ビジョナリーカンパニー

時代を超える生存の原則
10年を超え、読み継がれるビジネス書不朽の名著

客先のお偉いさんの席においてあったのをみて、
ふと、自分の書棚にも読まないまま積見上げられていたのを思い出した。
これを縁に、手にとってみた。


●気になった言葉
1. ANDの才能 ORの抑圧の否定

ビジョナリー・カンバニーは、「ORの抑圧」で自分の首を絞めず、「ANDの才能」を大切にする。二者択一を拒否しもAとBの両方を同時に追求できるとする考え方。50:50でバランスをとるのではなく、妥協するのでもなく、両方をとり、相乗効果を得る。
スコット・フィッツジェラルドによれば「一流の知性と言えるかどうかは、二つの相反する考え方を同時に受け入れながら、それぞれの機能を発揮させる能力があるかどうかで判断される」

両極端がよくないということは理解していたつもりだし、バランスが大切、中庸の大切さも理解していたつもりだけれど、陰陽としてしらえ、「相乗効果を生む」というところまでは理解していなかった。
2. 新しいアイデアは必要ない

ソニーの井深大が1945年8月に会社を設立したとき、具体的な製品のアイデアはなかった。すばらしいアイデアは必ずしも必須ではない。サム・ウォルトンと同じことをやろうとしていた小売り企業はほかにもあった。ウォルトンは、同じことをほかのだれよりもうまくやっただけ。
会社を製品の手段として見るのではなく、製品を会社の手段として見る、というパラダイム

自分の考えるビジネススタイルが間違ってはいないと、自信をもつことができた。ただしもちろん「理念」は必要だけれど。
3. カリスマ性は必要ない

ビジョナリー・カンパニーの歴代の重要な経営者は、必ずしもビジョンをもったカリスマ的指導者ではない。控え目で思慮深く、内省的な井深大、気さくで几帳面で、冷静でアイオワの農夫のようなビル・ヒューレット、融通がきかず、几帳面で、礼儀正しく、控え目で無表情でさえあるプロクターとギャンブル。かなり内気でめったに笑わない、どちらかといえば温和なボーイングCEOビル・アレン。「メルクの謙虚さ」が服を着たようなジョージメルク…

自分にはカリスマ性がないと思っていた。でも、別にそれでもいいのだ。自信になった。
4. 理念の設定方法

ビジョン=長期にわたって維持される基本理念+将来の理想に向けた進歩
これらの価値観のうち、外部の環境が変わっても、たとえ、これらの価値観が利益に結びつかなくなり、逆に、それによって不利益を被るようになったとしても、100年間にわたって守り続けていくべきものはどれか。
基本理念は、「つくりあげる」ことも「設定する」こともできない。基本理念は「見つけ出す」しかない。理屈でつくりあげたり模造することはできない。心の奥底で信じているものでなければならない。

自分の仕事について、あらためて見直して見よう。
5. Mindset

ビジョナリーカンパニーのいくつかは、マーケティング重視ではなく技術重視である。マーケットや顧客の要求に従えば基本理念から離れてしまう場合、顧客の要求を敢然と無視する。
外部投資家は、実力以上に成長するように圧力をかける。そして、成長が早すぎると、価値観が失われていく。
手軽なノウハウ本に成功の秘訣を求めるとうのは、ビジョナリーカンパニーがこれだけはやらないことである。偉大な設計者は一般的な原則を活かす。状況の変化に応じて柔軟に適用する。
正しい問いの立て方は、「これはよい方法なのか」ではなく、「この方法は当社に合っているのか、当社の基本理念と理想に合っているのか」である。

操作主義、利益第一主義、心を無視したマーケティングやセールス手法が蔓延するこの時代に、一石を投じる内容だ。
6. とくに頭の中で化学変化がおきそうな部分 : 企業のカルト化

すぐれたビジョナリーカンパニーは、カルトのような文化を持つ。これはあらゆる意味で宗教の手法と同じだ。個人崇拝ではなくイデオロギーに対してカルト的になるという違いこそあれ、ほとんど同じ。経営哲学と呼ばれるものだって、それと同じだ。
ビジョナリーではない企業は、イデオロギーではなく、創業者個人に対しての崇拝を求める場合もある。このようなとき、宗教とそれは全く同じ。変わらない。

私がとくに正社員というスタイルを嫌っていたこと、独立志向が強い理由がわかった。とくに、自分の価値観がよりはっきりしている人の場合、どこかの宗教の信徒になるのは難しいのだろうと思う。たとえどんなに優秀でも、その企業文化に合わないということは、ありうる。そういう人は自分でやるしかないのだ。

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