メディア・レイプ

メディア・レイプ

サブリミナルとはどういうものか
広告とPRで何が行われているのか

15年ぐらい前に読んで、二回目。
当時は、テレビによる洗脳から身を守るために、
そして「世の中で真実とれされていること」の嘘と幻影から目を覚ますために読んだ。
今は、自分が広告に携わるようになり、改めて考えてみたくなった。
そして親という立場になって娘のために読んでみた。


精神病や狂気、逸脱に関する記述がとても興味深かった。
アリストテレスの論理学の罠にかかってはいけないと、学んだ。
ヴィトゲンシュタインやマクルーハンにも興味を持った。
その他、
・ゲシュタルト心理学においていわれるところの「補完」を使ったサブリミナル
・咽頭マイクを使ってオルガスム音声を挿入するというサブリミナル
などなど、
よく言われるポップコーンとコーラの話だけではない、
色々な技法についても改めて確認した。
●とくにすぐに自分の仕事に役立つこととして…
メタボリックシンドロームに悩む人が多かったり、ダイエットがここまで盛んなのは、食品業界、そして美容健康産業のサブリミナル技術が関係しているのだろう。ダイエットにお金を払う前に、テレビと雑誌、流行の音楽を今すぐ目の前から消した方がいい。そうすればおそらく、健康でスリムな肉体がだまっていても自然に得られる。
また、禁煙や、精神的な病の回復にについても同様。これらのセラピーに対する重要なヒントを得た。
●線をひいたところ

イギリスの精神分析家アントン・エーレンツヴァイクによると、柔軟で多元的な知覚力は八歳以下の子どもたちによく見られるが、抽象的で複雑な絵画・音楽・彫刻・文学などに幼い頃から親しんでいれば、生涯失われないこともありうるという。

最近、マイケルジャクソンがこの世を去ったが、
彼のプロモーションビデオ等でもサブリミナル技術が使われていたらしい。

リアクション・ショットは、意識的に知覚されているにもかかわらず、ほとんど思い出されることがない。しかし無意識のレベルでは、視聴者は実際の台詞や仕種よりもリアクション・ショットの方に自分を同一化している。

心の中の対話に注意深くなければならない。

誰がいちばんメディアに支配されたいかといえば、それは、いつも自分は自分の力で批判的かつ明晰に思考しており、真実と虚偽、事実と幻影の区別を容易につけられる、と信じている人びとだ。
自分は自立しているという認識は、洗脳のいちばん基本的な点火剤である。自分の頭で考えている、と思い込んでいる人は、往々にしてそうでない。文化的な価値観に染まっている度合いが高ければ高いほど、それだけ操作されやすい。
メディアはさまざまな仕方で緊張を誘発する。— 情報の負荷を過剰にして知覚経験の特定の部分への注意の集中を困難にするわけである。ラジオやテレビでは、番組がコマーシャルで中断する前にあらかじめ緊張が高められるし、新聞や雑誌では、良いニュース(つまり広告)のそばに悪いニュース(暴動、戦争、飢饉、暴力事件、スキャンダルなど)がおかれる。
ロックミュージックは抑圧操作の興味深い一例である。そこでは、大音量と、ヒステリックに叫ぶミュージシャンと、視覚的なスペクタルが否応なしに受け手の緊張をもりあげる。歌詞の内容がわかるファンはほとんどいない。つまり、それらはダイレクトに無意識のレベルで知覚されているのだ。

番組の切れ目にCMがくるのには、このような意味がある。

仮に誰かが、特定の製品や人物、またはある考えなどを、他より優れている、あるいは劣っていると — その実体や構造とまったく無関係に — 言語化して推測した場合、それはサブリミナルな強化がもたらしたものである可能性が高い。ふつう、推測には好みが関係している。ひとたび好みが決定されれば、事実による確認と支持を蓄積して、その推測を正当化し、バックアップしようとする。

なんとなく○○な気がする。という人物評も、これだ。
そのような直観は、神秘的でもなんでもなく、操作された意識なのだ。

数多くの医学的研究によると、全部とはいえないまでも、ほとんどの心身症はサブリミナルな刺激によって起こる。
自分自身が劣った人間と思い込むように操作された人間は、満足感や完全さを約束してくれる商品やブランドであれば何でも買いあさるように仕向けられてしまう。消費は、永遠に手の届かない充足をもたらす。広告主の約束はもちろん果たされることがなく、人びとはついには消費という幻想の中に埋没してゆく。広告に依存した消費者は、だんだんと不満が嵩じてゆく。広告の定期する理想を手に入れられないことで、自尊心が打ち砕かれるのだ。

このエンドレスのループは、あちこちで見えける。
ダイエット商品、美容関連、情報ビジネス…etc..
次から次へと商材を買い換える「商材マニア」はまさにその状態といえる。

ニュース報道の狙いは広告を売ることにある。効果的なコマーシャルの根本は、視聴者の自惚れをくすぐることである。

ニュースを信用してはいけない。
お金が動いているのだ。

価値判断は「~であるか~でないか」ではなく、「より~であるか、より少なく~であるか」という形でなされるだろう。しかるに人々が二値論理的な価値システムの受容へと導かれてしまうと、彼らは黒白のはっきりしたステレオタイプ的評価という馬鹿げた代物を受け入れる態勢はすっかり整ったも同然である。彼らはすでに知覚における自律性と知覚に対するコントロールを喪失しているのだ。
矛盾律のうそ
スパイの集めてきた情報を分析する専門家は、まずそこに通常の期待にそって整合的にでっちあげられたものがないかを探す。そしてそういう部分を徹底的に疑ってかかる。
カール・マルクスが現代に生きていたら、はたしてし宗教をあのように激しく批判したかどうか疑わしい。とうの昔に、広告メディアは、ハイテク時代のアヘンとして宗教にとって代わっているのだから。
平均的な北米人は、18歳までに、18000時間異常もテレビを見て過ごしている。これは学業に費やした時間よりずっと多い。このように受身でテレビに関わっていると、無意識のうちに徹底的に洗脳され、それが最後には彼らの文化システムになってしまう。
アドルフ・ヒトラーは、自伝「我が闘争」の中で、広告の理想的なあり方を次のように要約している。「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目指すべきものの中で最低級のものがわかる程度にすべきである。天国を地獄と知覚させることもできれば、反対に、最も悲惨な生活を天国と思わせることもできるのだ。これと同様の会話を、どこの広告・PR会社のオフィスでも聞くことができる。これこそ彼らが職業としてやっていることなのだから。

本当に、そのとおりだ。

憂鬱なとき、幻滅したとき、欲求不満のとき、腹が立ったとき、拒絶されたとき、淋しいしい時、退屈なとき、彼らは何かを買うだろう。購買行動によって、情緒的適応の問題に対処するよう、徹底して仕込まれているからである。

これは、悪用してはいけないが、
市場がこのように洗脳された人たちで埋め尽くされている以上、
その事実は理解して、活用しなければいけないだろう。

ひとたび確実な消息筋による説明を信じ込み受容してしまうと、人々は通常、それに反する情報が出てきてもそのままには受け取らず、神話を防衛し正当化するような説明を案出する。この種の説明が過激論者に見られる自己閉塞的推測(self -sealing conjecture)の一部分になる。反駁不可能な仮説である。反駁は即座に無視ないし拒否される。
洗脳に対抗する防衛戦略は比較的簡単である。しかし、それに最大の効果をあげさせるには、おそらく幼年期からはじめなければならないだろう
解答ひとつではない。どんな疑問・問題・目標でも、つねに複数の解答を探すようにする。そして選択する。
YESとNO、真と偽、あるいは正と誤という答えしかないような問いは人間の知性とは無縁な言語を構成する。それらは単純素朴な人々に対して仕掛けられた罠なのだ。