旅する力

深夜特急ノート

深夜特急1~6を読んだ私としては、はずせない一冊。
裏話のような感じなのかな。
今度ツタヤで、”Midnight Express”と、
大沢たかおの実写版をみてみたくなった。
今度の休みに借りてこようと思う。
とくに、大沢たかおの「劇的紀行 深夜特急」の撮影と同時期に、
やはり深夜特急をモデルにしてブームとなっていた電波少年の猿岩石を、
沢木耕太郎がどういう目でみていたのか。
そのあたりの記述も、とても興味深い。


自分は、いつの間にかこの本を、
人生 とか 起業 というものを重ねて、読んでいた。

・ガイドブックを持たない旅ができるのは、たっぷりと時間のある、つまりどんな失敗をしてもいいひとり旅のときに限られている

自分が、従業員がいる大企業より、一人身軽に動けるMr.Xスタイルを自分が好む理由

・三十代には三十代を適齢期とする旅があり、五十代には五十代を適齢期とする旅があるはずだ。
・日本に帰ってきて、あんな苦労をしなくても、こうやればよかったのかとわかることも少なくない。しかし、だからといってあらかじめ知っていた方がいいとも思えない。知らないことによる悪戦苦闘によって、よりよく知ることができることもあるからだ。その土地を、そして自分自身を。
・しだいに、必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
  いくら/何/どこ/いつ
  こんにちは/ありがとう/さようなら
 この二つのグループの七つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない土地に放置されても、なんとか切り抜けられるということがわかってきたからだ。
・ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。知らなければ知らないでいいんだよね。自分が知らないことを知っているから、必要なら一から調べようとするに違いない。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を出してしまいかねないんだ。どんなに長くその国にいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない。
・あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。もちろん経験は大きな財産だが、未経験もとても重要な財産なのだ。本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないということは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ。

全部知識を入れてから とか 全部準備してから ということはありえない。
むしろ知らないことを武器として、堂々と新入りとして悪戦苦闘すればいい。

・いまは「リアクション」の時代になっている。主人公がどのような「アクション」をするのかではなく、どのような「リアクション」をするのかが大切になっている。
 たとえ、どんなにささやかな旅であっても、その人が訪れた土地やそこに住む人との関わりをどのように受け止めたか、反応したかがこまやかに書かれているものは面白い。旅を描く紀行文に「移動」は必須の条件であるだろう。しかし、「移動」そのものが価値を持つ旅はさほど多くない。大事なのは「移動」によって巻き起こる「風」なのだ。いや、もっと正確に言えば、その「風」を受けて、自分の頬が感じる冷たさや温かさを描くことなのだ。「移動」というアクションによって切り開かれた風景、あるいは状況に、旅人がどうリアクションするか。それが紀行文の質を決定するのではないか。

経営においても、売っているものそのもののコンセプトよりも、
顧客の反応に対してどうリアクションしているかの方が重要。
販売代理ではなく購買代理、プロシューマなどというのだって、
まさにそれを表しているように思える。

・問題は 予期しないことが起きるということを予期していないところにある
 まず「こういうことは常に起きうることなんだ」と思うことが、予期しないことに対処する力を引き出す第一歩になるのだ。
・偶然に対して柔らかく対応できる力を身につけているかどうかということでもある。そうした力は、経験や知識を含めたその人の力量が増すことによって変化していくのだろうが、それはまた、思いもよらないことが起きるという局面に自分を晒さなければ増えてこないものでもある。だからこそ、若いうちから意識的に、思いもよらないことが起きうる可能性のある場というものに自分を晒すことが重要になってくるような気がするのだ。
・長い期間にわたって旅を計画していると、心中ひそかに、出発したくないという気持ちが起きてくるものである。…旅行を中止しなければならないように事態が起きてほしい。しかし何事も起きなかった。 これは長い旅に出ようとするときに、多くの人が味わう心境であるように思える。…しかし、ひとたび出発してしまうと、それまでの逡巡は忘れてしまい、まっしぐらに旅の中に入っていってしまう。

見えないお化けを怖がるのではなく、
リスクはリスクとして予め受け入れておく。
そして、自分は10代から20代までに、そういう環境に生きてきたはずだ。
自信を持っていい。
躊躇する必要はない。

・大事なのは「行く」過程で、何を「感じ」られるかということであるはずだからです。目的地に着くことよりも、そこに吹いている風を、流れている水を、降りそそいでいる光を、そして行き交う人をどう感受できたかということの方がはるかに大切なのです。

事業だって同じだ。
軌道に乗せるまでが楽しいという話も、ある。
プロセスそのものを楽しむことが、幸せの本質というのは、
色々なところで言われている話。
旅と同じ。
その他、拾ったところ。

・百ドル札一枚の餞別
・あの旅は私の内部で生きつづけていた。生々しくうごめいていたと言っていい。ところが、書いて、作品として定着することで、その生々しさを消えてしまった。そして、遠くなっていってしまったのだ。たぶん、そのとき、あの旅はひとつの死を迎えることになったのだろう。『深夜特急』として命を与えられることによって。