければならないのか、ターゲットが誰なのか?ということがおのずと見えてくるはずです。つまり、決定権者が第三者の場合、その第三者から評価される気配りをすることが最も重要です。これができれば、あなたも”議論の達人”になれるのです。
・女性は化粧をして外に出て、寝る前に化粧を落とします。つまり、毎日、最も美しい自分を演じているともいえます。実は、これはとても大切なことで、「どこで誰と会うかわからないから外見力を高める」というのは男性にも必要なことなのです。
・「心の化粧」性格を変えるなんてことはできるわけがないと思った方がいいでしょう。自分を人に対して良く魅せるという努力をすることが重要なのです。何回も繰り返し演じていけば、いつの間にか演じていた役が本当の自分に変わることもあるのです。
・外見力が身につくトレーニング
1.自分が一番すてきに写っている写真を、自分を愛している人、親しい人に選んでもらう
2.その一枚A4のカラーコピーを目に見えるとところに貼りまくる
3.その顔と同じ顔をする、出す練習をする

これは戦術と戦略の話と同じ。
局地的な勝利はには何の意味もない。
自分は、細かい議論の勝敗にこだわってしまう傾向があるから、
気をつけなきゃ。
●プロパガンダテクニック

・Issue調査 → TheQuis 「さぁどっち」
・ネガティブ・キャンペーンとは、ウソを並べ立てて一方的に攻撃するものではなく、相手に反論のチャンスも与え、事実を基に相手を攻めていく手法なのだということです。
・アドルフ・ヒトラーやヨゼフ・ゲッペルスのプロパガンダが成功を収めたのも、一つには彼らの演説の中での言葉の持つ力が非常に大きかったからです。選挙の演説では聴衆は政策の中身は聞いていませんが、印象に残るキャッチコピーはよく覚えているのです。
・オバマに反対する勢力は、バラック・オバマではなくフセイン・オバマとあえて呼んでいます。いうまでもなくフセインという名前からは、あのイラクの独裁者だったサダム・フセインを連想させると同時に、実際には本人はキリスト教徒にもかかわらずイスラム教徒ではないかという連想も起こさせるからです。

やはりヒトラーの我が闘争も読んでおきたい。
今度買おう。

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