意思決定12の心得

仕事を成長の糧とするために


田坂さんの著書に繰り返しでてくる「操作主義」についての定義が書かれていた。
困ったときに誰かに助けてほしいと考える気持ちや、恋人に自分を好きになってもらいたいという恋心のことではなく、
「相手を道具や機械のように」自由に動かしたいという意図のことであると。
マーケティングが操作主義になるかどうかは、
そこに相手を一人の人間として遇する思いがあるかどうか、だろうな。
その他線をひいたところ。

経験に先立って明確な「問題意識」や「仮説」を持つ。
経験の後で「追体験」や「反省」を行う。
こうしたことが、「経験」を「体験」へと高め、
直観力や洞察力を磨かせるのです。

経験と体験の違い。
反省とは何か、
このあたりのこと、田坂さんは色々な著書で繰り返し繰り返し書かれている。
とても重要なことなのだ。

「前提条件」の不確実さを吸収できる「柔構造」の計画こそが、
優れた新事業計画なのです。
逆に、隙のない緻密な論理で構築された「剛構造」の計画は、
決して優れた新事業計画とは呼べないのです。
米国では、説明のうまい人間を、
「logical」(論理的な)という言葉では誉めません。そのときの誉め言葉は、
「articulate」(理路整然とした)という言葉です。
率直に言えば、こうした図表は、
それを作る人の頭の整理にはなっても、
それを読む人の頭の整理にはならないことが多いのです。
「視覚的に語る」ということの意味を、あまり短絡的に
「図表を使う」「絵を使う」という意味に解釈すべきではありません。
たった10行の文字によっても、十分に「視覚的に語る」ことはできるのです。
その最も優れた例が、日本古来の「俳句」や「短歌」です。
我々が、企業や組織において「論理を語る」とは、
自分が信じる何か一つの価値基準にもとづいて
論理を組み立てているに過ぎないのであって、
その論理だけを貫き通すということは、ときに、
「自己中心的」と呼ばれる過ちを犯す可能性をはらんでいるのです。
これに対して、「心理に語りかける」とは、
自分とは異なった価値基準を持つ様々な人々の
思いや気持ちを考えながら話をしていくという姿勢のことです。
「論理を語る」とは、
「自分にとっての真実」を中心に語ることなのです。
これに対して
「心理に語りかける」とは、
「その人にとっての真実」を考えながら語ることなのです。

私が、若い頃にうまくいかず、悩んでいた営業における失敗が、
まさにこれだ。
マーケティングを本格的に学ぶようになって、
やっとこのことが、理解できるようになってきた。

過去に新事業開発を成功させてきた人材は、
「この新事業を創り出すことが自分の使命だ!」というほどの
「思い込み」を持っていたからです。
そして、そうした「思い込み」が持てるということは、
深く見つめるならば、ある種の「縁」なのです。
そうであるかぎり、
それを、無理に持とうとしたり、
また、持たせようとしたりすることは、
あまり意味がありません。
もし、そうした人材を得なければ、
新事業開発は中止すべきなのです。

新事業開発という言葉を「起業」に置き換えれば、よくわかる。
自分は、思い込みが持てるほどの強い意志があるのだろうか。

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