ここまで来た「あの世」の科学 改訂版

魂、輪廻転生、宇宙のしくみを解明する

少しずつ少しずつ、人々が覚醒しつつある時代。
宗教と科学の統合はもう少しかなと直感してる。


●常識はこれからも覆る ニュートン力学→相対性理論→量子力学→?

・もし「ニュートン力学」しか知らない人が宇宙旅行に出かけると、とんでもない目に遭うでしょう。ちょっと遠くまで出かけると、まず二度と地球には戻ってこれないでしょう。・・・なぜでしょうか・・・それは、地球上ではあれほど正確に物事を記述できた「ニュートン力学」が、いったん宇宙空間に飛び出したとたん、近似精度がまったく不充分で使えなくなってしまうからです。・・・たとえば、「時間」という概念です・・・
・高速で運動する物体の上では、時間の進み方は遅いのです。また、地球のような思い物体の近くでは、やはり時計は遅く進むのです。したがって、海面上と山の上では明らかに時間進み方は違います。われわれの常識に反して、「時間」というのは、えらく相対的な概念なのです。これは、アインシュタインの「相対性理論」として、今日では広く知られており、「時間」の進み方に対する、速度や重力の影響を、きわめて厳密に計算できます。
・純理論的には『浦島太郎』や『リップ・ヴァン・ウィンクル』のストーリーは、近代物理学となんら矛盾しないのです。昔、誰かが宇宙人と遭遇し、高速の宇宙船で旅行した経験が、これらの話として語り継がれているという可能性も、あながち否定はできません。
・ところが、粒子の寸法がどんどん小さくなって、「電子」のレベルになると、もうわれわれの”常識”はまったく役に立たなくなってしまうのです。たとえば壁に二個の穴を開け、一個の「電子」を飛ばしてやると、その「電子」は同時に二カ所の穴を通過することが知られています。これは物理学者のみならず、大学で理学や工学を学んだ人なら誰でも知っている事実なのです。われわれの一般的な常識が、いかに当てにならないか

「同時に二箇所の穴を通過する」というこの話をきいたときに、
頭がパニックになる人もいれば、「すごい!」と目を輝かせる人もいる。
どういうこと? と、理解をはるかに超えていることが起こるのが、
科学的な大発見なのだ。
表された数式を理解できるかどうかという問題とは別に、
少なくとも、それを素直にうけ入れられる柔軟さはもっていたい。
ガリレオを否定するような人と同じにはなりたくないのだ。
●量子力学のキーパーソンと東洋哲学

・「量子力学」という分野を拓き、発展させた三人の科学者、ニールス・ボーア、ヴェルナー・ハイゼンベルク、エルヴィン・シュレディンガーたちは、とても奇妙なことに気がつきました。素粒子の物理学を追及していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた教えに、どんどん接近していってしまうのです。
・ボーアは後半生を、中国の『易経』の研究に没頭しなした。ハイゼンベルクは、インドの著名な詩人タゴールに「インド哲学」を学びました。シュレディンガーも、著書の中で「量子力学」の基礎になった彼の波動方程式が、ヒンドゥー教の経典である『ヴェーダ』の諸原理を記述している、と語っています。
・ボームに「東洋哲学」を教え、「ホログラフィー宇宙モデル」の構築に多大な影響を与えた、インドの哲学者ジッドゥ・クリシュナムルティは、次のように語っています。科学者たちよ、思考の束縛から逃れ、自由になりなさい。その自由は、「瞑想」によってのみ手に入ります。

人々は相対性理論にも感覚的に追いついていない状態なのに、
科学の世界ではさらに先、量子力学の世界まで進んでいる。
科学的であればあるほど、「非」常識とか「超」常識を受け容れることができる。
だからこそ、科学者の方が東洋哲学に傾倒していく。
東洋哲学を非科学的と切って捨てる人たちの方が非科学的という皮肉。
●あの世の科学的な解釈

・未来の歴史家は、人類の壮大な思想史の中で、「精神」と「物質」を分離して考えた十八、十九、二十世紀の300年間を、きわめて特異な期間と定義するでしょう
・たたみ込みという概念は、数学では「直交変換」、あるいは「積分変換」として明確に定義されています
・「あの世(暗在系)」では、「この世(明在系)」のすべての物質、精神、時間、空間などが全体としてたたみ込まれており、分離不可能です(ボーム)
・「周波数スペクトラム」では「時間」はたたみ込まれており、隠蔽されています。われわれが、日常何気なく使っている「周波数特性」という言葉は、実は「時間」が隠蔽された、たいへんな世界の言葉なのです。
・物質も精神もエネルギーとして「暗在系」にたたみ込まれています(ボーム)
・「暗在系」の中には、おそらく「意味の場」が存在するのでしょう。それが反映したものが物質であり、身体であり、「明在系」そのものなのです(ボーム)
・ニュートンとほぼ同時期に、微積分学を創案したドイツの数学者、ヴィルヘルム・ライプニッツは、『易経』の言語体系から、「二進法」という数学を考えつきました。それから三世紀を経て、この数学を基盤にしてコンピュータが生まれたのは周知のとおりです。
・意外に思われるかもしれませんが、「死後の世界は存在しない!」というのが論理的に導かれる結論になります。誤解しないようにしていただきたいのですが、物質主義者に賛同しているわけではありません。正確に書けば、「あの世」から見ると「死」という現象が見えないはずです。「死」は明らかに、時間に関連しています。死亡時刻というものがあり、それ以前は生きており、それ以後は死んでいるわけです。時間という概念の存在しない「あの世」には、「死」という概念もあり得ません。つまり私たちは、生きているこの瞬間にも時間も空間もない「あの世」にもいる、ということです。「死」というの、「この世」の存在が終わることを意味しており、「あの世」での存在だけになるのです。完全に消えてなくなるのではなく、永遠の時の中に融け込んでいくのです。一般的に宗教が説く話と少し違いますが、これが「あの世」の実体でしょう。

ここでいう「あの世」はニルヴァーナを指すと考えられる。
とすれば、仏教ではそれを示しているし、
かつ脱する対象としての輪廻をといているはず。
とすると、一般的な宗教 が何を意味するかは別として、
少なくとも仏教が説いている世界観とは完全に一致している。
私は、数学や物理学がそこに届きつつあるというのが、とてもワクワクする。
●集合的無意識とアーカシックレコード

・「サブ・プランク・スケールの知識」を読みにいける人は、「他人」の「過去」の知識を読めたとしても不思議ではないのです。そのメカニズムは、「テレパシー」や「透視」と基本的には同じはずです。本当は「輪廻転生」をしていなくても、いくらでも他人の過去の人生の記述ができてしまうことが、理論的にはあり得るわけです。
・宇宙の基本構造は、壮大な「無意識」のレベルのネットワークであり、生命を得て生まれてくる「個体」は、その大海の表面に発生した小さな泡のようなものでしょう。その泡を主体的に大海のことを語るのはかなり自己中心的な考え方であり、ちょうどその昔、地球が宇宙の中心で不動であり、あらゆる天体がその周囲を回っている、とする「天動説」に似ております。「新プラトン主義」をはじめとする、ほとんどの宗教や神秘思想は、生命ある「個体」より、不滅の霊魂のほうがより本質的な存在だ、と説いております。
・ユングは「無意識」には、知識がたたみ込まれているだけではなく、目的論的能力もそなわっている、としております。「無意識」と相談することにより、自分が本来何をすべきかが明らかになる、という説です。

空の概念やアーカシックレコードについての知識がある人なら、
このあたりはとてもよく理解できるというか、腑に落ちる感覚だと思う。
なお、日本における「和」の文化というのは、
もしかすると、その根本にはこのあたりの感覚があるからなのかなと、
これを読んで思った。
●A10神経

・仏教でも、『理趣経』という経文に、この手の修行法が書いてある、といわれております。・・・『理趣経』というのは、その昔、解釈本を空海が最澄に貸さなかったため、二人の仲が決定的に悪くなったという、いわくつきのお経です・・・ヒッピーたちだけが、歴史的に見て、特別におかしかった、というわけではなさそうです・・「A10神経」の機能から考えても、セックスにより「瞑想法」が強化され、「脳内麻薬物質」の分泌を促進する、ということは、充分に考えられます。
・「性」は「精」に通じ、さらに「聖」に変容します。そのトレーニング法のひとつの方向は、ひたすら「精」の浪費を避け、禁欲的な修行に励むことです。「気功法」や、多くの宗教がこのアプローチを取っております。しかし、一部にはセックスを積極的に利用する方法論もあるようです。いずれにしても、「瞑想法」や「脳内麻薬物質」が、重要なファクターであり、「A10神経」がその秘密の鍵を握っているようです。

ここのあたりも、少しずつ解き明かされていくのかな。
数学と物理学ではなく、生理学の分野に期待したい。
タントラとか北伝系の密教の瞑想法に詳しい科学者がいたら、
このあたりの理解は一気に進むような気がする。
●世の中に知れ渡っていることとは違う真実

・「輪廻転生」というと「東洋哲学」の専売特許のように思われております・・・ところが、古代ギリシャではむしろ当然とされており、プラトン以外にもピタゴラスやソクラテスも言及しています。もっとも、ソクラテスは晩年には「輪廻転生」に懐疑的になったとも伝えられています。実は、初期のキリスト教では「輪廻転生」が信じられており、『聖書』にも書かれていたといわれております。西暦553年にコンスタンチノープルで開かれた宗教会議で、「輪廻転生」が否定され、その部分が『聖書』から削除されたということです。その理由は、本来キリストは「一人ひとりが自分の運命に責任がある」とし、「神のみが人を裁ける」と説いたのに対し、人の運命は教会の支配下にある、という教えに変質させるためだったともいわています。この会議を契機に、協会は圧倒的な権力を持つようになり、社会に対する支配力を強めました。同時に、キリスト教は初期の純粋性を失い、腐敗と堕落の道を歩みはじめたのです。
・日本神道でアメ(天)というと、天神、創造主の住むところを指します。

知らなかった!
そうなのか。キリスト世界でも輪廻を説いていたとは。
それと、アーメンと阿吽とAUMの関係は知っていたけど、
神道における「アメ」もそこに通じていたとは、これも新たな発見。
サンスクリット語は、やはりそれ自体に神秘的な意味がありそうだな。

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