親の目から見た、モンテッソーリの「子どもの家」
自分を見失わない人間を育てる一歳からの幼児教育
モンテッソーリ自身の著作や、
アカデミックなものではなく、親の視点でどう見えるのか
というサブタイトルにひかれて、読んでみた。
●大人の都合=親のエゴを子どもに強要しない
・モンテッソーリの「子どもの家」で育った子どもたちは、必ずしも、大人にとって都合のよい子どもたちとは限りません。ヘンに聞き分けのよい、お行儀のよい、言ってみれば小さな大人が増えたこのごろではちょっと珍しい、きままな子どもが多いようです。しかし、明らかに彼らは自分が得意とするものを心得ています。
・「子どもの家」では、なにをするのにもこれはいつまでに終わらせなければならない、という時間的な要求がありません。もちろん先生サイドでは目標が置かれていますが、それを子どもたちに強要することはないのです。
・大人の世界のしきたりをあらためて考えてみると、それらは「してはいけないこと」、すなわち禁止事項集であることに気づきます。これらの禁止事項のほとんどは、大人の都合です。子どもにとっては、すべてあたりまえのこと。大人の設けた禁止事項の、「してはいけない」という理由が、子どもには理解できません。なぜなら、子どもの世界では迷惑をかけることもかけられることもありませんし、パンツをはかないでトイレから出てきた子どもを非難する子どもはいないのですから。「なんて子だろう、まったくしつけがなってない。親の顔が見たいもんだ」と、周りから言われたくないがために、親は子どもに山ほどの禁止事項を課しています。実はほとんどが、子どもに好き放題やられては「大人が困る」ことだからです。禁止事項が子どもの中に蓄積されるにしたがい、その子は自由さを失っていきます。
・無理にやらせると苦手になったり嫌いになったりしますから、その気になるまでほっておきます。ほかの子のができてくると、やりたくなるもんですよ。
・大人の都合でまるで飼育されているような子どもと、自由にのびのびと育っている子どもの違い
・「人生経験から、これがいちばん間違いのないことだと思っているから、親の責任においてわたしのやり方で指導している。子どものやりたいようになどさせておいたら、ろくな人間に育たない」こういう言葉を耳にします。もちろん、人生経験というのは大切なことで、先人の言葉に若い人が耳を傾けるのは大いに必要なことです。でも、ここで勘違いしてはならないのは、その人生経験とは、いまの大人の育ってきた過去の時代環境での人生経験だということです。過去に生きてきた大人と異なり、これからの時代を生きていく子どもは、いまとは違う環境のもとに、別の価値観を要求される未知の時代を生きなければなりません。すなわち、いまの大人たちの人生経験というものは、将来かなり有力な参考にはなるものの、なにからなにまで絶対ではないということなのです。過去の常識が現代の非常識になったという例は枚挙にいとまがありません。
本当にこの部分を、多くの人に伝えたい。
価値観を強要する人の多くは、それが正しいことだと思っているから、やっかいだ。
これは、特定の宗教を強引に勧誘してくる人と全く同じ。
●教具と遊びについて
・モンテッソーリ教育で使われる教具の多くには、ある決まりごとがあります。それは、規則正しく大きさや形が異なる「漸次性」があることです。変化がランダムだと小さな子どもには認識しにくいということです。
・「子どもの家」では、子どもたちのするさまざまな作業を「お仕事」と呼んでいます。その背景には、ただの遊びではない、たとえ子どもであっても、世の中の役に立つことをやっているという誇りを子どもたちに自覚させるとともに、子どもをひとりの人間として認めるという意味があるのです。
・モンテッソーリ教育て、理論より先に体験をさせまする形や大きさや重さを、目で見て触ってもち上げるという体験を通じて遊び、そこから形や数を感覚的に認識できるように発展させていきます。
・子どもは具体的なものになら抵抗なく意識が向けられます。しかし抽象的なものには意識を向けにくいのです。具体的に目で見ることができる「実体」と、目で確認することができない抽象的な「名前」という別々な要素を、最初から同時に覚えさせ、認識させることは困難です。
・「子どもの家」では、プラスチックではなく、わざわざ陶磁器やガラスの器を使わせ、これらが「壊れるもの」であることを学ばせているのです。
・「モンテッソーリ教育」では、ひとつの課題を「やり遂げる」ことが最優先であり、また完成度を高くすることに優先的な目標が置かれます。しかし、時間的なことはあまり重視されていません。
具体的な体験を
時間より達成を
とくにこの部分、頭でっかちにならないように、
気をつけなくては。
●親の勘違い
・最近は、子育てを幼稚園などに外注しているつもりのお母さんがけっこうおるんです。どうしても子どもを預けなければならないという、特別な事情がないにもかかわらず、幼稚園に子どもを任せて、そのあいだまったく子どもに意識を向けない人も少なくありません。幼稚園や保育園に入れるのは子どものためというより、親の都合が優先されとるんですね。ですからそういうお母さんは、子どもが幼稚園でなにをやっているのか知らないし、面倒がって知ろうともしません。そういう親に限って、自分の思い通りに子どもが育っていかんと、それを幼稚園のせいにするんです。
なるほど…最近では、
子育てをアウトソーシングするという発想になってしまう人が多いわけか。
きっとそういう人にとって子育ては「JOB」「苦役」「義務」なのだな。
悲しいことだ。
●形ではなく本質を
・モンテッソーリ・メソッドは哲学としては、偉大な価値をわたしたちに与えてくれています。しかし、マリア・モンテッソーリが教育理論を確立しのはいまから百年ほども前のことです。当時といまとでは、あきらかに人も環境も違っています。わたしたちに必要なのは、マリア・モンテッソーリの理念のもと、いまという時代にあった、また、ヨーロッパではない日本の文化や風土にふさわしい、「わたしたちのモンテッソーリ教育」を作ること、いえ、作り続けることではないでしょうか。
この部分が特に重要だと思う。
モンテッソーリ信者になって形にとらわれるのではなく、
モンテッソーリのマインドセットこそを受け継ぐべき。
そう考えると、ちょっと気が楽になる。