人生で起こることすべて良きこと

逆境を越える「こころの技法」
そう思い定めるとき道は拓ける
人生の岐路で気づきを得る「50の言葉」

田坂さんの書かれる本はそのどれもが、
厳しく、深く、心に響く。
人生の節目で、そしてあるいは何かに悩んだ時に、読み返す道標。
中でも今回のこの本は、
今まで読んできたどの書籍よりも感動した。
有り難うございます。

⚫️志や使命感という軸

・「正対」するとは、一つのことを、心に定めることです。人生で起こること、すべてに深い意味がある そのことを、心に定めることです。
・一つは、出来事の「解釈」において、「解釈の軸」を持つことの強さです。そもそも、人生で起こった出来事を「解釈」するとき、そこには、様々な「解釈」があり得るのです。それらの様々な「解釈」の中で、一つの「解釈」を選ぶためには、その解釈の「基準」や「軸」を持つことが必要なのです。そして、「志」や「使命感」を持つということは、その「解釈」のための確固たる「基準」や「軸」を持つということであり、それが、「解釈を過たない」とう結果につながるのです。従って、その「志」ゃ「使命感」、すなわち、「基準」や「軸」が明確であり、それが揺らぐことが無ければ、仮に、この人物が、この事業を大きく方向転換するという選択であったとしても、この事業から撤退するという選択であったとしても、構わないのです。
・その「魂の強さ」とは、身につけようとして、つくものではないのです。敢えて言えば、それは、深い「使命感」を抱いたとき、自然に身につくものなのです。なぜなら、まさに、「使命感」とは、「大いなる何かに導かれている」という感覚のこと だからです。

ではその、志や使命感は、どうやったら生まれてくるのか、という次の質問が出てくる。これについて別のところで確か、社会起業家に関する話としてだっただろうかあなたの原体験は何か という話があった。ワクワクに従って自然に自分を動かしていくということは、原体験に基づく使命感に帰っていくというところで、きっと融合する。そういえば、ソースのワークショップでも原体験を棚卸しするようなそんなワークがあったように思う。そして、このワクワクがそういう種類のものであれば、たとえ、心が望む方向に自然に動いたとしても、「刹那の欲望と混同して迷い込む」などということは、起こるわけがない。

⚫️内省日記

・私は、高校時代から民間企業での若手社員の時代まで、かなり長い時間、その「内省日記」を書いていました。そして、この日記を書き続けたことによって、自然に、自分の中に「静かで賢明な自分」が現れ、その自分と対話をする習慣が身についたのです。
・このとき、避けるべきは、表面的に飾った「綺麗ごと」を書くことです。例えば、心の中では、「彼とは、もう口も利きたくない!」という生々しい感情が渦巻いているにもかかわらず、「今後、彼との交流は控えたい」といった形で、表面的に飾った表現をしてしまうことです。それをすると、心の中で、無意識に「感情の抑圧」が起こってしまい、その感情と向き合うことができなくなります。
・この「内省日記」とは、ある意味で、「セルフ・カウンセリング」とも言える技法です。心理カウンセリングでは、まず、相談者(クライアント)の生々しい感情や思いを、批判も批評もせず、ただ心の深いところで聞く、すなわち「聞き届ける」ことから始まりますが、これは、いわば、「内省日記」における「感情の開示プロセス」です。そして、心理カウンセリングでは、相談者が、自分の生々しい感情や思いを吐露した後は、徐々に、自分の感情や思いを冷静に見つめることができるようになっていきますが、そのプロセスが進むと、別な感覚や思いが浮かび上がってきます。これは、「感覚の浮上プロセス」です。そして、カウンセリングが進むと次第に、相談者は、自分が抱えている問題の「意味」を感じ取るようになっていきます。これが、「意味の結晶プロセス」です。
・「自分での健康管理」ならぬ「自分での心の健康管理」むの技法がほとんど普及していない現代社会においては、この「内省日記」の技法は、もっと多くの人々に広がっても良いかと思います。できれば、強い自我が芽生え、自意識が深まっていく高校生ぐらいの年齢で、この技法を教えるということがあっても良いのではないでしょうか。いずれの技法を使うとしても、そ前提で、我々が、一つ、深く理解しておくべきことがあります。それは、昔から語られてきた、次の言葉です。「人は、誰もが 自らを癒す力を持っている」

これは、とてもいい。もう高校生という年齢からは程遠いけれど、今からでもこれを、やってみようかと思った。
ちなみに別のところで、ネットにおける匿名での活動は別の人格を生むという話があったが、他人に一切見せることを想定しないという意味で、これはまた別のアクション。その前提をわかりつつ、あえて匿名で赤裸々な記述をするというのも、おもしろいのかもしれない。でもこれは、フィードバックを期待しないという条件を維持するために、コメント機能などが一切ないような場所とツールを選ぶ必要があるわけだが。